私は募金の類はしない。
何故かというと使い道がよく分からないから。
前年の決算書や活動状況の証拠写真でもあれば考えるけど
たいてい、そんなもの無いですからね。
それが唯一自ら進んでした募金がある。
しかも6000円!
月1000円しようと思ったんだけど
それだと私も受け取るほうも手間じゃなかろうかと、ボーナス時にまとめて。
それはワクチンへの募金。
「世界の子供にワクチンを日本委員会」という団体がやってるものである。
これは使い道がはっきりしてるし、活動状況も透明性があると思った。
だけど、何より「募金しよう」と強く思ったんだよね。
それに、なんとワクチンの価格なんですが
9円~114円なんですよ!
1000円の募金でも9円のだと約111個も買えちゃうんですよ!
なんか、すごい貢献できる気がしませんか?
自分が現場に行ってお手伝いする事は出来なくても
募金という形で参加できればいいかな、と。
先週の土曜日にテレビで「もし世界の人が100人だったら」?
だったっけ?の番組してましたね。
あーゆう番組見るたびに思ってたんですよね
自分にも何か役に立てる事があるのかな、って。
あのような番組を見て、彼らを可哀相と思い
涙を流したりするのは、
人として当たり前の優しい気持ちだと思う。
でも、私はひねくれてるのか
彼らを気の毒とは思うけど可哀相とは思わない。
だって彼らには、そんな気持ちは必要ないと思うから。
たぶん彼らに必要なのは
何か生活の為になるお金や食べ物・物だったり
教育だったり・仕事だと思うから。
しかし、そうは言っても難しい部分があるよね。
以前ボランティア(だったと思う)で
異国の地で義足を作る日本人の事をテレビで取り上げてました。
その国は地雷で足を怪我した人の多い国でした。
で、その日本人が義足を作ってあげる訳ですが
義足を手に入れた、とある人はその後どうしてたと思います?
義足を使って不自由がなくなり喜んで日々を送ったと思いますか?
違うんです。
なんと、何日か経つと義足を外して元の不自由な生活をしてるんです。
何故だと思います?
義足を付けてると物乞いでお金が貰えないからなんです。
これが現実なんですね。
う~~ん、こっちが良かれと思ってても
相手が望んでないとダメなんですよね、当たり前ですけど・・・
私も「何か出来ないかな・・・」とは思うけど、そう考えると難しいね。
それに以前JICAのHP見てみたけど、何の資格もない私はダメだったしね。
まぁ、そこまでする行動力も無かったりしますが・・・
で、そう思ってたところに、ワクチン募金を知り
「これなら自分にも出来る」と思ったんだよね。
もう約20年も前に出版された本
「トットちゃんのカルチャーショック」の中にも
人を助ける難しさが書かれてました。
現状は変わってるかもしれないけど、その内容はこう。
WHOの人達が、ある国のマラリアの根絶に一生懸命取り組んだ。
結果、病気は格段に減った。
しかし、それによって人口が爆発的に増加し
今度はその国の人達は食べるのに困るようになった。
農業生産の伸びより人口が増える方が早くなっちゃったんですね。
そして、なんと、その国の人々は
「お前達が来て余計な事をしたからだ」と言った、というもの。
その国の人達に良かれと思い一生懸命やった事だけど
された方は実は望んでなかったかもしれない、と・・・
う~~ん、、、、、、
本当に難しいですね。
自己満足に陥っちゃダメだしね。
私が募金するのは、自己満足的な部分が大いにあるかも・・・
でも、また機会があれば、
やっぱりワクチン募金はしようと思う。
しょっちゅうは出来ないけど、
振込用紙は貰ってるので又。。。