
静かなる激動の年末年始となり、年末年始そのものが過ぎることすら意識しないまま、時が流れてしまった。
2022年元旦。
娘に連れられ、近所で初めて初日の出を見る。
こんなに人がいるもんなんだ。
今回も、娘が夜警について来たのだ。
うれしかったな。

受験生。
でも、ねむいんだよね。

家の前のワンコも元気。

スマホのカメラがすごいー。

新年最初の出張先は那須塩原。

夕方、無事終わり、駅前の蕎麦屋で一杯。

那須塩原は快晴だったが、都心やわが家周辺ら雪になった。

塾の前で娘と待ち合わせして、二人で帰る。

翌朝、寺のタブノキがいい感じ。

安曇野へ旅立つ。
特急あずさから、富士山の裏側(山梨のみなさんごめんなさい)をひさしぶりに見る。
そういえば、コロナ前、最後の出張先は山梨の笛吹だったな。

松本駅で発見!
カッコいいなあ。

大糸線。
これに初めて乗って、豊科へ。

ホテルでリモートの委員会に出席し、その後、街を歩く。
気もちいいけれど、やはり寒いなあ…。

豊科の蕎麦屋へ。
馬肉の刺身。

モツ煮。
ここでは、モツ煮といえば、馬肉だそうだ。
うん、おいしい。
口直しに野沢菜。

蕎麦もやっぱりおいしいなあ。

翌日、ランチは市役所前のラーメン屋へ、今回のメンバーの方と二人で行く。
市役所の方からおいしいと紹介いただいた。
鶏肉屋がやってる店で、確かにおいしかった。

この方は60代半ばくらいかな。
大学で農学を学び、社会に出てから税理士の資格をとり、現在私と一緒にこんな仕事をしている。
こんな経歴の方もいるんだなあ。
「中央事務局から派遣される方はいろいろなご経歴の方で勉強になるので、ラーメンをご一緒したいと思いました。」とその方は仰っていたが、この方のほうが興味深いではないか。
ただ、この仕事の場合、私は宿泊するが、メンバーの方は地元なので夜飲むこともできないのがちょっと残念。
まあ、オミクロンでどうせ飲めないから…。
さて、午後から雪が降って来て、夜になるとすこし積もった。
昨年この街を訪問した方に、この街に来る前においしい店を聞いたところ、ホテルの近くの店を紹介いただいていた。
「その店のおすすめは何ですか?」
「さつま揚げだね。」
「え?さつま揚げ、ですか…?」
「うん、あれはおいしかったなあ。」
…。
ここは、山の国、信州。
しかも、北アルプスを擁する安曇野である。
そこで、さつま揚げ…。
一体、どんな、さつま揚げなのだろう。
実はこのことは、市役所でも話題になったらしい。
私が市役所の方に聞いてみたのだ。
「前任から言われたんですが、さつま揚げがおいしい店があるそうですね。」
「あ、○○ですよね。その話は聞いています。ただ、あの店は確かにおいしいとは思うんですけど、さつま揚げがおいしいって話は、あの人以外からは誰も聞いたことがないんですよね…。」
一体、どんなさつま揚げなんだろう!笑
しかし、確認はできなかった。
2日連続で店が閉まっていたのだ。
来年行くか。笑
で、雪の中、市役所の方から紹介してもらった別の店へ。
ここは正解。
おいしい店であった。

馬のタン。
お、これもなかなか。
ごちそうさまでした。
豊科の街は人が少ないのに、小さな飲み屋がいっぱい。スナックも多いなあ。
今回はここで終わりとするが、次回は何軒も飲み歩きたいものだ。
翌日、仕事で博物館へ。
うわっ、かつて安曇野あたりの川辺で見かけたタンポポ!
そうな、外来種だったんだ…。

建物の屋上から。
街は銀世界になっていた。


仕事は無事終わり、大糸線に乗って松本へ。
仕事仲間の方と合流し、二人でひっそり新年会。
松本に昔からある素敵な店だ。

松本一本ネギ。
うわっ、おいしいぞ。
塩イカもいいね。

さらに、ブラリ。

いやはや…。

かつて若かりし頃、深夜の渋谷の片隅のバーで飲んでいたグレンフィディック。

翌朝、東京へ戻る。
長いトンネルを抜けた気がした。

日曜には、再び旅へ。
岐阜である。
月曜の早朝、岐阜城の麓まで歩く。
かつてあの山頂まで登ったなあ。
ロープウェイですが。笑

はるかかなたに天守閣。

「板垣死すとも自由は死せず。」
明治時代、この場で刺された板垣退助が発した言葉と言われる。

仕事は無事終わる。
帰路の富士山がきれいであった。


実に数年ぶりではないかと思われる父子三人の日。
うっかり娘の苦手なコンソメスープを作ってしまい、慌てて、シチューに切り替えた。

そして娘の好きなサラダ。
もう、媚びまくっている。笑

翌日は私も早いので、息子の弁当の仕込みも。

ひさしぶりの弁当。

あまりもので私も弁当にした。

そして、王子へ。
一年ぶりだ。

オミクロンが急拡大。
ある食品工場に行くときは前夜に抗原検査をやらされる。

あ、四谷の店長がテレビへ。
そうか、あそこも休業か…。

息子と二人きりの休日。
梅の木。
うーん、今年こそは実をつけないかと剪定に工夫してみたが、ダメかなあ。
もう力が衰えているのかなあ。

この日、私は終日、リモート研修の講師をするので、昼ごはんもつくることができない。
そうしたら、なんと、息子が昼ごはんを作ってくれると言う。

豚の生姜焼き。
すごい!おいしい!
しかも、きれい!!
ごちそうさま。

ひさしぶりの海へ。


庭にメジロが来た。

那須塩原へ。
あと数回でこの仕事も終わる。
昼から一杯飲んでしまう。
ちょっと飲みすぎたよな…。

娘によれば、メジロが頻繁に来るようななったらしい。

再び、王子へ。
たぶんこれが最後の訪問。
王子神社でお祈りしていく。

夕方、そのまま、郡山へ。

伊達の鶏肉の皮。
メヒカリ。

川俣シャモの串焼き
を楽しみにこの店に来たが、うーん、今夜の串焼きはイマイチで残念…。
ま、伊達の鶏肉でつくったラーメンがおいひかったから、よしとしよう。
ごちそうさまでした。

翌日から2日間の仕事。

大学の中の線量計。
原発事故は終わっていない。

その夜。
マンボウ発令初日。
ネオンがすっかり消え、店の多くが閉まっていた。
8時まで営業している小料理屋へ。
大将とふたりだけ。

いい店だ。
浜通りの海の幸が次々に出てくる。
相馬の北寄貝。

白魚。
ホウボウ。


柳カレイ。

白子。

牡蠣と海苔。

鯖のシンコ。

大将とマスクをしながら、ポツリポツリと話しているうちに、実は浜通りで料理人だったと知る。
店は津波で流され、原発事故もあって人もいなくなり、家族のためにここに来たと言う。
原発事故で死んだ人間はいないと言っていた総理候補の政治家もいるが、そんなことはないと、いくつかのエピソードも交えながら、福島の人らしく、やはりポツリポツリと仰っていた。
絶対に忘れてはいけない話とはこういうものだと静かに思う。
翌朝、開成山大神宮へ。


明治時代、郡山に水を通すために、大久保利通が尽力したそうだ。
知らなかった。意外だなあ。
仕事は無事終わる。
無事、だったのかな…?
ちょっと気になることがあるが、まあ、もう終わっちゃったし、酒を飲んで今夜は忘れよう。
後日、娘から、いらないと冷たく言われる。

ひさしぶりの休日。
ひさしぶりに自宅で静かに過ごす。
梅ももう少し、かな。

なんとなく、スーパーでイワシを買い、刺身とつみれ汁を作る。
気づけば、1月が終わろうとしていた。