KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

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2013マラソンニッポン回顧 vol.1~川内に始まり、川内に終わった

2013年12月31日 | マラソン時評
もはや更新ペースが中高年夫妻の夜の生活の頻度並みとなった拙ブログ。2013年度の更新はこれで五回目という有様である。恒例の「マラソン大賞」の発表も迫る中、本年度の帳尻合わせとして、2013年の日本のマラソン界を振り返りたい。

今年も注目度が高かった「公務員ランナー」、川内優輝。2013年度は11回もフルマラソンに出場(未公認の千歳JAL国際を含む)し、優勝5回。2月の別大毎日では、五輪6位の中本健太郎と激しく競り合いながら優勝。翌月はソウルで別大で更新した自己ベストを1秒更新する2時間8分14秒で4位。しかもその間にスピードランナーが歴代優勝者に居並ぶ熊日30kmで1時間29分台で優勝と、「スピード持久力」の強さも見せつけた。

スポーツ紙も彼の言動は大きく取り上げて、記事にする。1月のエジプト国際マラソンでは招待便の飛行機に乗り遅れ、自腹で遠征といったマヌケな失敗も記事となる。「練習の一環」としてのレース出場が記事になるのだから、これは最高のPRだ。実業団ランナーが合宿で1週間に3回40kmを走るトレーニングをしても新聞記事にはならないから、
「実業団のランナーは年に1、2回しかマラソンを走らず、駅伝ばかり走っている。」

といった意味不明の実業団批判まで表われるようになった。

しかしながら、7月のゴールドコーストマラソンでの優勝がピークだったのだろうか?「メインイベント」であるモスクワでの世界選手権では日本人最下位の18位。以後のレースでは事前に公言した目標をクリアできないレースが続いた。メルボルンでは優勝を逃し、WMM大会初出場となったニューヨークシティでは、「Citizen Runner」として注目を集めたものの、トップ10入りは果たせず。

年末の福岡では日本人トップの3位。その二週間後の防府でモンゴルのバトオチルとの勝負に敗れながらも、2週間で2度のサブテン、という快記録を達成してなんとか「有終の美」は見せた。サブテンの間隔の短さとして、ギネスブックにも申請するという。福岡はタイムこそ9分台ながらレース内容は高く評価され、来年の仁川アジア大会の有力候補と名前を連ねた。

もはや、「市民ランナーの星」ではなく、「マラソン日本のエース」であるのだが、「ビッグレースに勝てない」という弱点も露呈している。世界選手権もそうだったが、世界の強豪が集ったニューヨークシティでも、「山の神」今井正人にも敗れた。川内の存在は、実業団ランナーたちの力を引き出させるようだ。

一時は「夏に弱い」として、「五輪や世界選手権の日本代表からの撤退」も示唆する発言もしていた。正直言って、こうしたコメントには「あざとさ」も感じている。以前にも、実業団ランナーを挑発するような発言で、世界選手権の代表である前田和浩に反論をされていたこともあった。

最近、宗猛氏や酒井勝充氏ら陸連のマラソン強化関係者からは、川内の「夏の暑さへの弱さ」は克服可能、という発言が出ている。一人きりで自分でメニューを作って、トレーニングを続けてきた彼が、「今以上、それ以上」を求めるなら、あるいは自らのアイデンティティーである「公務員ランナー」を返上するという選択も迫られている時期かもしれない。

マラソン強化部長として、宗猛氏は

「何を目指すかは川内次第としている。」

今年のスポーツ界の大きな話題として、「指導者の体罰」の問題があった。こんな時代に、「指導者のいないアスリート」がその競技のトップクラスに君臨しているというのは、スポーツ界全体で注目されてもいい事実だと思う。

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