憲法九条やまとの会

今、日本国憲法九条改憲を止める
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九条全国集会の報告(憲法九条やまとの会ニュース第11号4面)

2009年11月02日 | 憲法九条やまとの会ニュース

(本文)
憲法九条やまとの会ニュース11号4面
 斎藤竜太(事務局長)
 全体集会の報告:憲法九条改憲反対の一点で集まった全国の「会」は47都道府県に7294会に達した。会の代表926人がこの集会に集まった。全体集会の中の大江健三郎・奥平康弘・滓地久枝・鶴見俊輔各氏の発言のみについて簡略に報告する。各発言の切り口が異なっていて興味もあり考えさせられもした。
 大江氏:『沖縄ノート』をめぐる裁判に臨む自分の構えは、「38年前書いた本を守ってやろう」というもので、政治的目的ではなかった。相手は政治的に持ち出した。政治的目的ではなく、「もっと日常生活に即した反対運動かありうる」として、クエーカー教徒の平和主義の例をあげ、個人の規範として九条にかかわる人は多いことを知る必要がある(個人的倫理規範の平和主義)とのべた。
 奥平氏:田母神論文は、大学の学部学生の書いた文程度のもので、論文という水準のものではない。しかし、これが世に出ると多極的に政治問題化し、出口の見えにくいところに引き込まれるおそれがある。中身を問題にせず発表上の手続きの問題だと言うものが自民党に多いが、手続き論には注意が必要だ。
 滓地氏:田母神問題は、昭和6年9月18日の満州事変を引きおこした関東軍の板垣石原たちをキチッと裁いてこなかった結果だ。「九条」に集まってきた人の顔が広かって重層的になってきた。この会はやたらなことで崩せないし、崩させてはならない。九条を守らねば25条もダメになる。
 鶴見氏:総理大臣や国会議員の多くが考える「戦後」とは、朝鮮戦争特需後の経済的復興した日本、世界の大国になろうとする意識であって、かつて駅でしゃがんで列車を待っていた人の「戦後」ではない。出張先で被爆し、広島に戻ってまた被爆した二重被爆のイワサキアキラの「もてあそばれたような気がする」という感覚が「戦後」なのだ。USAがイワサキアキラの証言に目ざめたとき「戦後」は終わる。

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