東洋医学の実践的理論研究~人間が病むということの過程的構造からの東洋医学的治療論の研究~

人間が病むということの過程的像から、鍼灸等の問題を説いてみたいと思います。よろしくお願いいたします。

社会レベルでのコロナ感染症の今後〜その二重性〜

2020-05-05 20:50:00 | 日記(2)
 社会レベルのコロナウイルス感染症の終息についてのマスコミの報道を見ていると、その時々でいろいろと解説されて、これではコロナウイルス感染症の終息のイメージが描きづらいとの思いで、社会的レベルのコロナウイルス感染症の収束・終息について、自身のイメージをブログ記事として書いた。
 しかしながら、人によっては切実な問題(自身にとってもだが)であるだけに、ブログ記事を曲解レベルで読まれる方も無いではないとの思いから、記事の公開には躊躇いがある。とはいえ、社会レベルのコロナウイルス感染症の今後をイメージ出来ずに困惑しておられる方が多くおられるであろうことに鑑み、公開することとした。ブログ記事の稚拙な説き方では無く、説こうとする中身を汲みとって、役立てていただければ、と思う。

 社会レベルでのコロナウイルス感染症の収束・終息の見通しについて、その二重性を視ることの必要性。

 昨日、緊急事態の一ヶ月の延長が宣言された。がっかりされた方、やっぱりなとなった方、その受け止め方は様々であるとは思うけれども、「いつまで続くのか!?」「早くコロナ終息を!」というのが全ての人々の共通の思いであると思う。とともに、あれこれマスコミで報道されるけれどもよく分からない。という方も多数おられるのではないのかと思う。
 それ故、それなりに社会レベルでのコロナ感染症の収束・終息についての自身のイメージを説いておきたい。ブログを読む皆さんの参考になれば幸いである。

 さて、社会レベルのコロナウイルス感染症の収束・終息には二重性がある。その二重性を一重で見てしまうから、社会レベルのコロナウイルス感染症の今後についてよく分からないということになってしまうのだ、と思う。その二重性とは、人間の手が加わらない世界(でのコロナ感染症)と人間の手が加わった世界(でのコロナ感染症)との二重性である。順に説いていきたい。
 まず、人間の手が加わらない場合のコロナウイルスの収束・終息は、アバウトに言ってしまえば、収束=終息と言っていい。これは正規分布のグラフ(近頃、テレビでよく見る釣鐘型の中央が大きく膨らんだ山形のグラフ)を描いて、発生→感染拡大→蔓延→感染減少→収束=終息(東洋医学でいう生長化収蔵)ということになる。この場合は、全人口の6〜7割が自然免疫を持つことで収束=終息となる。その過程では多くの人がコロナウイルスに感染して、治る人は治って、重症化して行くかたは......である。これにはおそらく、数ヶ月を要する。(この場合も全国レベルで一気に蔓延しなければ、収束=終息とはならずに、第二波第三波ということになるが、理解していただきやすいように......)

 それに対して、移動制限等を行って、人と人との接触を極力避けていくといかなる事になるのか、つまり人の手が加わった場合である。その場合、治療薬・ワクチン等が開発されないとすれば、感染拡大とともに非常事態宣言を出して、拡大を抑制し、1〜2ヶ月で収束へ向かい、規制を緩めると再び再燃し、感染拡大とともに非常事態宣言を出して収束、それを何度か繰り返して、第二波、第三波、第四波......最終的に全人口の6〜7割が自然免疫を獲得して収束=終息となる。が、これには一年半〜二年とも言われる。
 以上が、自身の社会レベルのコロナウイルス感染症収束・収束のイメージである。

 後者のあり方ならば、医療崩壊は免れて、多くの人の命が(コロナウイルス感染症による)死からは免れる、と思う。しかしながら、一方で、それでは日本という国の国力の衰退は甚だしく国民の多くが生活苦から悲惨な事になっていってしまうのではないか、と危惧される。一日も早くの治療薬・ワクチンの開発が望まれる。とともに対症療法的治療の方法がない時こそ、東洋医学の出番であるのに、との思いがするのだが......。

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