今年の前半だったかと思うのだが、本屋で何気なく奥田英朗氏の文庫本を買った。
たぶん『イン・ザ・プール』(文春文庫)だったかと思う。
読み始めると、ユーモアたっぷりで“お約束事”としてちょっとした感動を散りばめ、心地よい読後感に浸れるその短編集に、一気に引き込まれた。
世に言う「精神科医・伊良部シリーズ」の一冊だ。
続けて、『空中ブランコ』 (文春文庫)、『町長選挙』 (文春文庫)と読み進めた。
その後、ベストセラーの『最悪』 (講談社文庫) を読んだのだが、軽妙な筆調にはやや重いテーマが重なったようで(それを良いとする方ももちろんいるだろうが)、私にはイマイチ。
ただ、『マドンナ』 (講談社文庫)、『ガール』 (講談社文庫)はどちらも「これこそ奥田本」という感じで、とても面白かった。
今日、彼の処女作(たぶん)の『ウランバーナの森』を読了。
昨日から読み始めたのだが、意外にも1976年から1979年までのジョンレノンの隠遁生活を彼なりに想像して(?)書いたフィクションだった。
これが実に面白い。レノン好きな人やレノンを知っている人ももちろん、それ以外の方も面白く読めることだろう。
ただ、彼自身の解説を読みながら、彼なりの推理(?)には少々疑問を持った。
解説によれば、隠遁生活の前までは「刺激的で先鋭的だった」音楽が、隠遁生活を経て発表されたアルバムでは「主に家族愛を歌った実に穏やかな作品」になっているというのである。
奥田氏がこの小説を書いたのは、この隠遁生活の間に何があったのかという「興味」があったからだという。
しかし、本当にレノンの作品は最後のアルバムで作風ががらっと変わったのだろうか。
私には、どうもそうとは思えない。
おそらく、レノンの作品の背景には、父も母も去ってしまった彼の幼少期が大きな影響を及ぼしているだろうし、その意味では、『ウランバーナの森』におけるレノンの心境もあながち外れてはいないだろう。
ただ、私自身はそうした心境は1970年発表の「ジョンの魂 - John Lennon/Plastic Ono Band」において突出した形で吐露され、レノンの中では一つの解決を得たように思うのだ。
このアルバムを聴くと(思わず、久々に聴き返してしまったのだが)、「Mother」で彼を捨てた母や父に対して、彼は痛々しく叫ぶ。
Mother, you had me, but I never had you
I wanted you, you didn’t want me
So i, I just got to tell you
Goodbye, goodbye
「God」では、延々と、神はもちろん、エルビスもビートルズも信じていないことを鮮明にするとともに、自分だけを(Yoko Onoも含まれるが)信じていることを告白する。そして、「The dream is over」と私たちに告げる。
ここで、私には、彼なりに心に大きなピリオドを打ったような気がしてならない。
もちろん、1970年以降も自傷・他傷的な作品はいくつもあるが、たとえば、「Imagine 」(1971)や「Mind Games」 (1973)等々を聴いていると、レノンが何かあるものを乗り越え、新しい心境に達したと感じるのは、私だけだろうか。