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オリンピックあれこれ(5)

◎マラドーナの薬物事件
 前回の続きです。「ワールドカップ・サッカーでいちばん印象に残るシーンは」と聞かれたら、私はためらうこともなく1986年メキシコ大会でのマラドーナの5人抜き」と答えるでしょう。ディエゴ・マラドーナは、私が見た最高のサッカー選手でした。
 マラドーナは次の1990年イタリア大会でも、準決勝で地元イタリア相手にすばらしいプレーを見せました。DF数人を引き寄せて必殺のキラーパスを放ち、最後に点取り屋カニージャが決めました。「すごい」のひとことでした。
 優勝へ自信満々の地元イタリアが、このパス1本で、まさかの敗北を喫してしまったのです。陽気に、はしゃいでいたイタリア国民が悲嘆のドン底に突き落とされました。町中からネオンも音楽も笑い声も消え、静まり返ったイタリア全土の、まるで恋人でも失ったか、財布でも落としたかのような異様な雰囲気を私は忘れることができません。
 決勝でアルゼンチンは、ベッケンバウアー監督率いるドイツにPKによる1失点で連続優勝を逃しましたが、マラドーナは、次の1994年アメリカ大会に満を持してやってきました。私にとっても、あのアメリカ大会は、「マラドーナはどんなプレーを見せるか」という思いだけで観戦に出掛けたといっていいでしょう。世界中のサッカーフリークもすべてその思いだったでしょう。
 マラドーナは体も引き締まり快調でした。ボストンで見たギリシャ戦、ナイジェリア戦は執拗な反則攻撃を受けながら、時たま見せる信じられないような天才的なパスワークに私は酔っていました。アルゼンチンは確実に決勝まで行くと予感しました。
 ところが、事件勃発です。ダラスでの第3戦、ブルガリアとの試合直前のドーピング検査で、マラドーナは「クロ」と判定されワールドカップから追放されしまったのです。ボストンのメディアセンターのコンピュター速報で、それを知った時、私は呆然自失。ショックで言葉もありませんでした。
 「こんなことが起こっていいのか。FIFAのバカ野郎メ!」

◎検査する2つの理由
 なぜドーピング検査なんて、面倒なことをやるのでしょうか。ちょっと話が固くなりますが、IOCなど国際スポーツ機関が挙げている理由は2つあります。第1の理由は、「クスリを使って勝とうとするのはスポーツマンとしてフェアでない」。つまりクスリを使うことで不公平を生み出すというのです。第2の理由は「この種のクスリは健康を害する」。つまり健康であるべきスポーツで健康を損ねる薬の服用は許されない、何も知らない若者への影響も大きいというものです。
 検査は尿で調べます。検査をする機関は世界中に30近くあって(むろん日本にもある)、検査が始まった1968年ころは、試合後に選手を特別な部屋に連れて行って尿を採取していましたが、最近は練習中や移動中などにも採取するなど、非常にきびしくなっています。選手のほうも巧妙になって、尿を他人のものとすり替えたりする例が出て来たからです。
 どんな薬が禁止薬物に指定されているのでしょうか。大きくわけて3種類あります。興奮剤と筋肉増強剤、利尿剤です。マラドーナが引っ掛かったのはエフェドリンという興奮剤だといわれます。市販のカゼ薬や頭痛薬あるいはゼンソク薬にも含まれているごく一般的な薬です。太りぎみのマラドーナは、体重を絞るために薬を飲んだ、その薬の中にエフェドリンが入っていたともいわれています。また、市販の風邪薬を飲んで6カ月間の出場停止をくらった日本女子スキー選手もいます。普通の人が普通に飲む薬がなぜ禁止薬なのか、私には理解できません。
 筋肉増強剤の代表的なものはステロイドで、前回紹介したベン・ジョンソンが飲んでいたとされます。これはトレーニング期間中に飲むことによって、筋肉がモリモリ付くという代物です。短距離や重量挙げ、投擲といった筋肉の力を要する選手が、検査によく引っ掛かります。興奮剤に比べると、筋肉増強剤は長期にわたって常時使用しますから計画的といえます。個人差がありますが、副作用もあるようです。
 利尿剤は、尿の出をよくする薬です。尿を頻繁に出すことによって、禁止薬物を体外に排出して見つからないように隠すものです。以上がドーピングの概要ですが、尿が本人のものかどうか確認するため係員が前にまわって観察したり、女性選手が素裸にされたりと、いろんな悲喜劇を生んでいます。
 私のような常識人(?)が直感的にコッケイだなと思うのは、スポーツをやるのに「なぜオシッコまで調べられなくてはならないのか」という率直な気持ちです。「コレコレの薬は服用しないように」と、参加する選手に通達するだけでいいのではないか。チェックには、大会ごとに数十億円という金がかかるし、そもそもこんな検査は、選手を信頼していないからではないか。スポーツはルールを守る立派な社会人を育てる、というのはウソなのか。

◎やがて廃止される?
 私はドーピング検査は、やがて形骸化し、廃止されるとみています。陸上競技担当の記者が言っていました。「合宿中の選手が朝食後、栄養剤やプロテイン(蛋白質)の錠剤を手のひらいっぱいに載るほど飲んでいた。医者が検査に引っ掛からない薬を調剤したのだろうが、公平さを保つ薬物禁止の精神からいえば、これほど不公平なことはない」
 世の中は不公平、不平等から成り立っています。マラソンで特製の靴を履く日本選手。市販の運動靴で走るアフリカの選手。料理人が同行する日本選手団に対し、なれない現地食で我慢する多くの国の選手。生まれも育ちも違う不平等は当たり前。いろんな人が同じルールで試合するからスポーツは面白いともいえます。
 いまや薬学の進歩は目を見張るばかりです。検査を巧妙に擦り抜け、健康を害さない禁止薬がどんどん開発されています。検査機関は年々禁止薬のリストの数を増やしていますが、これこそ薬学の進歩の証しです。
 恐ろしいのは、ドーピングに名を借りてライバル選手を抹殺しようという謀略的な動き、さらにそんな疑惑が起こることです。サッカーの場合、無作為にチームの中から2人をピックアップして調べるのですが、マラドーナがなぜ11人の中の2人に選ばれたのか不思議な気がします。
 マラドーナが犠牲になった次の1998年フランスW杯では、256人がドーピング検査されましたが、すべてシロでした。ある雑誌でツール・ド・フランスの選手が「オレたちが黒で、ワールドカップのやつらが真っ白だなんて、信じられるかい」と語ったそうです。検査員は開催国の人達です。フランス人は粋で、アメリカ人は融通が利かないと思うのは私のカンぐりでしょうか。少々灰色でも白とするのが大岡裁きというものでしょう。ファンのためにも。
 マラドーナが、人類が生んだ最高傑作ベン・ジョンソンと同じ運命をたどったのが残念でなりません。この2人の肉体は、完璧に完成させた芸術品であり、一瞬に賭ける勝負師の美しい究極の姿だったのではないでしょうか。真のプロには、そのような完成された姿を大衆に見せる義務がある。それを2人は見せてくれたのです。私はそう信じています。私はドーピング検査などやること自体が、いかにも清潔さを装う欺瞞だと思っています。
(以下次号)

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