KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

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このマラソン本がすごい!vol.9「長距離ランナーの遺書」

2012年06月17日 | このマラソン本がすごい!
「長距離ランナーの遺書」 沢木耕太郎著(「敗れざる者たち」所収) 文藝春秋社刊 1976年

スポーツ・ノンフィクションの「古典」とも言うべき、あまりにも有名な著書である。この本に影響されてスポーツ・ライターを志した、という人は多いだろう。いや、僕と同世代以下で、現在スポーツライターという活躍している人は、大なり小なりこの著書から影響を受けた「沢木チルドレン」と言える人たちではないか?むろん、「反面教師」とした人も含めて。

僕が10代後半の頃に、ちょうど沢木氏の著書が次々と文庫化された。ハードカバーの本などなかなか買えなかった僕にも容易に入れる事が出来るようになり、次々と買い揃えた。
中学、高校とSF小説や安部公房などの虚構性の強い小説ばかり読んでいた僕が大学に入る頃には一転して沢木氏や児玉隆也氏らのノンフィクションや、開高健氏のベトナム従軍記や丸山健二氏のオートバイやジープで野山を駆け回る男を主人公とした小説ばかり読むようになっていた。中学時代から愛読していた筒井康隆氏は「虚人たち」辺りからついていけなくなってしまった。

才能と実力に恵まれながら、頂点に立てなかったアスリート(競走馬も含む)たちのドラマを描いた連作集で、一篇一篇が独立した作品でありながら、第一話と最終話に登場する、彼と同世代の、アフロ・アメリカンとの混血ボクサー、カシアス内藤が核となった長篇ストーリーと読むことも出来る。

「長距離ランナーの遺書」で描かれるのは、東京五輪のマラソンで銅メダルを獲得するも、4年後のメキシコ五輪を前にして、自ら命を絶った「悲劇のランナー」円谷幸吉氏である。彼の遺書、

「父上様、母上様、三日とろろ美味しゅうございました。」

から始まり、兄弟一人一人に向けて、最後の正月に食べたものを「美味しゅうございました。」と繰り返す、一篇の詩のようなその遺書。沢木氏はこの遺書に対して、「異物感」を感じたと言う。今なら「違和感」というところだろう。

「この異常なほどの自己表白のなさは、いったいどうしたことだろう。」

そして、一つの疑問が浮かぶ

「長距離ランナーは、果して、『走れなくなった』からといって死ぬことができるのか?」

東京五輪当時3歳だった僕はオリンピックでの彼の活躍は記憶にはない。しかし、彼の死の事を親や年長の兄や姉が話していたのは記憶している。僕がこの遺書の事を知ったのは中学時代に読んだフォーク・ギターの専門誌の中で、吉田拓郎氏の「襟裳岬」や「落陽」などの作者である作詞家岡本おさみ氏と、劇作家の寺山修司氏との対談記事によってだった。後に読んだ、寺山氏の著書でもこの遺書は「優れた一篇の詩」として紹介されていた。

東京五輪当時、「二流の高校生ランナー」だった沢木氏が感じた疑問がもう一つ。優勝したアベベ・ビキラから3分以上遅れの2位で国立競技場のトラックに戻ってきた円谷氏は、ゴール直前で英国のベイジル・ヒートリーにあっさりと抜き去られる。実はこの時、彼は後方から迫るランナーの存在にまったく気づいていなかったという。

「自分はレース中は決して後ろを振り返らないから。」

と円谷氏は語ったが、沢木氏は、駆け引きが勝負となるマラソンにおいて、それは「ひとつの武器を常に放棄している」異様に行為と見た。しかもその理由が、子供の頃に運動会のかけっこで一等賞になったものの、途中で後ろを振り返ったことを優秀な軍人でもあった父親からこっぴどく叱られたからだと知り、沢木氏の中で、円谷幸吉という人物の人間像がおよそ「自分の意志」というものを持たない、従順な男と見えてしまったようである。

その後も「新事実」を明らかにした著書も刊行されたこともあり、今となっては、ここでの沢木氏が描いた円谷幸吉というランナーの肖像は、あまりにも一面的過ぎる、という批判も成立する。本書の「功績」(と言っていいかどうか)は、これまでは隠されていた、自殺の原因の一つである、彼の婚約破棄騒動を初めて明らかにしたことであろう。メキシコ五輪を前に、以前から交際していた女性との結婚を五輪以後にしろと上司から言われ、そんなには待てないという彼女から別れを切り出された彼は、周囲の反対を押し切ってまで彼女と一緒になろうという選択をすることが出来なかった。

彼女を捨ててまで選んだメキシコ五輪への夢。「次はもっといい色のメダルを。」という「国民との約束」を果たすことが絶望的となったことが彼が死を選んだ理由だったのか?

あるいは、発作的な衝動から死を選んだ、という同僚の声も紹介している。個人的にはそうであって欲しいと思う。死ぬということが本当に怖い、と思っている僕もこれまでの人生で何度か、自ら死にたい、と思ったことが少なからずあった。ただ、実行に移すだけの勇気か欠けていただけだ。

円谷氏を「『自我』などという代物とは無縁」と見なす沢木氏の、ノンフィクション・ライターとしてのデビュー作は防衛大学生や若き自衛隊員の心情に迫った「防人のブルース」という作品だった。あるいはそこでの取材で見聞きした自衛隊に対する印象が、「規矩の人」という円谷幸吉氏に対するイメージの形成に大きく影響したのではないかと思った。

既に僕も、この作品を書き上げた当時の沢木氏よりも20年以上生きてしまった。今だから若き日の沢木氏の物の見方を「浅い」と見ても、やむを得ないのかもしれない。やはり、これは「青春の一冊」と呼ぶべき本だ。10代のうちに読んでおくべき作品だと思う。


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