歴史を感じる…
勤労感謝の日の、日付が変わるころ、
今日という日は、
道長の詠んだ望月(満月)の日から数えて
ちょうど1000年目に当たるというニュースを目にしました。
学校で習った「望月の歌」を覚えていますか?
平安時代に藤原道長が詠んだ和歌です。
~この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば~
ネット上では、
「なんて素敵」
「めっちゃ風流」
「エモくない?」
「必見」
…など、話題になっているとのこと。
即、ベランダから空を見上げましたが見当たらず、
上着を引っ掛けて、外に出ました
日付の変わる23時50分ころ、
その満月は、頭上を高く高くのぼっていました。
ベランダからは見えないはずです。
藤原道長といっても、
名前だけしか知りません
ウィキペディアによると、
時代
平安時代中期
生誕
康保3年(966年)
死没
万寿4年12月4日(1028年1月3日)
官位
従一位、摂政、太政大臣、准三后
主君
円融天皇→花山天皇→一条天皇→三条天皇→後一条天皇
氏族
藤原北家御堂流
父母
父:藤原兼家、母:藤原中正娘・時姫
兄弟
道隆、超子、道綱、道綱母養女、道兼、詮子、道義、道長、綏子、兼俊
妻
正室:源雅信娘・鷹司殿
側室:盛明親王養女・高松殿
妾:源扶義娘・簾子、源重光娘、
藤原為光四女・儼子、藤原穠子
子
彰子、頼通、頼宗、妍子、顕信、能信、教通、寛子、威子、尊子、長家、嬉子、長信
京都新聞の記事では、
----------------------*-----------------------
「望月の歌」は藤原実資の日記「小右記」の1018(寛仁2)年10月16日の条に記されている。
3人の娘がみな后(きさき)になることが決まった日で、権勢を満月にたとえた歌とされる。
新暦で言えば11月に当たり、今月の満月は23日に日付が変わる頃に迎えるという。
道長が「望月の歌」を詠んだ土御門第跡である上京区の
京都御苑内の仙洞御所近くからこの日、夜空を見上げた。
日が沈んでしばらく雲に覆われていた月が午後6時頃に姿を現した。
流れる雲の間からさまざまな表情を見せながら美しい輝きを放った。
【 2018年11月21日 20時20分 】
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1000年という時間を、実感させてくれた「望月」でした
勤労感謝の日の、日付が変わるころ、
今日という日は、
道長の詠んだ望月(満月)の日から数えて
ちょうど1000年目に当たるというニュースを目にしました。
学校で習った「望月の歌」を覚えていますか?
平安時代に藤原道長が詠んだ和歌です。
~この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば~
ネット上では、
「なんて素敵」
「めっちゃ風流」
「エモくない?」
「必見」
…など、話題になっているとのこと。
即、ベランダから空を見上げましたが見当たらず、
上着を引っ掛けて、外に出ました
日付の変わる23時50分ころ、
その満月は、頭上を高く高くのぼっていました。
ベランダからは見えないはずです。
藤原道長といっても、
名前だけしか知りません
ウィキペディアによると、
時代
平安時代中期
生誕
康保3年(966年)
死没
万寿4年12月4日(1028年1月3日)
官位
従一位、摂政、太政大臣、准三后
主君
円融天皇→花山天皇→一条天皇→三条天皇→後一条天皇
氏族
藤原北家御堂流
父母
父:藤原兼家、母:藤原中正娘・時姫
兄弟
道隆、超子、道綱、道綱母養女、道兼、詮子、道義、道長、綏子、兼俊
妻
正室:源雅信娘・鷹司殿
側室:盛明親王養女・高松殿
妾:源扶義娘・簾子、源重光娘、
藤原為光四女・儼子、藤原穠子
子
彰子、頼通、頼宗、妍子、顕信、能信、教通、寛子、威子、尊子、長家、嬉子、長信
京都新聞の記事では、
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「望月の歌」は藤原実資の日記「小右記」の1018(寛仁2)年10月16日の条に記されている。
3人の娘がみな后(きさき)になることが決まった日で、権勢を満月にたとえた歌とされる。
新暦で言えば11月に当たり、今月の満月は23日に日付が変わる頃に迎えるという。
道長が「望月の歌」を詠んだ土御門第跡である上京区の
京都御苑内の仙洞御所近くからこの日、夜空を見上げた。
日が沈んでしばらく雲に覆われていた月が午後6時頃に姿を現した。
流れる雲の間からさまざまな表情を見せながら美しい輝きを放った。
【 2018年11月21日 20時20分 】
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1000年という時間を、実感させてくれた「望月」でした