晴朗無上

日々の出来事など

317 

2008-10-26 20:26:39 | Weblog
「文学のとき 」(吉田 秀和 ・著)

 この中の「中原中也のこと」を読んでの感想を。

 中也という人にじかに触れた(というか、つきあったというか)
 ことのある人の言葉は、とても興味深い。
 
 中也といえば、例のつばの広い帽子をかぶった憂いのこもった写真が有名だ。
 でも、じっさいは「ふつうのおじさんだった」という親戚の人の言葉を
 以前なにかで読んで、おじさんというほど、長生きはしてないはず、
 なんて思ったものだ。
 でも、その親戚の人は幼い頃に中也に会ったのだろうから、
 やはり、おじさんに見えたのかも。

 吉田氏によると、
 「背が低く、角ばった顔。
 ことに顎が小さいのが目についた。
 色白の皮膚にはニキビのあとの凹凸がたくさんあったが、
 そのくせ脂っこいどころか、妙にかさかさして艶が悪かった。
 ぎょろっとした目は黒くて、よく光った。」
 と表現されている。

 声はだみ声だったと。
 
 「そのだみ声でヴェルレーヌやランボーの詩を、
 ふしをつけてろうどくしてくれた」

 「バッハのハ短調パッサカリアが大好きでよくうたってくれた。
 なかでも彼が好んできかせてくれたのは百人一首の

 ひさかたのひかりのどけきはるのひに
  しづごころなくはなのちるらん

 を、チャイコフスキーのピアノ組曲四季の中の6月にあたる『舟歌』に
 あわせて歌うのだった。
 音程はたしかだった。」
 

 ぜーんぶ、いままでのイメージを壊してくれるな~。

 中也のお葬式は鎌倉で行われ、
 吉田氏は、それ以来、鎌倉というのが西方で、
 死に近い場所というイメージとつながり、嫌いになったそうだ。

 中也の身近な人、たとえば、お母さんでさえ、声の録音できる
 時代までいきられたのだから、せめて、中也の声がきいてみたかった。

 ・・・でも、だみ声じゃ、ちょっとがっかりかな?