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スポーツ・マスコミあれこれ(17)

◎新聞あれば生きていける
 私の趣味は「新聞」です。毎朝、5紙を楽しく読んでいます。読まなければ一日が始まりません。読む順番は、だいたい朝日、読売、毎日、産経、東京と決まっています。
 朝日は平凡で普遍的で常識的で、冒険できない新聞です。
 思想的には真ん中からちょっと左のポーズをとっていますが、マンネリで、極論を避けています。「社説」は見出しと最初の数行を読むだけで、内容がほぼ想像できます。
 しかし、何かコトが起こると、まるで重戦車のように、(悪い言葉でいえば)ヒステリカルに恥ずかし気もなく、まるで戦時下の新聞のように常軌を逸して反省のカケラもなく騒ぎます(例えば高校野球やオリンピック)。そこには理性もへったくれもありません。
 読売は発行部数が日本最高のせいか、だんだん朝日に似て平凡で常識的になってきました。
 思想的には真ん中からちょっと右で、もともと大衆迎合的な記事が多いのですが、最近とくに増えてきました。なぜ新聞は部数が多いと可もなく不可もなし、になるのでしょうか。朝日同様、広告量が多いせいか、そのページ数に見合う内容スカスカの記事が目立ちます。
 朝、読にはいい記者がいますが、その個性を活かす機会が少ないように感じます。その点、毎日はなかなか個性的な記者がいて独特のニオイがあります。コラムなど勉強になります。
 また、広告が少ないせいかコンパクトです。だが、これも朝日、読売同様に新聞本来の宿命というか弱点でもあるセンセーショナリズムに惑わされることがあります。都市対抗や高校野球ははじまると、一挙にあのいい新聞が大き過ぎる見出しと写真ベタベタのおかしな姿に変身してしまいます。
 
◎面白い産経と東京
 産経と東京は、完全に右と左の両極端のポーズをとっています。例えば産経は憲法改正に賛成、東京は反対ですが、その論調はなかなか面白いと思います。
 ともに記者の目線が、大衆の心の核心にぴったりのところがあります。私自身は思想的には右でも左でもなく、「いいものはいい。悪いものは悪い」という考えですが、産、東には思わず「なるほど」と考えさせられる記事があります。もちろん切り抜きます。
 個人的な話です。私が朝日で働いていたころ給料は最高で、生活に困った記憶がありません。朝日の幹部は「給料が安いと取材先に買収されやすい」として高給にする理由を語っていました(買収されるのは給料の高い、安いの問題ではないと思いますが)。また、いまの朝日の給料がどうなっているか知りません。
 産経は月2950円(夕刊なし)、東京は3250円です。これに対し、朝、読、毎はともに3925円です。発行部数から見て産経、東京の記者の給料は、そんなに高くないはずです。大名経営の朝、読にくらべると経営はかなり苦しいでしょう。産、東の記者はよく頑張っていると思います。屁理屈ですが、大衆・庶民の目線の記事が多いのはそのためじゃないか。記事のスミズミに切実感と、そんな記者の気負いのようなものがつまっている。それにくらべ朝、読の記事はおおらかで、お高くとまっています。

◎避けたいナショナリズム
 2020年にはオリンピックがやってきます。スポーツ記者にとって正念場です。まず「勝てば褒め、負ければ貶す」ようなワンパターンの安易な記事はやめてほしい。「戦う」といっても戦争ではありません。
 沖縄水産の裁監督が優勝談話で「沖縄ではたくさんの人が犠牲になった。人の命を失う戦争と高校野球の優勝を一緒にしないでくれ」と語ったことを思い出します。やれ「災害を受けた東北の人々に感動と勇気を与えた」だの、「全国民が注目する大会」「サムライ・ジャパン」といった表現はイヤですね。また、スポーツは偏狭なナショナリズムに利用され易いところがある。メダルとか国の誇りとか名誉とか、安易に書かないでほしい。
 今やスポーツはビジネスであり、ショウであり、選手が商品になったという事実は否定しきれません。だが、私個人は「スポーツの基本は遊びであり、人間のたのしみだ」ということを忘れて欲しくありません。
 昔、全日本柔道連盟と東海大の松前重義総長が主導権を争って敵対したことがあります。私は英字新聞のアサヒイブニングに、「始祖嘉納治五郎は地下で泣いているだろう」と書いたところ、全柔連から猛抗議を受けました。すると、近くにいた米国人記者が「よかったじゃないか。記事が注目されて。コングラチュレーション」と言って握手を求めてきました。外国の記者はこうなんですね。
 日本の新聞は、とにかく読者からの抗議に弱い。書いた記者は、デスクからはもちろん、部長あたりから「余計なことを書くな」と叱られます。これでは記者の能力は伸びない。日本の新聞はよくも悪くも、事なかれ主義で冒険心に乏しい。最近の週刊朝日の編集長解任の真相隠しなど、情報公開を叫ぶ朝日らしくないさみしい話です。
 どの新聞も調査報道(ルポルタージュ)が少なくなりました。1ページを埋める長大物をよくみますが、たいていは選手個人やコーチを持ち上げるような(八百長的な)語りものです。スポーツ団体や文科省あたりの発表物を載せるだけでなく、より一歩踏み込んだ鋭い記者独自の観点を期待したいものです。
 最後によけいなこと。朝日と産経が同じ販売店から配達されてきます。論点がまったく噛み合わない両紙を、同じ配達人が配っている。これこそ、まさに言論の自由(?)。
(以下次号)

◆訂正及び追加
先号で紹介した、明石さんはバイエルン・ミュンヘンの後援会員でなく、正確には「ドイツ代表ファンクラブ(2003年創立)会員」でした。またクローゼの先取点は、あのゲルト・ミュラーの代表得点記録68と並ぶすばらしいものでした。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (ポール)
2013-11-12 10:23:53
朝日のどこが平凡で普遍的で常識的で、冒険できない新聞なのでしょうか?

従軍慰安婦、靖国神社問題、南京大虐殺等々で日本を大いに毀損した大逆賊新聞ですね。

日本に無くてもよいメディア第一位に認定したいくらいです。
 
 
 
新聞は、衰退しつつあるメディアだが・・・ (一条中雄)
2014-05-19 22:27:28
朝日と聞いただけで脊髄反射する右巻きもどっちもどっちだろw
 
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