2004年のカリキュラム改革には、いろんな意味で思い入れがあります。
それまでのカリキュラム改正では、私は、どちらかというと、「受け身」で…まだ若く、経験もありませんでしたし、学内出身でしたから、「同僚」といっても周りは元「先生」ばかり。
民法パートは(と書くと、他のパートは違うの?と邪推されそうですが、そういう趣獅ナはありませんので、あしからず)、あまり上下関係に厳しくなく、助手時代から、話し合いの場では、スタッフの一人として対等に扱われました。しばしば「自由に発言しなさい」と促されてきましたので、意見は言いましたが、やはり心のどこかでは「上の人がきちんと決めて下さるだろう」という甘えがありました。
私が入社した93年当時のスタッフは、先ごろ亡くなられた加藤正男先生が最年長、佐藤義彦先生は50代半ば、40代後半の吉田眞澄先生(現 帯広畜産大学)と田井義信先生がおられ、上田先生は30代になったばかり、私はまだ20代!?!
しかし、その後、95年3月に加藤先生、2000年8月に吉田先生、2009年3月に佐藤先生が大学を去られました。田井先生は2004年からLS兼任となり、その後、LSに移籍されました。
もちろん、私の就職から6年ほどして、林貴美先生(2006年度から国際私法パートへ移籍)、2003~2004年に北山修吾先生(本学LSを経て、現 成蹊大学)、野々村先生、川和先生、2007年に神谷先生、2009年に荻野先生が着任されました。
でも、2004年のカリキュラム改正が議論された当時、佐藤先生や田井先生はLS設立に奔走しておられましたから、学部の改革議論に関われるのは上田先生と着任したばかりの北山先生と林先生と私…
否応なしに、自分も考えなければならない状況に追い込まれたわけです。
30代後半、かなり遅めの「目覚め」です。
それまでは、「こうだったらいいのにな」程度の意見を思いつくままに言うだけ…
けれど、カリキュラムを作成するとなると、内容だけでなく、マンパワー、既存科目との「読み替え」なども考慮し、実現可能かどうかを考えなければなりません。
何より、2004年の改革は、「法科大学院設置後の学部教育の在り方」が特別の委員会で議論され(何しろ、巷では「法学部不要論」が叫ばれていたのですから、死活問題です)、そこで定められた方針に従って各分野のカリキュラムを考える、という手順で行われましたから、「民法はこうする」が通らない…「足並み」を揃えることが求められたわけです。
もっとも、「足並み」を揃えるにも限度があって、分野によって事情は異なります。
例えば、憲法の内容は中学から教えられていますから、他の法分野のように「初学者」ではありません。
民法は、商法、労働法、知的財産法などの「土台」となる法律ですし、民事訴訟法、刑事訴訟法などの手続法は、実体法の内容を実現するための法律ですから、全ての法律を「よーいドン」と一斉スタートというわけにはいきません。法律学には学ぶ順序がありますからね。
司法試験その他資格試験の必修科目と選択科目…もちろん、必修だから大事、司法試験科目に入っていないから大事じゃない、という意味ではありませんが、「学生さんから求められる教育」はおのずと異なりそうです。
「足並みを揃える」とは、本来、科目の特性を考慮して「実質的な足並み」を揃えなければ意味がありません。しかし、これには、大変な時間や労力が必要です。他方、科目の特性に関わらず、「形式的な足並み」を揃えるのは簡単です。例えば、基礎科目はどの分野も、つまり、憲法も民法も労働法も国際法も基礎法も1科目、配当は全て1年春か秋に機械的に割り振る…とかね。でも、これじゃあ、教育効果はあがらないでしょう。
2004年のカリキュラム改革では、その中間の道がとられました。
つまり、統一の枠組み(基礎科目・発展科目の二段構え。基礎科目は1年春から2年春、発展科目は2年秋以降)は設定する、けれど、そこに入れる科目の内容や数は分野の判断に委ねる…
加えて、基礎科目には「今後の学習の基礎」という従来の入門科目に求められていた内容のほか、「法学部卒業に必要な最低限度の知識の習得」というコンセプトが掲げられました。
両者は果たして矛盾しないのか、わずか1年半で「法学部卒業に必要な最低限度な知識」が身につくのかには疑問もあるでしょうが、後者は少なくとも肯定しないと、法科大学院制度の基礎が揺らぎます。法科大学院では、初学者がわずか1年で「法学既習」レベルに達するという建前ですからね(それが本当に「建前」であったことは、未修コースに純粋未修者がわずかしかいないこと、純粋未修者が卓抜した能力を有する人以外、桁外れの努力を強いられ、必ずしも報われていないことで、よくわかりますが)。
それまで学部在学中から受験できた司法試験が、学部卒業後、「法科大学院」を経なければ受けられなくなる…その事実が、当時のカリキュラム改革にどれだけの影響を与えたことか。「法曹養成」の役割を失った(実は、失わなかったんですが!)法学部が目指すのは「法律の素養を備えた社会人の養成」!?
ま、とにかく、現役生が今、学んでいる現行カリキュラムは、こういうコンセプトで作られたのです。
それまでのカリキュラム改正では、私は、どちらかというと、「受け身」で…まだ若く、経験もありませんでしたし、学内出身でしたから、「同僚」といっても周りは元「先生」ばかり。
民法パートは(と書くと、他のパートは違うの?と邪推されそうですが、そういう趣獅ナはありませんので、あしからず)、あまり上下関係に厳しくなく、助手時代から、話し合いの場では、スタッフの一人として対等に扱われました。しばしば「自由に発言しなさい」と促されてきましたので、意見は言いましたが、やはり心のどこかでは「上の人がきちんと決めて下さるだろう」という甘えがありました。
私が入社した93年当時のスタッフは、先ごろ亡くなられた加藤正男先生が最年長、佐藤義彦先生は50代半ば、40代後半の吉田眞澄先生(現 帯広畜産大学)と田井義信先生がおられ、上田先生は30代になったばかり、私はまだ20代!?!
しかし、その後、95年3月に加藤先生、2000年8月に吉田先生、2009年3月に佐藤先生が大学を去られました。田井先生は2004年からLS兼任となり、その後、LSに移籍されました。
もちろん、私の就職から6年ほどして、林貴美先生(2006年度から国際私法パートへ移籍)、2003~2004年に北山修吾先生(本学LSを経て、現 成蹊大学)、野々村先生、川和先生、2007年に神谷先生、2009年に荻野先生が着任されました。
でも、2004年のカリキュラム改正が議論された当時、佐藤先生や田井先生はLS設立に奔走しておられましたから、学部の改革議論に関われるのは上田先生と着任したばかりの北山先生と林先生と私…
否応なしに、自分も考えなければならない状況に追い込まれたわけです。
30代後半、かなり遅めの「目覚め」です。
それまでは、「こうだったらいいのにな」程度の意見を思いつくままに言うだけ…
けれど、カリキュラムを作成するとなると、内容だけでなく、マンパワー、既存科目との「読み替え」なども考慮し、実現可能かどうかを考えなければなりません。
何より、2004年の改革は、「法科大学院設置後の学部教育の在り方」が特別の委員会で議論され(何しろ、巷では「法学部不要論」が叫ばれていたのですから、死活問題です)、そこで定められた方針に従って各分野のカリキュラムを考える、という手順で行われましたから、「民法はこうする」が通らない…「足並み」を揃えることが求められたわけです。
もっとも、「足並み」を揃えるにも限度があって、分野によって事情は異なります。
例えば、憲法の内容は中学から教えられていますから、他の法分野のように「初学者」ではありません。
民法は、商法、労働法、知的財産法などの「土台」となる法律ですし、民事訴訟法、刑事訴訟法などの手続法は、実体法の内容を実現するための法律ですから、全ての法律を「よーいドン」と一斉スタートというわけにはいきません。法律学には学ぶ順序がありますからね。
司法試験その他資格試験の必修科目と選択科目…もちろん、必修だから大事、司法試験科目に入っていないから大事じゃない、という意味ではありませんが、「学生さんから求められる教育」はおのずと異なりそうです。
「足並みを揃える」とは、本来、科目の特性を考慮して「実質的な足並み」を揃えなければ意味がありません。しかし、これには、大変な時間や労力が必要です。他方、科目の特性に関わらず、「形式的な足並み」を揃えるのは簡単です。例えば、基礎科目はどの分野も、つまり、憲法も民法も労働法も国際法も基礎法も1科目、配当は全て1年春か秋に機械的に割り振る…とかね。でも、これじゃあ、教育効果はあがらないでしょう。
2004年のカリキュラム改革では、その中間の道がとられました。
つまり、統一の枠組み(基礎科目・発展科目の二段構え。基礎科目は1年春から2年春、発展科目は2年秋以降)は設定する、けれど、そこに入れる科目の内容や数は分野の判断に委ねる…
加えて、基礎科目には「今後の学習の基礎」という従来の入門科目に求められていた内容のほか、「法学部卒業に必要な最低限度の知識の習得」というコンセプトが掲げられました。
両者は果たして矛盾しないのか、わずか1年半で「法学部卒業に必要な最低限度な知識」が身につくのかには疑問もあるでしょうが、後者は少なくとも肯定しないと、法科大学院制度の基礎が揺らぎます。法科大学院では、初学者がわずか1年で「法学既習」レベルに達するという建前ですからね(それが本当に「建前」であったことは、未修コースに純粋未修者がわずかしかいないこと、純粋未修者が卓抜した能力を有する人以外、桁外れの努力を強いられ、必ずしも報われていないことで、よくわかりますが)。
それまで学部在学中から受験できた司法試験が、学部卒業後、「法科大学院」を経なければ受けられなくなる…その事実が、当時のカリキュラム改革にどれだけの影響を与えたことか。「法曹養成」の役割を失った(実は、失わなかったんですが!)法学部が目指すのは「法律の素養を備えた社会人の養成」!?
ま、とにかく、現役生が今、学んでいる現行カリキュラムは、こういうコンセプトで作られたのです。