
ペンクリニックでペンの調整をしてもらって、どの世界も同じなのだなあと、治療ということの持つ二重性が想起された。
先週のペンクリニックでインクローを調整してもらった万年筆、その場ではいいかと思ったが、何度か書いているうちに書きづいと思うようになっていたもの(インクフローが少なくなりすぎていて、早く書くとインク切れする。それゆえに本日、再度の調整を思っていた)が、現在少し改善してきている。
これは鍛造のペン先であるがゆえに、その靭性の高さから、自ら修正したのが理由であると思える。昔の本物の万年筆は生き物なのだなあと......。
このペンクリニックの出来事から、手技の施術も全く同じことなんだよなあ、との思いがする。
どういうことかといえば、今回のペンクリニックでインクフローを絞ってもらった万年筆は、「何の不満もないのであるが、もっと良くなるかもしれないので」ということであったのだが、これは手技施術で言えば「調子は良いのだけれども、施術を受けたい。もっと良くなりたい。」ということであり、実はこれが一番(と言っていいほど)難しい。
なぜならば、施術をするということは相手の体が変わる(少なくとも変えようとして施術している)ということである。
それゆえに調子が良い(= バランスが取れている)ものに施術をするということは、その調子の良い身体の、気のバランスを崩すということに他ならないのであるから、当然に(施術者のしっかりした実力があればあるほどに)現在のバランスと違ったバランスへと、患者の体は変わっていくこととなる。
それだけに、患者はその変化を悪いもの、不調・違和感として捉えてしまう可能性が大である。
なぜならば、現在、調子が良いのであるから(もちろん、より調子が良くなるということになっていく場合もないではないが)......そういう意味では一か八かの賭けとなるものである。
もちろん調子の悪いとして施術を受ける場合にも、同様のことがあるけれども。(どちらにせよ慣れ親しんだバランスを変えるのであるから......)
しかしながらこの場合には、調子が悪いとして感じているバランスを変えるのであるから、悪くなったとはあまりならないものである。(もちろん、零ではないのだけれども。)
ではどうすれば良いのか?個人的には、「調子が良いのは触らない方が良い。調子が悪くなったらまた施術しましょう。」が、とは思うものの、営業上(平日はクリニックで雇われの身である。)の理由から、当たり障りのない圧の浅い施術を行うこととなってしまっている。(黄帝内経にも、「病に時あり」として、施術すべき時と施術すべきでない時というのを知らねばならない。ということが述べられていたと思う。)
調子の良い万年筆を調整してもらっての、自身のアタマに浮かんだ思いである。
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私も思い当たる事がありますね…
私の場合は、
「調子が良いから…休んでもいいや!」
で…結果的に元の木阿弥…
理想は…その良い状態の維持ですかね…
その状態を維持し続けられたなら…
その状態の定着・量質転化化…
すると、その調子が良い状態が「普通」になり、
そこから、更に稽古の質を上げて「普通より調子の良い」状態へ~
ただ…
私のように調子が良いからといって、
そこで怠けていると…元の普通の状態へ…