Kajitama News

同志社大学法学部梶山ゼミの連絡板です。

4年最終ゼミ

2011-01-28 10:55:00 | 12期生(2011年3月卒)
4年生最終ゼミは出席が7名、2名は就職活動、1名は体調不良、1名は昨年末から取り組んでいる活動により欠席…ちょっぴり淋しい最終回です。

と思っていたら、前日の夜、会計のTさんからメールがまわりました。
「せっかくの最終ゼミだから、ケーキ用意します!」
だから、最終ゼミには、北山・マールブランシュのケーキがずらり…
何だかだいって、この学年、こうした「ゼミで何か食べる」企画が多いのです。

前回に引き続き、ゼミ論の報告が行われました。

1人目は、更新料特約の有効性について。
この学年は3年生の後半、賃貸借契約の敷引特約や更新料特約の有効性に関して争われた様々なケースにつき、消費者契約法との関係で検討しました。
賃料のほかに更新料を支払うことはホントに必要なのか、との素朴な疑問から出発し、3つの下級審判例の判断の枠組みを検討するものでした。
報告者は、食品関係の企業で働く予定です。

続いては、少し大きな話…
民法改正にあたり、消費者法を取り込む、との構想に関する検討です。
民法の想定する「人」を「消費者」にしてしまうのならともかく、今の「人」のほかに「消費者」概念を取り込み、併存させるのはおかしくないか…
と、民法の想定する「人間」像に着目したもので、これは、いかにも報告者らしい「こだわり」でした。
報告者は、春から地方公務員です。

ちょうど、この段階で「ケーキ配ろか」と中休みが入り…
「その隙に報告してしまいます!」と前に出たのが唯一の共同研究、被害者の素因と722条2項。
もっとも相方は先月からスキー場にこもりきり!?
「仕上げは頼む」と任された段階ではまだ完全に程遠い状態であったと思いますが、11月末、仮提出した原稿を梶山にケチョンケチョンにけなされた後、優しいTAさんに助けられ、何とか形になりました。
被害者の有する身体的特徴や性格が損害を拡大させた場合、722条2項の過失相殺規定の類推を用いた対応がどこまで許されるのかを検討。
報告の際に時々出てくる「僕たち」の言葉に、「あ、そうだった、これは共同研究だったっけ…」。
秋に起こった、まさかの「ゼミ中断」事件を引き起こしたのも、このテーマ。それだけに、冒頭、「事故ったテーマで…」との自虐的な一言に、思わず「いろんな意味でね」「はい、いろんな意味で…」。
報告者は地方公務員として、不在の相方は製造系企業で働きます。

最後は、「レジュメはあるけど、テーマ変えたばかりだから、報告できません」。
テーマを変えたというか、焦点のあて方を変えたので、まだ煮詰まっていないらしい…
ま、その「違い」、それゆえの「未完成」が気になるのは、報告者が優秀だから、なのですが、せっかくの最終ゼミだし、現段階での構想でよいから…となだめ、話してもらいました。
テーマは、労働者が過労により精神的にダウンし、自殺してしまった場合の使用者の責任を認めた電通事件判決。もともとは因果関係や、被害者の資質による減額(となると、まさに一つ前の報告と重なりますが!)を取り上げる予定でしたが、年明けから、使用者の安全配慮義務に焦点をあてることに…でも…と、まだ思案中の様子。
幸い、もう試験は関係ないので、論文に専念できます。
報告者は製薬会社で働きます。

授業終了後、一足先に教室を出るNくんが「2年半お世話になりました」と、みんなに挨拶。
あぁ、最終ゼミなんだな、と実感しました。
ホントにいろいろあって、私自身、怒ったり、笑ったり、心配したりした学年でした。何かあるたび、「これじゃあいけない」と何度も立ち上がり、また転んで、立ち上がって…の繰り返しの学年でした。
でも、人数が少なく、幹事的存在がいない分、「1人1人が幹事」というモットーには、一番近い学年であったかもしれません。

最後の試験を頑張って、卒業式には、みんなで会いましょう。
私も、できるだけ抜釘手術を早めに終えて、卒業式の日には、支障なく(謙虚になったので「しゃきしゃき」とか「すたすた」とか、無理な目標はたてません)歩けるようにしておきます。



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3年最終ゼミ

2011-01-28 10:54:00 | 13期生(2012年3月卒)
3年生の最終ゼミはゴチバトル。
TAさんが出町柳セ ラ ヴィ―のケーキを人数分仕入れてきてくれました。
ただ、フォークは「あ、忘れた!」
なので、みんな、まるで焼き芋でも食べるようにワイルドな食べ方で…思えば、TAさんの11期生はしょっちゅうケーキを買ってきて(なんと、月ごとに誕生会をしてました。ここは幼稚園か!)、ホールケーキを1~2本のフォークで回して食べてました。ま、たまには、こういうのもいいでしょう。

残念なのは欠席3名…これは就活時期だから仕方ないとして、全て事前連絡なし、2名は人づて、1名は無断であったことです。
1名の無断欠席は年末から続いていますので予想がつきましたが、2名はTAさんがケーキを用意することも知ってたんじゃないのかな…
これから社会人になろうとしているのだから(説明会への出席ということは、そのために休んでいるんだから!)、休むときの連絡はもちろん、そのタイミングも気をつけましょう。

さて、ゴチバトルですが…
先週、くじ引きで、「よく調べる」系と「よくしゃべる」系が被告側に偏ってしまったうえに、原告側の貴重な柱が1本、体調不良で欠席だったことから、「あまりにアンバランスだから、1回トレードしよう!」。
で、原告側は「無断欠席中の人」、被告側は「じゃんけんで負けた人」を出して交換。「じゃんけんで負けた人」が資料をたくさん持ってきていたので、被告側が焦っていましたが、まあ、これで声の音量的には何とか五分五分。
…という調整を経ての本番です。

焦点は、置き石に関する話し合いに参加していた人が、実際、自らは置き石をせず、むしろ、気づいた分の置き石は自ら撤去していた場合、他の置き石に気づいていなかったとしても、置き石による列車事故が起こってしまった場合は、不作為による不法行為責任を負うのか…
話し合いに参加し、現場にもいて、他のメンバーと一緒にガムや小石を置いていて(「ガムを置いたのは何故かな、車輪が粘って止まると思ったのかな」というしょーむない話で、一時盛り上がりましたが!)、しかも大きな置き石に気づいて撤去もしていた以上、その場にある置き石の全てを除去する義務があるのだ、と原告。
自分で置き石したなら、それが先行行為となり、置き石を除去する義務が発生するけれど、他人の置き石にまで責任を負う必要はないと被告。

不作為の不法行為というのはちょっと難しくて、もちろん、「何かしたから何かが起こった」というのと、「何かしなかったから何かが起こった」というのは同じように見えるけど、「何かしなかった」という人はその人以外にもたくさんいて…その中で不法行為責任が問題となるのは、ただ漠然と「何かしなかった」のではなく、「何かせなあかんのに、しなかった」場合です。
この「何かせなあかんのに」というのが「作為義務」と言われるもので、どういう場合に「作為義務」、この事案では「他人の置き石を除去する義務」があるかが問題なのです。
これは、まずは「何かしなかったから」という因果関係の話として出てきます。つまり、「何かしなかったから何かが起こった」としても、その責任を「何かしなかった人」に負わせるには、その人の故意や過失が要ります。過失を「予見可能性を前提とした結果回避義務違反」とすると、「何かが起こることが予想できたのだから、それが起こらないように何かしなければならなかったのに、何もしなかった」…あれ?さっきの作為義務の話とどう違うの?!

この点、被告側は用意されたレジュメ(「ゴチになりますレジュメ」という挑発的なタイトル付き)で言及していましたが、原告側はやや混乱ぎみ。
「置き石を予見できた」「置き石を予見すべき」と言葉使いにも微妙なブレがあり、形勢としては被告側が有利。ただ、全員の下調べ量は原告側がまさっていて、原告側のかなり暴走ぎみの主張に被告側は決定的な(意味のある)反論ができません。

おまけに、「独り言なんですけど…」の前置きで自説を語り出すスタイルが流行り(?)、延々語った揚句、「ま、これは独り言なんで、討論には関係ないんですけど」!?!
立場固定の討論が難しいのです。
「独り言を封じたら、発言量がぐんと減りますよ」
うん、まぁ…しかし、みんな自由すぎる…

結局、どちらも一長一短、引き分けとなり、ケーキ代は私が負担することになりました。
何かスキッとしないな…

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2年最終ゼミ

2011-01-28 08:51:00 | 14期生(2013年3月卒)
月曜日は、2年最終ゼミでした。
早いもので、「初めまして」から、もう4ヶ月経ったわけです。

ラストの課題は医療過誤…冬休み前までは、そもそも医療過誤にあたるかどうかを一生懸命に検討していたのですが、先週からは、医師に過失があったとして、果たして損害賠償を請求できるのか、できるとして、どんな損害なのかを考えています。
医師の不作為により人が死亡した、というオリジナル事例です。すぐに適切な処置をして救命できた確率は50%だった場合にはどうなる?…という問題に対し、優秀な学生さんたちは、すぐ平成11年と平成12年の最高裁判決を探し出してきてくれました。

平成11年判決は、不作為の因果関係にも、昭和50年のルンバール判決で示された「立証の程度」があてはまる(「一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性」の証明で足りる)ことを示すとともに、適切な治療がなされた場合の延命期間が認定できなくても(つまり、医療過誤により、どれだけ命が短くなったかを示さなくても)、「患者がその死亡の時点においてなお生存していたであろう」ことを証明すればよいとしたものです。
他方、平成12年判決は、医療水準にかなった医療が行われない場合に、医療行為と患者の死亡の因果関係が証明されなくても、医療水準にかなった医療が行われていれば「患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性」が証明されれば、医師の不法行為責任を認める、というものです。

一つの班は、「相当程度の可能性」というのは「因果関係」の話だと理解して、立論してきました。つまり、救命確率50%なのであれば、高度の蓋然性までは至らないけれど、50%分の因果関係は証明されていて、それでよいという趣獅ネのだ、と。
もう一方の班は、「相当の可能性」というのは生命そのものとは異なる法益なのだ、と理解し、平成11年判決は、死亡時点での生存可能性が100%であったのに対し(だから、それが侵害されるのは生命そのものの侵害)、平成12年判決は、それがもっと低くても保護の対象となることを示したのだ、と。

面白いね…
同じ判決を読んでも、「読み方」が異なるのです。
そしてね、それは決して「2年生だから」ではなく、プロの間でも「読み方」が異なる…この2つの判決については、まさに、あなたたちが「対立」したのと同じような形で「対立」しているのです。

少し勉強している人(特に、旧司法試験を勉強していて、何年も合格しなかった人)に一つの論点を示すと、「判例、A説、B説、C説…」と列挙し、各学説の内容や長所、短所など、立て板に水のごとく語ってくれるのだけど、自分の頭で考えた形跡がなく、ちょっと違う観点から質問すると、たちまち沈黙してしまうことがよくあります。
けれど、判例も学説も、何もないところに突然湧いてきたものではなく、しかも、「よーいドン」とばかりに一斉に出てきたものでもなく…
ある事実があって、法律があって、事実をその要件にあてはめていく際に、そのままでは「あてはまるのかどうかがビミョー」なものがあり、そこで「文言の解釈」がなされるのです。裁判所が現実の紛争を前に解釈し、あるいは、学者が、あり得るべき紛争を想定して解釈し…それが、判例や学説となりますが、一度出された見解に対しては、当然、批判がなされ、修正案が提示され、これに反論がなされ…
それを「A説、B説、C説…」と一覧表にまとめ、「さて、どれがいいでしょう」「じゃあ、A説にしときます」なんていうのは、何だかおかしい…
(もっとも、皮肉なことに、最近のロー生の一部(多数?)には、この「丸覚えの知識」さえないので、むしろ「丸覚えの知識」だけでも持っていた旧試組のほうが指導しやすかった、という声があがっているのも事実ですが…?!)

「日常生活と民法」で不法行為の基礎を学んでいるとはいえ、少し難しい課題だったと思いますが、内容は高学年になってから、また改めてじっくり勉強すればよいでしょう。
「柔らかい頭」の2年生にこそ、自分たちで判例その他の文献を「読み解く」こと、「考える」ことを体験してもらいたい…
と、私は思うのです。
「平成11年判決のような考え方から、逸失利益というものは観念できるのだろうか」とIくん。
よい指摘です。そうした「気づき」に接すると、うれしくなります。

さて、2年ゼミは、これでおしまいです。
ゼミは事実上、2年半で運営されていますが、制度上は2年、3年、4年とそれぞれ別のクラスであり、自動継続ではありません。
引き続き履修してもよいですが、別のゼミに移ってもかまいません(ただ、3年からの受け入れのないゼミもありますから、事前に確認するようにして下さい)。
縁があったら、また一緒に勉強しましょう。

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季節はずれですが・・・

2011-01-27 11:14:00 | Kajitamaの近況・つぶやき
季節はずれではありますが、しばらくは、「ひまわり」のデザインにします。

今日はAくんの告別式です。
もうすぐ始まりますが、「身内だけでひっそりと」というご遺族の意向で、参列することはできません。
ホントは、棺にひまわりの花を入れてあげたかった・・・
Aくんが望んでいた、ひまわりバッチの代わりに。

昨夜から今朝にかけて、Aくんの訃報に接したゼミ生から「何も考えられない」「頭の中が真っ白」「気持ちの整理がつかない」というメールが続々と届いています。
私も同じ気持ちです。
だけど、私たちは前に歩いていかなければなりません。

Aくんは確かに私たちとともにいました。
このサイトの過去記事には、ところどころ、「さすらいぱんだ」というHNでの書き込みが見られます。
体調をくずしてからも、Aくんは、毎日、カジタマニュースを読んでくれていたそうです。
今、このサイトを見たら、Aくんのことだから、「お、オレが主役になってるじゃない!」と喜び、「もっといいこと書いて下さいよぉ。うるさいとか、ばっかりじゃないですか」とすねるでしょう。

「ゼミ生で集まって、Aくんの思い出話をしたいですね」と元TAのSさんがメールに書いてくれていました。
そうだね、多分、笑って思い出話をするにはもう少し時間がかかるだろうけれど・・・
それまでは、各人、Aくんのことを時々、思い出してください。このサイトが役立てば、うれしいです。

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パンダ

2011-01-27 01:05:00 | 8期生(2007年3月卒)
火曜日で今学期の授業が全て終わり、やれやれと気が抜けてしまったのか、帰り道、急に気分が悪くなり…そのまま、水曜日の昼すぎまで、ぐったり休んでいました。

ようやく回復し、活動し始めた矢先、8期生のIさんから、悲しい知らせが届きました。
8期生のパンダことAくんが昨日亡くなった、と…

去年の春、8期生の司法修習生2人が訪ねてくれた折、Aくんの具合が悪いことは聞いていました。
すぐにメールしたら、長い返事をくれました。
カジタマニュースをいつも読んでいること、体調が悪くて弁護士になる約束は果たせないかもしれないこと、ローに入って法律の勉強が、そして私が話していたことが少し分かったこと(12月8日の記事に引用したのは、Aくんの言葉でした)、だから私に会いたいけど、今は具合が悪くて会いにいけないことが綴られていました。

いつとは約束できないけど、必ず会いに行くからと書いてくれていて…それがあまりに普通で、明るい調子だったから、「うん、待ってるね」と。
客観的に見れば、実現可能性は低かったのかもしれないけれど、何となく、いつもの赤い車に乗って会いに来てくれるような気がして…
でも、会いにいけばよかった…
嫌がっても、入院先を聞き出して押しかければよかった…

Aくんに初めて会ったのは、多分、Aくんが1年生の秋、今出川での民法総則の授業…
教務課から、事前に「受講者に車椅子の学生さんがいますので、配慮してください」と連絡が入っていたので、初回の授業終了後、不都合がないかと直接声をかけました。
「大丈夫です」

その言葉どおり、後に私のゼミ生となり、卒業するまで、彼は私に特別の配慮を求めることはありませんでした。
いつも明るく、にぎやかで、私に「パンダ、うるさい!」と叱られていました。人一倍、「気ぃ使いぃ」で、けれど、それを悟られまいとしばしば毒舌をはき…ゼミ論集の費用が思ったよりかかることを知らせたら、「思い出になるんだから、いいじゃないか!」と一番に声をあげてくれたのは、Aくんでした。
段差や階段では、ゼミ生がごく自然に車椅子を担ぎ、Aくんは「おい、落とすなよ」とエラソーに振る舞い、みんなから「うるさい!おとなしくしろ!」と言われていましたが、これまた彼の気の使い方で…「車椅子だから…」と変な気を使われるのが嫌だったのでしょう。

昨日の帰り道、急に具合が悪くなったのは、虫の知らせか…
パンダ、君と会えて楽しかったよ。
でも、パンダ、ひまわりバッチの約束も、会いに来る約束も、何も果たさないのはずるいじゃないか…

パンダが嫌がるだろうから、できるだけ、明るくサラッと追悼を書きたかったけど、やっぱり無理…
つらいな…

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