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「股関節重心」と「お灸セルフケア」でコリ・痛みの無い身体に

コリと痛みの無い身体へと自身の身体を変えていくプロセスの記録とお灸セルフケアについて

「逆説の日本史 (1)」〜井沢元彦氏の説く真の科学者の態度〜

2015-05-24 10:19:38 | 日記
 「猿丸幻視行」「逆説の日本史 (1)」読みました。アタマの良い人は世の中にはいくらでもいるものだなあ!と感心させられながら読み通しました。

 「逆説の日本史 」で「日本歴史学の三大欠陥」として説かれる論理・視点(これらは「猿丸幻視行」においても把持されている論理・視点だと思えましたが)は、鍼灸・東洋医学を学ぶ上で、それが古代中国思想の影響の下に生まれ・発展して来たという歴史性を持つものであるということからも、欠かせてはならないものと思えます。

 詳細は「逆説の日本史」を読んでいただきたいのですが、特に「臨在感」の問題として説かれる「真の科学者の態度」は、鍼灸・東洋医学を学ぶ上での必須の態度であると思えます。

 曰く、「臨在感が事実として存在する以上、ではその正体は何なのか、それを論理的な方法で追求するのが科学である。
 存在するものは『存在する』と認め、科学的合理的に分析する。これが、真の科学者の態度だ。
 ところが福沢諭吉以後、そういう臨在感的なものを無視し、あるいは『馬鹿にして信じない』というのが、科学者として理性ある人間として正しい態度ということになってしまったのである。」と。

 これは鍼灸・東洋医学の歴史的に伝わっている理論的な部分を非科学的と切り捨ててしまっていることへの批判として、まともに受け止めるべきことであると考えます。

 「逆説の日本史」や「猿丸幻視行」は有名な著作であるので、鍼灸に関わる人々のなかにもその読者はそれなりに存在する筈なのですが、残念なことに単なる小説、娯楽作品の類として読まれてしまっているのではと思えます。

 実際、先日も「日本の歴史学の三大欠陥」として井沢元彦氏が批判する論をそのままに把持していると思える鍼灸師先生との会話で「逆説の日本史」に触れたのですが、これまで鍼灸に関する疑問をぶつける度に「それは史料では・・・・・」とか「それは史料に残っていないから・・・・・」との「滑稽ともいうべき史料至上主義」でしか鍼灸・東洋医学の理論的な問題を論じない鍼灸師先生から「逆説の日本史!面白いよね!」との反応があり、「え!?『逆説の日本史』知ってるのか!?それで尚かつ史料至上の発言・・・・???」と驚かされたことがあります。

 おそらくは、その鍼灸師先生のアタマの中では、学問的?なことと娯楽的読み物としての「逆説の日本史」は別のものとして繋がらないのだろうと・・・・・。

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