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サッカーあれこれ(12)

◎ヨルダンとのオカシナ試合
 サッカーとは不思議なものです。私だけの経験かもしれませんが、格下の相手と試合するとき、何となく緊張感に欠けて不甲斐ない試合をやってしまうことがあります。これではいけない、後半頑張るぞと思っていても、どうにも力が入らない。パスのタイミングが最後までずれてしまう。あせればあせるほど、どうしようもなくなって力が出せないまま終わってしまう。そんなオカシナことがよくあります。
 先日W杯予選で、日本サッカー代表がヨルダンに1-2で負けました。テレビで見ただけですが、まさにそんなオカシナ試合でした。煮え切らないイヤな、大阪弁でいえばシンドイ試合でした。勝点が他チームより断然上回っているのだから心配する必要はまったくないのですが、やはり負けるのはいやなものです。
 学生時代、試合直前にこんな電報がある先輩から届きました。「トラは一匹のウサギを追う時にも、全力を尽くすことを忘れるな」。先輩は「ウサギを追うトラの気持ちで、最初から気を抜くことなく全力でいけ」と、オカシナ試合におちいらないようにとアドバイスしてくれたわけです。
 戦後、何十となく外国選手がやってきました。彼らは前半力を抜いて負けていても、後半のある時間帯になると見違えるような動きをみせたものです。そんな時には「ああ、実力のあるチームは、いつでもスパートできるんだな」と感心させられました。外国と日本の差がココカナと思ったこともあります。日本チームは選手間のズレという袋小路に入ったらなかなか抜け出せません。
 長友と本田の欠場が痛かったの声があります。たしかに痛い。だが、この2人がいなければ、日本は勝てないのか。そのレベルでしかないのか、という設問もできます。正攻法はあっても、相手の防御陣を突き破る意外な一手がなかったように感じました。得意の長いスピーディなパスが読まれていました。
 日本代表の実力は、このところグーンと向上し、世界の強豪ともソコソコ戦えるようになってきました。ヨルダンの世界ランクは90位、日本は26位。どうやっても勝てるという、少なからず楽観する気持ちも、代表チームにあったのではないでしょうか。

◎楽観論は衰退につながる
 話題をそらすようですが、かつて私が学んだ旧制中学の同窓会は非常に楽しみです。在京者はみんな85歳を越えてわずか9人に減ってしまいましたが、最高裁判事や1部上場会社の社長をやった者もいて、昔ばなしに花が咲きます。数年前の会で「楽観論と悲観論。会社の将来にとってどちらがいいか」が話題になりました。
 断然「楽観論のはびこる会社はダメになる」という意見が大勢を占めました。たしかに楽観し過ぎて、親方日の丸とばかり放漫経理をやってつぶれた会社が日本には多い。いい例が、いまや四苦八苦の活字産業です。欧米からも全盛を誇った大新聞社が倒産したニュースがよく飛び込んできます。
 だが、逆にそんな新聞社も、将来を悲観すればするほど、いろんな工夫をし、給料カットに甘んじ、新しく電子分野を開拓していけば生き残れるかもしれません。
 こんな話題を思い出したのは、ほかでもありません。日本サッカーに楽観論は禁物といいたいのです。先ほど言ったように、日本サッカーの進歩はたしかにたいしたものです。試合の運び方や選手一人ひとりの身のこなしは世界レベルです。欧州で働く選手が、次から次へと出ていますし、アジアではどう転んでも代表枠5以下ということはありえません。
 人気の方もまさに当たるべからざる昇り竜(のはず)です。テレビの評論家から「日本代表はいまのテレビ界に残された唯一のキラーコンテンツだ」と、その戦いぶりが期待され、空港での選手の送り迎えの歓迎シーンはスターなみです。
 だが、反面ちょっと世界と戦えるようになり、順調に進歩してきたがゆえに、日本サッカーに、何となく世界を甘く見るというか、驕りというか、少なからず楽観論が出てきているのではないか、と私は思うのです。いま日本サッカーに必要なのは悲観論です。

◎いい選手がいてこそ
 サッカーへの考え方が多種多彩です。個人個人で違います。私は大きく分けて2種類あると思います。それは格上の相手と戦うときと、格下の相手と戦うときは、別のサッカーをやらなくてはならないということです。試合に向かう気持ち(精神力)も、まったく違うものであるべきです。それを同一視するとオカシナ試合になってしまいます。
 日本代表は、準備段階での練習計画やチームの移動、宿泊などサポート隊の下支えのノウハウの技術は、勉強好きの日本人ですから外国に学んで世界でも一流になりました。だが、サッカーをやるのはサポート隊でも監督でもない。ザック監督は、帰国の機内でサポーターに謝罪したそうですが、いい選手がいてこそ、いいサッカーなのです。
 選手一人ひとりのレベル向上が最も大切な課題です。一人ひとりは独立した存在で、遺伝子として簡単に次代へ繋がるようなものではない。本田や長友はすぐ生まれない。選手はすぐに老います。代わる若い選手を作り上げるサッカー協会の「体幹」のようなものがいちばん大切です。その意味でも楽観論は大敵といえましょう。
 世界ランクが上だから勝てると誰も思っていないでしょう。むしろちょっとした油断が大きな逆転につながることがあります。中東諸国は今回のヨルダンの勝利によって大きな自信を得たのではないでしょうか。それがちょっとコワイような気もします。
 もう一つ触れたいのは、レーザー光線事件です。ヨルダン協会副会長が「日本の非難には驚いた。敗戦を隠すための弱い企てだ」と語ったと新聞にありました。これこそ驚きです。日本はマッチコミッショナーを通して文書で抗議したそうですが、これはあとに引かせるべき大問題です。証拠の写真やビデオを提出して、さらにしつこく抗議をしていくべきでしょう。協会の考え方と実力が問われています。
(以下次号)
 
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