『北条義時公墓・新法華堂跡』では、平成17年の発掘調査で、「北条義時・新法華堂」の場所が特定できた旨を紹介しましたが、この近くには、以前から『北条義時やぐら』と呼ばれる「やぐら」が存在しています。
確かに「吾妻鏡」に記載されている通り、右大将家法華堂の東の山上を墳墓とすとの記載には合致する場所にあり、『北条義時公墓・新法華堂跡』からも、ほんの数分の距離にあります。
ただし、義時の墓は法華堂を建てておりますので、「やぐら」ではないので、ここではないかなとも思いますが、古くから云われているのには、何かしらの意味がありそうですね^^
『北条義時やぐら』・・・前後2室構造のやぐらになります。かなり傷んだ卒塔婆には「北条義時公○○証菩提也」と書かれています。
『北条政子やぐら』・・・義時やぐらの向かって左手のやぐらになります。
『北条義時やぐら』の行き方は、島津忠久墓・大江広元墓のl項目で触れた島津・大江の墓の参道階段前をそのまま通り過ぎていきます。
数分で左手に入口がありますが、この写真を見てもわかりませんよね。
入口です。よく目をこらすと石段みたいのが見えます。
何となく石段のような跡をたどっていきます。
『北条義時やぐら』までの道は、距離はたいした事はないのですが、わかりにくく、途中に急勾配の場所もあったりと、はっきりいって行くのに苦労します。
ちなみに、「鎌倉虎の巻」も、ここで2回も滑落しました^^:
行ってみようと考える奇特な方は、くれぐれも行く際には気をつけてくださいね。
「鎌倉虎の巻受難の地①」・・・ここで滑落しました。
「鎌倉虎の巻受難の地②」・・・ここでも滑落しました。