乳がんになってスピリチュアリズムに出会うVol.2

スピリチュアリズムに出会い
生き方が180度かわりました
シルバーバーチの霊訓を人生の指針としています

寿命の問題

2017-10-24 22:31:14 | シルバーバーチの霊訓
みずからも霊媒である人が招かれて、シルバーバーチと語り合った中で 「人生は目まぐるしく過ぎていくのに、やりたいことは山ほどあります」 と述べると、シルバーバーチがこう語った。

 「人生を達観することが大切です。

あなたが生まれるずっと以前から質実剛健な先輩がいて道を切り開いてくれていたこと、その人たちもその仕事の大変さを痛感して、自分たちの地上生活が終わったあとはどうなるのだろうかと案じていたことを知らなくてはいけません。

しかし、その人たちが巨木や巨石を取り除いてくれていたからこそ、その道をあなた方はその人たちよりラクに通れるのです。

そこであなたがさらに幾つかを取り除けば、それがあなたとしての貢献をしたことになります。

あなたのあとにさらに次の人材が用意されてることでしょう。

そしてその人たちがさらに多くのものを取り除いていけば、やがてきれいな道ができあがります。

 地上は体験学校のようなものです。その地上世界は完全ではありません。

あなた自身も完全ではありません。

あなたはその不完全な世界で少しでも多くの完全性を発揮しようとしている不完全な存在です。

ですから、自分なりの最善を尽くしておれば、それでいいのです。

それ以上のものは要求されません。

 縁あってあなたのもとを訪れた人に真の自分というものに目覚めるきっかけを与えてあげることは重大な意味のあることです。

つまり人間が神に似せて作られていること、言い変えれば神と本質的に同じものが内在していること、その資質を発揮することによって生活に美と愛と光輝をもたらすことができ、それがすべての体験を価値あるものにするということを理解させてあげることです。

 ですから、仕事上の厄介なできごとを、神が与えてくれた挑戦のチャンスとして感謝して受け止めることです。

それを処理していくことで結果的にあなたがそれだけ霊的に成長するのです。

もしも仕事仲間の中にあなたの信念についていけないという人がいたら、もしもその人の信念に迷いが見えはじめたら、その時は構わず見棄てることです。

果たすべき大目的についての荘厳な洞察力を抱き続けている人とのみ仕事をなさることです」


 ───人間の寿命は前もって決められているのでしょうか。

それとも肉体の強健さ、そのほかの要因の問題でしょうか。

  「肉体の強健さなども寿命を決定づける要因の中に入っております。

物的身体構造すなわち肉体は、魂が成長するための地上的体験を得る上で無くてはならないものです。

霊と肉体とは一体不離です。

そして地上生活の期間、いわゆる寿命が切れる時期は大方の場合あらかじめ分かっております。

 肉体を霊から切り離して考えることはできません。

肉体は霊に制約を加え、霊は肉体に生命を与えるという具合に、両者は切っても切れない関係にあります。

一個の存在を構成している二つの要素を分離して考えてはいけません。

あなたという存在は数々の要素が互いに反応し合いながら一個の総合体を構成しているのです。

すべての側面が融合し結合し混ざり合って、あなたという一つの統一体すなわち霊魂を構成しているのです」


 ───寿命が定まっているということから出る疑問ですが、もしも、たとえば千人の乗客が一度に溺死した場合、その人たちは皆その特殊な時期に死ぬことになっていたということになるのでしょうか。

つまり彼らの魂の成長のために定められた寿命は同じだったのでしょうか。

  「問題は用語です。

あなたは今〝定められた〟という言い方をされましたが、そういう言い方をすると、では一体だれが何を基準に、という疑問が生じます。

そして多分その裏には神によって摩訶不思議な方法でそう仕組まれるのだという漠然とした考えがあるはずです。

が、そういうものではありません。

生命現象の広大なパノラマの一つ一つが自然法則によって支配されているのです。

  地上の科学者がいかなる説を立てようと、いつかは必ず肉体に死が訪れます。それは霊を解放するという役目を果たすことになるのです。

つまり肉体の死は肉体の誕生と同じです。

前者は霊の〝退場〟であり、後者は〝入場〟です。

 地上では死を悲劇と考えますが、私たち霊の立場からすれば悲劇ではありません。解放です。

なぜなら、魂の霊的誕生を意味するからです。

地上のあらゆる悩みごとからの解放です。よくよくの場合を除いて、死は苦労への褒賞であって罰ではありません。

死は何を犠牲にしてでも避けるべきものという考え方は改めなくてはいけません。

生命現象に不可欠の要素であり、魂が自我を見出すための手段と見なすべきです」

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