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教師めざす学生へ(10)

◎元J選手の体罰事件
 体罰や暴力の話はもううんざりです。話題にするのもイヤです。ところが、最近岐阜県のサッカークラブで、合宿中に起こった事件は、あきれて物もいえません。
 元Jリーグ選手の指導者が、教え子の中学2年生を足蹴りして骨折させ、警察に逮捕されたというじゃありませんか。ひどい話です。再び体罰を問題にしないわけにはいきません。
 「指導の一環だった」とコーチ本人は弁明したと報じられています。たぶん後先きを忘れてカッとなったのでしょう。相手は大人のプロならともかく子どもでしょう。コーチの資格をとるため講習会でコーチ学の理論とかを学んだのでしょう。だが、彼は物を教えるという基本を忘れています。人格的に指導者として不適格です。
 この元Jリーガーは新聞やテレビを見ているのでしょうか。昨年来、女子柔道の暴力コーチ告発や高校バスケットボール部主将の自殺事件などの、体罰の記事やニュースがどれだけ流れたことか。柔道連盟の会長や校長、教育委員会の役員たちが、いかにオタオタして事後処理に当たっていたか。この元Jリーガーは、それらの事件を知らないのでしょうか。
 もちろん世間で、これだけ体罰に関して騒いでいるから、暴力をやめておこうというのではなく、この元Jリーガーは基本的な常識に欠けています。
 たぶん彼も少年時代からサッカーに打ち込んでJリーグを卒業し、コーチとしてサッカー普及につとめる気概があったとは思います。クラブとして彼をどう処遇するか、続報を知りたい。セカンドキャリアをコーチに求める元Jリーガーが、どんどん増えているだけに気になるところです。
 
◎職業化したスポーツ
 みなさんもご存じかと思います。高校野球の名門PL学園が部内で起こった暴力事件で、ことしの夏の甲子園大会に出れなくなってしまいました。この2月、学校寮内で上級生が下級生に、救急車で運ばれるほどの暴力を加えたのが原因です。
 学校当局は、この暴力事件が部外にバレたらたいへんと思ったようですが、逆にもしバレた時は高野連からよりきびしい処罰を受けると考えて、この事件を自己申告しました。ところが、高野連は6カ月の対外試合禁止を申し渡しました。
 最上級生の3年生は号泣しました。当然です。プロをめざす彼らにとって甲子園は、力をアピールする最後のチャンスです。そのためにPL学園に入り、これまでの3年間、猛練習してきたのですから。夢も希望も突如なくなったわけです。
 ここで問題が2つあります。さきの元Jリーガー同様、暴力を振るったら大問題になることが新聞などで、あれほど問題視されて出場停止、あるいは警察沙汰になるかもしれないのに、それが分かっていて「なぜ暴力を振うのか」です。野球の特に名門校といわれる高校で、なぜか暴力沙汰がよく浮上するのか不思議です。「良き社会人を育てる」なんて大ウソです。
 もう一つの問題は、高校スポーツが「予備校」になっていることです。「学業のかたわらにスポーツを趣味として楽しむ本来のあり方」を完全に忘れています。そんなスポーツ学校が全国にウジャウジャあります。この現実を放置している文科省の怠慢に腹が立ちます。子どものなりたい職業の第一位が、このところずっと「プロスポーツ選手」だそうで、夢があってよろしい、とばかり言ってはおれません。何かどこか歪んでいる。
 自殺した桜宮高校バスケット部主将に、暴力を加えて懲戒免職になった元教諭はこう語っています。「全国大会へ行きたい。大学進学の道筋を付けてほしいと保護者からも期待されていた」と。
 つまり高校でのスポーツは、もう「職業的」になっているのです。プロ化し、ビジネス化した日本のスポーツは、ここまで来ているのかと嘆かざるを得ません。

◎暴力は人間のサガか
 朝日新聞が発行している「Journalism」という新聞研究誌があります。毎月いろんな問題について世論調査をやっていますが、この2月には「学校の指導での体罰」の賛否を問いました。
 「あってはならない」が71%、「あってもよい」が21%(男性は66%-26%、女性は75%-17%)。体罰を受けたり見たりしたことがあるは、「ある」は41%、「ない」は57%(男性は52%-47%、女性は30%-67%)でした。興味深いのは、受けたり見たりしたことのある人で、「体罰があってもよい」と答えたのは30%と、やや多かったことです。
 新聞の社説やコラム、そしてジャーナリズム研究会やシンポジュームで、私の経験したところでは、「体罰反対」の声がほぼ100%です。公開の場で理論や理屈に走れば、どうしても完全に反対になるようです。まさか社説で「体罰賛成」を唱えるわけにはいかないでしょう。
 ところが、実際の社会や生活の中では「体罰賛成」が10人中2人、体罰を経験した人は3人もいるとは、たいへんな驚きです。私は、世間の立て前としての「体罰反対」になることをおそれます。本当のところは「賛成なんだよ」「たまにはやってもいいじゃないか」というのが体罰の実態かもしれません。(そういえば、原発反対もだいたい、いつも70%前後です)
 体罰を受けても抵抗できない側の、恐怖の顔、くやしそうな顔、苦痛をこらえる顔は正視できるものではありません。それがやれる(例えば拷問がやれる)人間がいることに、私は人間は救われない動物だと思います。
 テレビの漫才やバラエティで、相方の頭をたたいたり、髪を引っ張ったり、罰ゲームでビニール棒で尻をたたいたり、ある時は熱湯風呂に放り込んだり。先日は女性のお尻を男が蹴とばす番組がありました。それを見てみんなゲラゲラ笑っている。こんなところを子どもに見せたくない。無神経すぎる。これが体罰の根源かもしれない。
 私は、テレビのプロデューサーに「こんなのヤメロ」と、思わず電話をとりたくなることがしばしばです。いい加減にしろ。
(以下次号)

 
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