街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

立春の幻想

2009-02-05 07:06:48 | Weblog

 幻想的な光景を目の当たりにして不思議な感覚に包まれている。
これでは昔の人達は道を失ったであろう。どこをどう歩いたかわからぬまま狐にでもつままれた思いをしたかもしれん。狐は広い荒野で、しかも夜だからそうではないかもしれん。

 早朝に発つ人々は面食らっただろう。このような状況が二時間も三時間も続くのだから。
 さて、子供の回答はこうだ「一里は四キロなので二十キロが霧で覆われている」
と言ったのだ。母親はと見るとただにこにこしている。正そうともしないのだ。この母親も意味を知らなかったのであろう。なんともはやだ。
 「五里霧中」は後漢の張楷というものが術を用いて、五里にわたる霧を起こしたと言う故事からきている。中国の一里は約五百メートル位だ。二、五キロになる。
 記憶するというのは良いことだが、それを使いきることが出来なければ意味がないと言うことを判ってもらいたい。数学の公式を憶えてもそれを駆使することが出来なければ答えは出ない。
コメント
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