KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

マラソンを愛する皆様、こんにちは。
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輝く!日本マラソン大賞2021 番外篇

2022年04月21日 | 日本マラソン大賞
2021年のマラソン大賞。3ヶ月遅れでようやく発表出来たが、更に「番外」としていくつかの「特別賞」を追加したい。東京五輪が開催された2021年は日本のマラソン界にとっては大きなターニングポイントとなった年だった。その象徴となった大会に授与する。なお、本稿も2021年12月31日時点の視点で書かれたものである。

審査員特別賞
大阪国際女子マラソン
ならびに
川内優輝(あいおいニッセイ同和損害保険)
岩田勇治(三菱重工)
田中飛鳥(ひらまつ病院)

2021年の大阪国際女子マラソンは東京五輪マラソン代表の一山麻緒と前田穂南の日本記録チャレンジをテーマで開催された。そのために、日本の女子マラソン史上初めて、男性のペースメイカーが起用された。これは本当に歴史的な大転換である。ようやく半世紀に達しようかという女子マラソンの歴史だが、欧米がボストン等既存の大会に女子の参加を認めることから始まったのに対して、日本の女子マラソンは、女子だけのマラソン大会として東京国際女子マラソンを開催し、その大会のために陸連が選手を養成するところから始まった。当時は「女がマラで損するなんて。」というセクハラジョークのネタにもされたが、大阪、名古屋にも後発の大会が生まれ、バルセロナ五輪で銀メダルを持ち帰るようになり、シドニー五輪で金メダルを獲得するようになった頃には一大人気種目となり、人気ランナーは女子アナ同様にオヤジ週刊誌にも取り上げられるようになり、五輪代表選考は「国民的関心事」にまでなった(実際に某ニュースショーで、司会のキャスターがそう発言した。)。

そうした我が国の女子マラソン人気を支えてきたのが、東京、大阪、名古屋の3大女子マラソンだったが、2001年、シドニー五輪金メダリストの高橋尚子が出場したベルリンマラソンは衝撃的だった。

フジテレビが生中継したそのレース、高橋の世界最高記録挑戦が大きなテーマだったが、複数の男性ペースメイカーが引っ張るだけでなく、周囲を「ガードランナー」が取り囲む中を走る彼女の姿は、異様な光景だった。フジテレビは現地テレビ局の映像を使わず、自前の中継スタッフを送り込み、スタートからゴールまで高橋の姿だけを映し続けた。それを見て欧米に於いて女子マラソンは男子のレースのサブイベントでしかなかったという事に気付かされた。

北京五輪以降日本の女子マラソンは五輪のメダルどころか入賞からも遠ざかった。男子同様にアフリカ勢の急速な進化に取り残されたためだが、東京マラソン開始の影響で、東京国際女子マラソンが終了し、後継の大会も横浜からさいたまに移り、消えていった。

前置きが長くなったが、独自の道を歩んできた日本の女子マラソンが、今回初めて男性のペースメイカーを導入したのである。これは歴史的な転換である。2021年の大阪、東京五輪代表の一山麻緒と前田穂南の日本最高記録挑戦が大きなテーマとなり、それまでの女子ランナーによるペースメイカーでは力量不足と判断したのか、3人の男性ペースメイカーが発表された。大会10日前にはコロナ禍の影響で通常のコースから長居公園内の周回コースに変更。驚かされたのは陸連が「こんな事もあろうかと思ってた」かの如く、そのコースを国際陸連に公認申請を済ませていて、スポンサーのゼネコン企業がコースの周辺に壁を作って、観戦者が集まらないような対策もした、手回しの良さである。

ペースメイカーの一人である川内優輝。彼はもはや存在自体が「歩くマラソン大賞」と化していて、毎年彼には何らかの賞を贈らねばと思ってしまう。今回もびわ湖での自己ベスト更新に対して、カムバック賞の候補に考えていたが、大阪国際女子マラソン初の男性完走者の1人として、他のペースメイカーと共に審査員特別賞を贈った。

ペースメイカーの存在を認めたがらないマラソンファンや記者は少なくない。ベルリンでも黄色いランシャツのペースメイカーが2ちゃんねるばかりか、スポーツ紙のコラムにまで揶揄されていた。日本のマラソン界の低迷の原因と決めつけるお門違いの批判まで目にした。

何度も書いてるけど、公式ルールで認められている以上、ペースメイカーの存在を否定するのは、あくまでも「好きか嫌いか」というレベルの話である。未だに1987年の福岡国際マラソンこそが最高のレースというマラソン観から上書きしていない人が多過ぎる。ペースメイカーの存在を否定するのは、道下美里の金メダルを価値が無いと決めつけるようなものなのだ。

そういう意味で川内優輝のような知名度も高く発信力のあるランナーをペースメイカーに選んだのは正解だった。彼はツイッターで繰り返し、ペースメイカーの意義や奥さんとの伴走による練習の様子を知らせていた。

長居公園15周を男性ランナーが引っ張るという異例の形で開催された大阪国際女子マラソン。結果的には日本記録の更新とはならなかったが一山のゴールタイム2時間21分11秒は大会新記録であり、川内と田中も大阪国際女子マラソン史上初の男性完走者として大会の歴史に名前を残した。

今回の方式は、コロナ禍の最中、ギリギリのラインでの大会開催の一つのスタイルとなったが、今後もこのような「長居公園タイムトライアル」が開催されるのかどうか。 

やはり、心の奥の本音を記しておこう。

This is not a marathon.

特別功労賞
びわ湖毎日マラソン
福岡国際マラソン

特別功労賞とは、これまで亡くなられたマラソン関係者に贈ってきた賞であるが、まさかこの賞をびわ湖や福岡に贈らなくてはならなくなるとは2020年の年末のマラソン大賞を選ぶ頃には誰が想像しただろうか?共に終戦直後の日本で復興イベントとして生まれた大会である。開催地が福岡とびわ湖に固定されたのは共に1960年代に入ってからだが半世紀以上に渡って日本最高峰のマラソンであり続けた。ツイッターにも書いたのだが、びわ湖が無くなるというのを他のスポーツに例えたら、「高校野球日本一を決める大会は年に一度でええやろ」と春のセンバツを終了したり、「Jリーグがあるから役割は終わった。」としてサッカーの天皇杯を終了するようなものだが、福岡が無くなるのは大相撲の本場所を年4回にするのやプロ野球チームを8〜10チームにして1リーグにして日本シリーズを止めるようなもの(これは危うく実現しそうになるところだった)だと思う。戦後の数多のランナーがここを走り、ここから世界の舞台へ旅立ったし、海外のトップランナー、五輪や世界陸上のメダリストや世界記録保持者がベストコンディションで仕上げて来日し、額面通りの走りを見せてくれた。世界陸上と言えば、第1回の世界陸上が開始する1983年以前は、福岡は「事実上の世界選手権」と海外のランナーから評価された。当時、五輪以外にアメリカや西欧のランナーが、ソ連や東欧の社会主義国のランナーと直接対決出来る大会はほぼ、福岡だけだった。だから僕もここからは「フクオカ」とカタカナで表記する。東京でも大阪でも横浜でも名古屋でもない、地方都市が世界中のマラソンランナーにとっても憧れの的だった。

もちろん国内のランナーにとっても。世界の舞台を目指すトップランナーだけでなく、家庭や仕事と両立させながら走り続ける市民ランナー(リアル・アマチュア・ランナー)にとっては、参加資格タイムを切ること、その実力を維持する事が日々の目標だった。「参加することに意義がある。」五輪に於いては死語となりつつある言葉がここでは生きていた。

福岡とびわ湖終了の大きな理由は、それぞれを主催する朝日新聞社と毎日新聞社の経営難、そして東京マラソンに代表される大規模都市マラソンがマラソン界全体の主流となったこと。世界のトップランナーを揃え、彼らに好記録を出させるためのペースメイカーを雇うだけの財力が無くなり、多数の参加者から参加料を集めて資金を溜め込むような運営方法でなければ、開催が困難になっていったのだ。

これもまた、国際女子マラソンと同様に、日本独自の方式のマラソン(ガラパゴス)がグローバル・スタンダードに敗れた結果となるのだろう。2度目の東京五輪がコロナ禍の最中に開催されたのと引き換えのように、日本の二大マラソンが終結というのは何というべきか。

最後のびわ湖が日本最高記録をはじめ、空前の好記録ラッシュとなったのに対し、最後のフクオカはやや地味なレースとなった。これからのランナーは何を目指して走るのか。そして、この2年間のコロナ禍の「新しい生活様式」の下、いくつもの大会が中止となっていく昨今、東京マラソンもまた、どうなるか分からない。

特別功労賞の候補に、東京マラソンの「生みの親」と言われる、元東京都知事を選ばなかったのは、彼が日本最高記録も生まれた高速ハーフマラソン、東京ハーフマラソンを終了させたからである。



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