
山形の鶴岡へ。
前日の夜遅くに到着。
しかたないので羽田空港で寿司。
ちょっと贅沢しすぎかな。
まあいいか。

深夜、鶴岡に到着。
そろそろホントに疲れてきた。

でも、朝には目が覚めてしまう。
朝の鶴岡の街を走る。ま、暑いのでほとんど歩く。


落ち着いていて、とてもいい街。

鶴岡城跡に建つ荘内神社。
庄内藩の藩主が神様らしい。




講演は10時からで、その前に急いで庄内藩校、致道館へ。





どうしても江戸時代というのは鎖国しており、停滞したイメージを払拭できないのだが、学問への真剣さを感じる展示の数々に圧倒される。



こんなところで学ぶ日々を私も送りたい。









鶴岡を訪れるまで知らなかったのだが、戊辰戦争で最後まで戦った庄内藩が実は近代化を急いでいたこともあり藩兵が強かったこと、そして、降伏後は西郷隆盛により寛大な処分が下され、明治8年(西南の役の2年前!)には当時の庄内藩家臣がわざわざ鹿児島まで西郷に挨拶に行ったらしい。
西郷の碑もあった。
来週の鹿児島出張が楽しみになって来た。

仕事を終える。

ここからがなかなかたいへんな旅程。

ここからがなかなかたいへんな旅程。
鶴岡から富山まで、当初想像していたルートは、ずっと日本海の海岸線を西に向かうというものだった。
日本海の向こうにある、遥かなる大陸に思いを馳せながら、海を眺めつつ、ガタンゴトンと列車が走る、まあ、こんな感じ。
現実は違った…。
鶴岡から特急で新潟に出て、群馬の高崎まで上越新幹線で行く。
高崎駅で北陸新幹線に乗り換え、富山へ行くというもの。
6時間もかかり(これでも最短)、乗り換えも多い慌ただしいルートだ。
こんな夏にする気はなかったのに…。
ま、仕事だ。しかたない。

新潟に向かう列車の車窓の先に広がる景色は、どこか私をホッとさせる。


ようやく富山に到着。

荷物を放り投げ、一度行ってみたかった店に顔を出してみたら、6時で満員…。
残念。

別の店へ。

お、おいしい!
バイ貝、ヒラメ、ヒラメの縁側、タイ、ヒラマサ、サバ、マグロ。
どれもいいねえ。

富山おでんも。
これもとてもおいしい。
私は練り物をそんなにも好きではないが、これはいいねえ。
ただ、あまりの酷暑の中、おでんの鍋が目の前のカウンターで熱々のおでんを食べるのはちょっと無理があった。
熱中症になるかと思った、笑
秋にまた来よう。

翌朝、富山を走る。
いや、今日こそ暑さに負けてほぼ完全に歩いた。



いいところだなあ。

穏やかにくらしたい。
年をとってきたのかな。
いつからこんなふうに考えるようになったのだろう。





今回のベストショット。

バイキングの朝食。
いつも食べすぎるし、走っていると時間がないので、自分で宿をとるときは朝食を申し込むことがなくなったのだが、今回の旅は取引先指定の宿なので。
やっぱり食べすぎた。笑

昼までに講演が終わり、帰宅すると、息子が洗濯物をしまっている。

昼までに講演が終わり、帰宅すると、息子が洗濯物をしまっている。

彼が自分の意思でこんなことするはずがない。
今月下旬から息子はバンクーバーへ1カ月の語学留学をする。
それなのに何の準備もせず、どこかで遊んでばかり、家では枕元にスマホを転がして寝てばかりいることに母が激怒し、「出てけ!」とすごい剣幕らしい。
そこで、おとなしく洗濯物を甲斐甲斐しくしまっていたようだ。
何もそんなに怒らなくてもと最初は思ったが、本人から語学留学に向けた準備を聞いて唖然とした。
ホントに何も準備をしていない…。
相手のホストファミリーとの連絡もとっていない、空港からその家にどう行くのかも知らない、その家から学校までの行き方も知らない、お金をどれほど持って行くかも調べていない。
本件について基本的に私はタッチしていない。
そもそも、ある日突然、息子からラインがあり、バンクーバーに行きたいからお金がほしいと言われた。
こういうお願いをライン一本でするものではないだろと叱る返信をしたら、その後は連絡がなくなる。
家で彼からきちんと相談に来るのだろうと思っていた。
そうしたら、お金を出そうと決めていた。
ところがいつまでも相談がない。
後で知ったのだが、妻が自分でお金を出したらしい。
…。
どうしてこういうことについて、親同士で相談しようと思わないのだろうか。
つくづく嫌になった。
彼にしても、自分が甘えていることに気づくチャンスだったと思うのだが。
結局、甘えきったまま海外に行くのか…。
無事に帰ってくれればいいのだが。
とりあえず、カナダ西部の『地球の歩き方』を買って彼に渡した。

出張の間にすっかり枯れたミニトマトの枝を片付ける。

8年前、子どもたちがバッタ探しに夢中になっていた庭も様変わりしたものだ。
