東洋医学の実践的理論研究~人間が病むということの過程的構造からの東洋医学的治療論の研究~

人間が病むということの過程的像から、鍼灸等の問題を説いてみたいと思います。よろしくお願いいたします。

卒業研究について(2)〜アリストテレス的な観点での古代中国の検討〜

2016-08-22 06:21:57 | 覚え書
卒業研究の課題設定について考えた。

古代中国の東洋医学を誕生させた人々は、どのように考えてその様な結論を出したのか。ということの検討をすることで何か見えてくるものがあるのではないか?

これは、悠季真理先生が『哲学・論理学研究』(現代社刊)で説かれ(解かれ)ている、人類の歴史上のプラトンからアリストテレスへの発展ということをイメージしている。

曰く「ここを初心者向けに説くとしよう。アリストテレスの記述を見ていて思うことは、プラトンからの認識の発展が確実になされているということである。どういう発展かというと、プラトンは「あの人はああいう意見だけれども、この人はこういう意見であって、どれが最も正しいのだろう?」といった、ある事物についての意見の正否を問うレベルであった。

しかしながら、それがやがてアリストテレスに至ると、「この人はこういうふうに考えて、こういう結論を出したのだけれども、あの人はああいうふうに考えて、別のこういう結論を出した。それぞれその人なりの筋があるのだが、どういう究明の仕方が良いのだろうか?」という問いかけが芽生えてくるようになると思うのである。」と。


そういう観点から、黄帝内経以前→黄帝内経→黄帝内経後と視て行ければ何かが見えてくるのでは、と思う。あるいは、黄帝内経とヒポクラテスの記述とを観ることで、古代の人類の物事の究明の仕方を浮き彫りにしていく。ということも面白いかもしれない。

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