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街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

またもや汐湯だ(母)

2010-02-22 07:02:47 | 中津街道

 足元にご注意願いたいが、鳥居から延びる参道が今までただのコンクリートを打ったものから変って滑り止めになり、石段部分にスロープが取り付けられている。

 龍ノ口からゆるゆると右に弧を描いて山門に入るが、ここも石段脇にスロープが出来ている。当然のように参道の昔の面影はないのだが、人に優しいのはいいことである。
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またもや汐湯だ(母)

2010-02-21 07:54:35 | 中津街道

 雨に濡れた石の参道を冬の間隙を縫った暖かい陽射が反射して眩しかった。
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雛めぐり

2010-02-21 07:46:18 | 秋月街道


 ご婦人方が接待のお茶を用意してくれているようである。チラシを見ると善哉は3月3日に出すようなことが書かれているのである。あてが外れた。世の中上手くいかないものだ。
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延永ヤヨミ園遺跡その後後後

2010-02-21 07:32:32 | 遺跡

 広い範囲で発掘している場所に足を踏み入れているが、ことわりを言うと一も二も無く「どうぞ」だった。いやーありがたい現場である。母は足元がおぼつかないので踏み入れることはしなかったが私の姿を見ているのだった。私はそれを尻目に喜び勇んで邪魔したのである。と言っても作業する人達には迷惑をかけることはしないし、表土の上には立ち入ってはいない。

 聞いたところによるとこの現場域だけで200~300の住居跡が検出されたそうだ。
 古墳時代であることは判っているのだが、古墳時代は2世紀中葉から7世紀と幅が広いのでどの世紀かが判れば面白い遺跡になろう。
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延永ヤヨミ園遺跡その後後後

2010-02-20 10:19:22 | 遺跡

 向うにと言われてその方向を見やると広くを発掘している。おっ、面白そうだ。

 後で判ったことではあるがここは中世の遺跡であった。はっきり言って私には興味が無い。ただ片隅に古墳時代の住居跡が検出されているということであった。
 ここを早々に離れてそそくさと向うの発掘現場に行ったのである。ただし、母の足元に気をつけながらということは言うまでもない。
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雛めぐり

2010-02-20 10:01:07 | 秋月街道

 雛めぐり本会場で一休みしている。所謂「さげもん」と言われるものがデフォルメされたお雛様を飾っている。我々ははっきり言って雛人形のことなど全くもって判らない。三人官女、五人囃子、右近の橘、左近の桜、これくらいで十分だろうと思うのだが。
 「さげもん」は其々が意味を持つ七種(ななくさ)が繋げられているのである。
 所謂 七、五、三という陰陽五行説からきているものと思われる。

 手作りの小物などがならんでいるが本会場というわりには少し寂しい気がする。
 まだ二、三年だからしょうがないかもしれん。此処から先の「雛めぐり」という言葉に少々不安が出てきた。
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またもや汐湯だ(母)

2010-02-20 09:45:30 | 中津街道

 古表八幡宮の額を見ると「八」の字がやはり鳥の形をしている。やはりと言うのには理由があって、「どんど焼き」が行われた風治八幡宮の「八」の字も鳥であった。
 平和を象徴する「鳩」だと言うものと、神武天皇を道案内した八咫烏ではないかと言うものがあるが、どちらともに見えるから深く考えまいと思うが、母は烏だと言う。私も平和の象徴という鳩では戦後の考え方であろうからやはり烏だと思っている。

 母の笑顔がありがたいな。
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雛めぐり

2010-02-19 10:07:16 | 秋月街道

 ここは後藤寺商店街だが、古は秋月街道であった。街道がアーケードで覆われているのである。地方の商店街はご多分に漏れず所謂シャッター街になっている。ご覧の通りである。

 雛めぐりをするのなら、母か、妻か、ではなくて、かの「どこかいきません」の彼なのである。
 別に目的があるわけではなく、車に乗り込んでから地図とにらめっこをして「~に行きましょう」と決った訳だ。
 走っている途中に私が「おっそうだ。善哉が食えるかもしれんぞ。」「じゃあそっちに行きましょう」 なんのことはない意地汚いだけで此処まで来たのである。まったく目的なぞありゃしない。
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延永ヤヨミ園遺跡その後後後

2010-02-19 09:51:36 | 遺跡

 母と汐湯の帰りに寄ってみた。車から降りると皆一斉に我々を一瞥する。
 やはりと言うべきか、ここでも物好きが来たなと言うのか、何か不思議な者が来たかという感じを受ける。はたしてそうではないかもしれぬが。

 近くに寄ってみるとやはりちらちらと目が動いている。どうも珍しい訪問者であるようだ。しかし、話しかけてみると気軽に答えてくれる。待ってましたと言う感じで二三人がこちらに振り向くのである。ありがたいことだ。「時代はいつですか」「さあ、私には判らないんですが。ちょっと待ってください。あちらに先生がいますから聞いてみてください」と言いつつ飯場の方を指差した。
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またもや汐湯だ(母)

2010-02-19 09:38:06 | 中津街道

 古表神社である。拝殿を中心にして両翼を拡げている姿があまりにも美しい。
 空の青と雲の白と木々の緑、全てが古表神社を美しく魅せるためにそこにあるようだ。
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