乳がんになってスピリチュアリズムに出会うVol.2

スピリチュアリズムに出会い
生き方が180度かわりました
シルバーバーチの霊訓を人生の指針としています

感情のコントロール

2017-08-18 00:55:51 | 私は霊力の証を見た M・H・テスター著
私はよく本を読む。これまでも随分読んできた。

少年の頃は学校のカバンにたいてい一冊は冒険物語を忍ばせていたものだ。

最近は旅行することが多いが、近代的な乗り物は確かに快適かもしれないが面白味がない。

だから乗り物の中では読書が多くなる。

英国人というのは概してはにかみ屋が多い。

私もその一人で、その性格の延長で私は自分の読んでいるものを人からのぞき見されるのが大嫌いである。

そこで、対策として一計を案じた。

専用のカバーを二枚用意したのである。

一枚は「核代数の二元方式」と題してあり、もう一枚は「誰にでもわかる神経外科」と題してある。

何を読む際にも、どちらか大きさの合うほうを使うことにしたのである。

その反応を見るのもまた一興だった。

代数のカバーをしていると、それを見た人の反応はたいてい同じで、まず溜息をもらし、よくもこんな難しい本を・・・といった感心の表情をみせる。

神経外科の方だと、驚きと同時に不審そうな表情を見せる。

「面白いですか」と聞いてみる人すらいなかった。

はにかみ、遠慮、無口―こうした一連の性向は英国民の特質である。

英国人は何でも自分の中に仕舞い込んでおこうとする傾向がある。

つまり内向的なのだ。

これは健全な精神とは言いがたい。

と言って私は今日から外向的になれと言うつもりはない。

奥さんを撲りとばしたり、大酒を呑んで暴れまわるのが健全な発散方法だなどとは、さらさら思わない。

そんなものよりもっと健全な発散方法、自然が用意してくれた安全弁がある。

それを活用すれば英国人はもっと健康になれるのではないかと思う。

ではその安全弁とは何か。

その一つは、素直に涙を流すということである。

キッと歯を食いしばって強情を張るのがしっかりしているという考えはもう古い。

頑(かたく)なに意地を張っていると、その意地で自分を損ねてしまう。

風に柳がなびくように、自然な情の流れに身をまかせることも時には必要である。

英国人は泣かなすぎる。

もっと涙を流すべきである。

素直に泣いてみるとよい。

緊張がほぐれて身も心もすっきりするはずである。

次に、怒りの発散が時として心の衛生になることがある。

何かと腹を立てる、というのとは意味が違う。

それはキリスト教でいうところの七つの大罪の一つであって、他人へ向けての敵意に満ちた怒りのことである。

私のいう怒りは、誤った心の姿勢から積もり積もった欲求不満を思い切って爆発させるという意味の怒りである。

あなたもイライラが堪まらなくなったら、どこか人気(ひとけ)のないところへ行き、上着を脱ぎ、ネクタイをゆるめてから、大股で歩きながら十分間ほど大声で怒鳴ってみるとよい。

気持ちがすっきりし、同時に、自分をイライラさせていたことが実はいたって他愛ないことだったことが分かって、バカバカしささえ覚えるであろう。

それは、うっ積していた感情の発散によって心の姿勢が変わり、前とはまったく違った角度から物を見るようになったからである。

自分の悩みごとを心おきなく語れる相手をもつことも大切である。

カトリックの教会には〝告白室〟というのがある。

過去の罪を告白して神の許しを乞う部屋であるが、心理学的に言ってもこれは精神衛生上よい習慣である。

昨今は精神分析学の発達によってお株を奪われた恰好であるが、私に言わせれば、そういういかめしいものの世話にならなくても、心の中を曝け出せる人をもつことで十分目的は達せられる。

が、問題はどこまで自分に正直になれるかということである。

私のもとに来る患者の大半が私から聞かなくても症状をいろいろと訴えてくれる。

が、そのいちばん奥の本当の原因をつかむのにかなりの時間を要する。

たとえば偏頭痛を訴える人が実は性的不能者で、それが原因で奥さんに気兼ねし、それが偏頭痛を生んでいることが、三度目にやっと分かったというケースがある。

ところが四度目に更にその奥の別の要因を発見した。

また肥満に悩む女性が股関節の痛風を訴える。が問い質してみると何一つ心配することのない正常なわが子のことでアレコレと思い悩み、それが痛風を悪化させている。

そのイライラが衝動食いをさせて、それが肥満を助長させている。

このように、次々と訪れる私の患者でさえ表面的な痛みや悩みは訴えても、心の奥まではなかなか曝け出してくれない。

その心の奥をのぞいてみると、そこには内向した感情、挫折感、疑念、無知、等々が巣くっている。

それがみな内側を向いていてほんとの姿を見せようとしない。

ために実際とは無関係の想像上の過ち、悩み、取越苦労が渦巻くのである。

人間が遠慮なく自由に手に入れることの出来る援助には三つある。

霊的知識と、背後霊の指導と、他人からの好意である。

まず霊的知識であるが、人間は教育を受け理性が発達するにつれて、幼少時代に読んだ寓話やおとぎ話をばかばかしく思うようになる。

それは一応当然の成り行きといえる。

が残念なことに、そうした一見他愛なく思える話の中に埋もれた貴重な真理まで捨て去ってはいないだろうか。

世界のいずこの宗教も必ず黄金の真理というものが含まれているものである。

みな霊界という同じ源に発しているからである。



感情のコントロール

やっと出口が見えてきた。


山村幸夫さんの言葉より

自分の感情には、必ず肉体我がはいっておりますから、「これは、自分の自我我欲だけでの判断ではなかろうか?」と常に省みるのです。

そして、「自分さえ良ければいいというような判断ではなかろうか」
とも考えてみるのです。

あるいは、二者択一で困った時には、〝少しでも周りのひとのためになる道、あるいは、一人でも多くの人のためになる道〝を選んで下さい。

それが間違いのない選択の基準です。




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一進一退

2017-08-15 21:55:43 | シルバーバーチの霊訓
霊的成長を望む者は霊的成長を促すような生活をするほかはありません。

その霊的成長は思いやりの心、寛容の精神、同情心、愛、無私の行為、そして仕事を立派に仕上げることを通して得られます。

言いかえれば内部の神性が日常生活において発揮されてはじめて成長するのです。

邪な心、憎しみ、悪意、復讐心、利己心といったものを抱いているようでは、自分自身がその犠牲となり、歪んだ、ひねくれた性格という形となって代償を支払わされます。



霊的真理普及のため、ブログをしているんだけど、自分の心に響くものを載せている。

よし!人のために頑張ろう!と何事も前向きになれる時と

家族にすら、何かをしてあげようと思えない時がある。

自分に余裕がなく イライラしてしまう

情けない。

焦って進もうとせず、こんな時もあると
立ち止まろう。

一進一退。


今日のことばを しかと受け止めよう。







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自分の責任・他人の責任 . 1

2017-08-11 20:36:36 | シルバーバーチの霊訓
熱心なスピリチュアリストである実業家がある交霊会で質問した。

―背後霊や友人(の霊)に援助を要求するのはどの程度まで許されるのでしょうか

「生身(なまみ)の人間である霊媒との接触によって仕事をしている私どもは、地上生活における必要性、習慣、欲求といったものを熟知していなければなりません。

物的必要性について無とん着ではいられません。

現実に地上に生きている人間を扱っているからです。

結局のところ霊も肉体も神の僕(しもべ)です。

霊の宿である肉体には一定の必需品があり、一定の手入れが必要であり、宇宙という機構の中での役割を果たすための一定の義務というものがあります。

肉体には太陽光線が必要であり、空気が必要であり、着るものと食べるものが要ります。

それを得るためには地上世界の通貨(コイン)であるお金が必要です。

そのことはよく承知しております。

しかし次のことも承知しております。

(シルバーバーチは口グセのように”奉仕は霊のコインである”と言っている。
それになぞらえている―訳者)

霊も肉体も神の僕と申し上げましたが、両者について言えば霊が主人であり肉体はその主人に仕える僕です。

それを逆に考えることは大きな間違いです。

あなた方は本質的に霊なのです。

それが人間が潜在的に神性を宿していると言われるゆえんです。

つまり宇宙の大霊をミニチュアの形で宿していることになります。

宇宙という大生命体を機能させている偉大な創造原理があなた方一人ひとりにも宿っているのです。

意識を持った存在としての生をうけたということが、神的属性のすべてが内部に宿っていることを意味します。

全生命を創造し、宇宙のありとあらゆる活動を維持せしめている力があなた方にも宿っており、その無尽蔵の貯蔵庫から必要なものを引き出すことができるのです。

そのためには平静さが必要です。

いかなる事態にあっても心を常に平静に保てるようになれば、その無尽蔵のエネルギーが湧き出てきます。

それは霊的なものですから、あなたが直面するいかなる困難、いかなる問題をも克服することができます。

それに加えて背後霊の愛と導きがあります。

困難が生じた時は平静な受身の心になるよう努力なさることです。

そうすればあなた自身の貯蔵庫から―まだ十分には開発されていなくても―必要な解答が湧き出てきます。

きっと得られます。

われわれはみな進化の過程にある存在である以上、その時のあなたの発達程度いかんによっては十分なものが得られないことがあります。

が、その場合もまた慌てずに援助を待つことです。

こんどは背後霊が何とかしてくれます。

求めるものが正しいか間違っているかは、単なる人間的用語の問題にすぎません。

私たちから見て大切なのは“動機”です。

いかなる要求をするにせよ、いかなる祈りをするにせよ、私たちが第一に考慮するのはその動機なのです。

動機さえ真摯であれば、つまりその要求が人のために役立つことであり、理想に燃え自分への利益を忘れた無私の行為であれば、けっして、無視されることはありません。

それはすなわち、その人がそれまでに成就した霊格の表れですから、祈るという行為そのものがその祈りへの回答を生み出す原理を作用させております」


ここでメンバーの一人が、学識もあり誠実そのものの人でも取越苦労をしていることを述べると―

「あなたは純粋に地上的な学識と霊的知識とを混同しておられるのではないでしょうか。

霊的実在についての知識の持ち主であれば、何の心配の必要もないことを悟らねばなりません。

人間としての義務を誠実に果たして、しかも何の取越苦労もしないで生きていくことは可能です。

義務に無とん着であってもよろしいと言っているのではありません。

かりそめにも私はそんな教えは説きません。

むしろ私は、霊的真理を知るほど人間としての責務を意識するようになることを強調しております。

しかし心配する必要などどこにもありません。

霊的成長を伴わない知的発達もあり得ます」


―あからさまに言えば、取越苦労性の人は霊的に未熟ということでしょうか。


「その通りです。

真理を悟った人間は決して取越苦労はしません。

なぜなら人生には神の計画が行きわたっていることを知っているからです。

まじめで、正直で、慈悲心に富み、とても無欲の人でありながら、人生の意義と目的を悟るほどの霊的資質を身につけていない人がいます。

無用の心配をするということのそのことが霊的成長の欠如の指標といえます。

たとえ僅かでも心配の念を抱くということは、まだ魂が本当の確信を持つに至っていないことを意味するからです。

もし確信があれば心配の念は出てこないでしょう。

偉大なる魂は泰然自若(たいぜんじじゃく)の態度で人生に臨みます。

確信があるからです。

その確信は何ものによっても動揺することはありません。

このことだけは絶対に譲歩する訳にはいきません。

なぜなら、それが私たちの霊訓の土台であらねばならないからです」

―たとえば50人の部下がいて、その部下たちが良からぬことをしたとします。

その場合は気苦労のタネになってもやむを得ないように思いますが…

「責任は個々において背負うというのが摂理です。

摂理のもとにおいては、あなたは他人の行為に責任を負うことはありません」

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人のために尽くす

2017-08-09 20:55:35 | シルバーバーチの霊訓
「あなたは私どもの説く教説の真実性をかねがね痛感しておられましたね」とシルバーバーチが語り始めた。

「あなたはこれまで宗教の名のもとに与えられて来た教説には不満を抱いておられました。

これまで得た知識に加えて是非ともこのスピリチュアリズムの知識が必要であることを痛感されました。

そして何年か前に、残りの生涯をご自分より不幸な人々のために捧げようと密かに決意なさいました。

「おっしゃるとおりです」と夫人が答えると、続けてシルバーバーチは、しばしば困難に遭遇するその仕事についてこう述べて勇気づけた。

「あなたが片時も一人ぼっちでいることはないことはご存知でしょう。


人のために尽くそうとされるその願望は自動的に私どもの世界で同じ願望を抱く博愛心に燃える霊を惹き寄せます。

なぜならば双方に理解力における親和性があるからです。

永遠に変わらぬものは“愛”です。

人のために尽くしたいという願望から発する真実の愛です。

私どもは肩書きも党派も教義も宗派も興味ありません。

その人がその日常生活において何を為しているかにしか興味はないのです。

私どもにとっては“人のために尽くすこと”が宗教のすべてなのです。

人のために生きる者こそ最も神に近い存在なのです。

そこに魂の存在価値があるのであり、人のためという願望を抱く者は自動的にこちらの世界で同じ願望を抱いている霊を引き寄せます。

その人間を介して自分を役立てたいと思う霊が寄って来るのです。


こちらの世界には地上で人類解放のために生涯を捧げた霊が無数におります。

その気高い使命は墓場で終わったのではありません。

霊の世界へ来てからの体験によってむしろその使命感を一層強烈に感じるようになります。

霊界から地上世界を見ると悲劇と悪行が目に余ります。

強欲と利己主義と略奪が横行し、改めねばならないことが無数にあることがわかります。

そこでそんな地上を少しでも美しくするために自分を役立てるための媒体として同じ願望を抱く人間を求めるのです。

これが人のために役立てるということの仕組みです。

つまり自分を無にして霊の力に委ねるのです。

霊の力を取りとめのないもののように想像してはいけません。

実体があり直接的にあなたの心に触れることが出来るのです。

それがあなたを通じてさらに他人へ働きかけ、より大きな悟りを開く助けとなります」



ここで夫人が良い講演をするにはどうしたらよいかを尋ねた。



するとシルバーバーチは「精神統一をなさることです。

時には煩雑なこの世の喧騒を離れて魂の静寂の中へお入りになることです。

静かで受身的で受容性のある心の状態こそ霊にとって最も近づき易い時です。

静寂の時こそ背後霊が働きかける絶好機なのです。

片時も静寂を知らぬような魂は騒音のラッシュの中に置かれており、それが背後霊との通信を妨げ、近づくことを不可能にします。

ですから、少しの間でいいのです。

精神を静かに統一するよう工夫することです。

すると次第に役に立つ良い考えが浮かんで来るようになります。

背後霊のオーラとあなたのオーラとが融合する機会が多いほど、それだけ高度なインスピレーションが入ってきます。


どれほど多くの愛があなたのまわりを包んでいるか、それが判っていただけないのが残念です。

その様子を言葉でお伝えするのは容易ではありません。

人間は目に見え耳に聞こえるものによって現実を判断します。

お粗末な手段であるとはいえ、やむを得ないことです。

しかし本当は身のまわりの目に見えないところに同じ志を抱く霊が待機し、堕落せる者を立ち上がらせ、心弱き者を元気づけ、困窮せる者を救い、病人を癒し、肉親に先立たれた人を慰め、道に迷える者、疲れ果て煩悶する者たちに知識と叡智と悟りを授けんとして、その好機を窺っております。

あなたには為すべきことがあります。

そして、いずれおやりになることでしょう。」


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地上生活の目的とは

2017-08-07 22:47:34 | シルバーバーチの霊訓
そもそも地上生活の目的とは何でしょうか?


そもそもの目的は、本来の自分を理解することです。

そのためには、物的身体の機能と霊としての資質を存分に発揮することが必要です。

物的なことに偏って、霊的存在としての義務をおろそかにするのもいけませんが、霊的なことに偏って物的存在としての義務をおろそかにするのも間違いです。

両者のバランスをとり、この世にありながら、この世的人間に堕(だ)することのないようにすべきです。

肉体は神の分身である霊の神殿ですから、十分な手入れが必要です。

そして成長と進化の過程にある霊は、その肉体を通して、成長と進化のための機会を与えられる必要があります。

地上生活の目的は、地上を去った霊が次の階層での生活になじめるように、さまざまな体験を積むことです。

そこで、まず地球へやってくるのです。地球は、トレーニングセンターです。

肉体に宿った霊が、次の次元の生活への装備を提供してくれる教訓を学ぶための学校のようなものです。

そういう理由から、私は改めて申しあげます。

あなた方が嫌な体験と思っているものが、最高の薬になっていることがあるのです。

本当の自分を見出すのは日向の生活のなかではなく、嵐のような生活のなかなのです。

雷鳴が鳴り響き、稲光がひらめいているときです。人間は厳しく磨かれ、清められ、純化されなければなりません。

絶頂もどん底も体験しなければなりません。

地上生活だからこそ体験できるものを、体験しなくてはいけません。

そうした体験によって霊性が強化され、補強され、死の向こうに待ち受ける生活への準備が整うのです。

地上生活の目的は、霊性を活気づけることです。

そのために、地上界の出来事は二面性と二極性を鮮烈に体験するようになっており、そこに地上生活の地上生活たるゆえんがあるのです。

たとえば、善と善でないものとが同居しています。

これは、私たちの世界にはないことです。

高次元の世界には、対照的なものが存在しないのです。

地上生活の目的は、魂がその霊的資質を発揮できるように、さまざまな体験をするチャンスを与えて、霊性を一段と強化することです。

そのために悪もあれば罪もあり、暴力も存在するのです。

地上の全生命の存在目的は、人類をはじめ動物、その他の全生命に宿る神性に火がともされて火種となり、灯火となり、火焔となって燃えさかるように、刺激的体験を得ることです。

霊的意識が目覚め、地上にありながら、生命の現象的側面にとどまらず、もっと大切な内的側面をも理解して、その恵みを享受するようになります。


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