街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

湯平へ行く

2010-07-26 10:16:03 | 街道関連

 シンプルイズザベスト・ご覧のように湯船しかない。周りの壁は少し洒落たようだ。
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延永ヤヨミ園遺跡 その後×?

2010-07-26 10:15:26 | 遺跡

 折り重なったように住居跡が検出されている。何度も建て替えられた様子も窺える。
 住居密集地帯であることもよく判る。しかしながら、奈良時代前半で忽然と消えてゆくのである。
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朝顔 観察日記

2010-07-26 10:00:47 | 朝顔 花

 両者とも蔓を伸ばす基礎が出来てきた。羽衣の早いものでは蔓を見せている。
 横に平行脈状の葉が見えると思うが、これは戸畑アヤメである。これは地下茎が伸びて四株がすこし離れた所に出来ている。
 これらは株分けをして育てなければならない。
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綾塚古墳

2010-07-25 10:15:28 | 福岡 古墳



 巨石を用いて築造されていることもさることながら、羨門の美しさが際立っている。
 門という感じが顕著である。

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湯平へ行く

2010-07-25 10:08:33 | 街道関連


 左側が脱衣場であり、単純明快な湯船である。
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朝顔 (観察日記)

2010-07-25 10:07:20 | 朝顔 花
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延永ヤヨミ園遺跡 その後×?

2010-07-25 09:56:51 | 遺跡

 発掘が東九州自動車道より先に南進してゆく。断りを得て発掘現場に足を入れる。
 住居跡が発掘されている。この地域では住居跡のみが検出されている。密度の濃い住居跡で、所謂住宅街であった。住宅街があれば必ず墓域がなければならない。残念ながらこの地ではまだそれが発見されていない。族長、首長、支配者なのか、まだそれは判らぬ。また、少し離れて大塚古墳のような装飾古墳が発見されているので、この地もそれを期待したいのである。
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湯平へ行く

2010-07-24 07:26:03 | 街道関連

 川の高さに下りて「砂湯」に来た。

 上流は目の高さよりも高い所にあるのが判る。これを見ると大雨になればいっきに流れ落ちてくるので、この温泉が川に沈むのも頷けるだろう。
 川の流れが速いので気温が下がり涼しく感じる。気持ちがよい。
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綾塚古墳

2010-07-24 06:48:38 | 福岡 古墳


 
 第12代景行天皇(71年~130年)は、 八尺入日子命の娘、八坂入日売命を妃とし、若帯日子命を産む。若帯日子命は第13代成務天皇である。
 また、小倉南区朽網には景行天皇が立たれたと言われる帝踏岩がある。最も有名なのは日本武尊の父であることであろう。但し、八坂入日売命は日本武尊の母ではない。

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大塚古墳 その後×?

2010-07-24 06:40:01 | 福岡 古墳


今までは東から見てきたが、これは斜面下の道路から見ている。これは西方向となる。向うに立ち木が見えるが、官道はこの向うを通り、豊前国府へ向う。

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