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サッカーあれこれ(10)

◎サッカーは情報戦
 1975年1月、バイエルン・ミュンヘンの監督に就任したクラマーさんは、その年と次の年に欧州チャンピオンズカップに2連勝し、ミュンヘン市民を熱狂させました。クラマーさんの真骨頂は、どんな試合でも、試合前に必ず相手の試合地に出掛けて、相手の様子を徹底的に調べ、分析することでした。
 自身が行けないときは腹心のコーチを派遣し、相手の攻撃スタイルや守備の陣形はもちろん、最近のチームの調子や負傷者の具合、プレーの時々が見せる選手の性格など克明に調べさせ、それに応じた作戦を考えました。いまやこのような情報収集は作戦上の常識になっており、日本代表でも調査チームを編成するのが当たり前のようですが、昔はかなりのんびりしていました。
 例えば、1960年に日本代表が戦後初めて欧州遠征しましたが、10試合して1勝9敗の散々な成績でした。もちろん実力的にも劣る日本代表でしたが、当時は初めての遠征地であり、試合開始まで相手がどんなチームでどんな攻め方をしてくるかなど皆目わからない状態でした。試合の経過の中で、徐々に相手の動きやクセを覚えて個人で対策を考える時代でした。優秀な選手ほど相手への対応が素早いわけですが、チーム全体としてはこれでは勝てるはずはありません。
 銅メダルを獲った1968年メキシコ五輪で、とくにスペインやフランスなど西欧チームと対戦した時は、相手選手の長所や性格の欠点まで知り抜いたクラマーさんのアドバイスが大きく物を言ったと、当時コーチだった岡野俊一郎くんが言っています。
 1992年バルセロナ五輪当時、クラマーさんは故(ゆえ)あって韓国代表チームの監督をしておられた。そのアジア予選で皮肉にも日本と対戦した。「私は日本選手のすべてを知っていた。どの選手がどちらの足から踏み出すのかもわかっていた。韓国が1点を挙げた時、ああこれで勝ったと思った。当時の日本は攻撃が低調で1点あればもう十分だった。日本をやっつけることは人間として忍びがたかったが、コーチとしては仕方ないことだった」
 日本チームのすべてを知っているクラマーさんにとって、日本に勝つことは簡単だったわけです。当時の日本代表監督は横山謙三くんでした。孫子の兵法ではありませんが、まさに『敵を知り己を知らば、百戦危うからず(100回戦って100回とも勝てる)』です。

◎頓挫するアフリカ
 突然話題を変えるようですが、私が初めてアフリカのチームのすごさを感じたのは、1990年イタリアW杯でした。カメルーンがミラノでの開幕戦で、前回優勝でマラドーナがいるアルゼンチンを1-0で破りました。がっちりマラドーナをマークしながら、アルゼンチン選手より半身以上も高く飛び上がったオマン・ビイクがヘディングでドガンと一発決めました。
 カメルーンは、さらにルーマニアとコロンビアを破って、決勝トーナメントの準々決勝で、延長の末イングランドに2-3で惜敗するのですが、4得点をあげた38歳の老雄ロジェ・ミラーらの大きなストライドのドリブル、柔らかいボールタッチなど、まるで異次元の選手を見るようで、その身体能力に驚倒しました。
 それまでのW杯でモロッコやアルジェリア、エジプトなどが、時々番狂わせを演じたことは知っていましたが、この大会でのカメルーンは『アフリカの未来』を象徴しているようでした。欧州の有名評論家が「あと20年もすれば、アフリカの時代が来るだろう」と予言したのも無理からぬことでした。
 W杯の開幕戦では時々番狂わせが起きます。2002年日韓W杯の開幕戦では、前回優勝のフランスが1-0でセネガルに敗れました。ソウルでのこの試合のセネガルは、果敢で記憶に残る好試合でした。セネガルは元フランス領でほとんどの選手はフランス・リーグで働いているので、拒否反応がないとも聞きました。
 また日本がブラジルを破ってアトランタの奇跡をおこした1996年五輪では、日本を破ったナイジェリアが優勝しました。アフリカ以外のチームにとって、アフリカは油断できない相手になりつつあることは誰も否定できない。だが、かつて有名評論家が予言したように「アフリカは個人の能力はある。だが進歩はしているのか。W杯で優勝すほどの力をつけてきているか」といえば、おそらくどの評論家も「ノー」というでしょう。

◎日本独自のスタイルを
 アフリカの進歩、そして未来という観点から、私は2010年南アW杯の日本の初戦カメルーンとの試合を興味深く見ていました。みなさんご承知のように左サイドからの本田の得点が決まり1-0で日本が勝ちました。かつて私がダイレクトで決めるべきだったといったあの得点です。(その点、先のブラジルW杯予選第1戦での本田のダイレクトシュートはすばらしかった)
 ともあれ、南アでのあの最初の1点、それは歴史的1点と言ってもいいものですが、日本の将来をパッと明るくすると同時に、大会前の練習試合でやや不評判だった岡田監督をも救いました。マスコミは彼を名監督にしてしまいました。だが、気の毒にもアフリカ勢の意気を消沈させ、その希望は当分の間ついえることになりました。
 身体能力にすぐれ、個人個人がいかに優れていても、それだけでは勝てないことを、そして、そんな不遇をただ一つの試合が長く尾を引くことはよくあることです。たとえばPK戦で負けてチャンピオンになれなかった不遇などもそうです。(逆にPK戦で勝っても世界チャンピオンと称えられる。サッカーで勝ったわけでもないのに)
 アフリカは共通の悩みを抱えています。気の毒にもみな貧乏です。選手に払うべき給料をサッカー協会のお偉いサンが持ち逃げしたりします。個人プレーに走りチームが組織化できないと同時に、W杯の準備する協会の組織も強化システムも貧弱です。選手の能力はあるのに、きちんと準備できていないから、初歩的なミスとくに戦術的なミスが驚くほど散見できました。そのぎこちないとも言えるミスによって日本は、だいぶ救われていました。ひとくちに言えば個人を生かす組織がない、と言えましょう。
 ここで最初の話に戻るのですが、クラマーさんがやったように試合前に相手の様子を探るなんて、とてもできないし、その才覚もいまのところアフリカにはないようです。1960年代の手探りで遠征した日本代表と同じような状態です。そして、サッカーを強くするかしないかは、お金次第のようなところがあります。
 その一方で、多くのアフリカの少年有望選手が、まるで人狩りのようにして欧州に連れて来られて、雑居部屋に押し込まれ使い捨てされている悲惨な話もよく聞きます。たまに欧州の監督がやってきても、欧州スタイルを押し付けるだけのように私は感じています。アフリカ自身の能力を生かした独特のサッカーが創造できない限り、当分いまのままの状態が続くと私は踏んでいます。
 いま日本では、欧州で働く選手しか代表選手として使えない状態が続いています。これではJリーグが疲弊するばかりです。選手も、これを支えるサポーターも、そして、マスコミも。感覚的にはJリーグをあまりアテにはしていません。欧州に対する潜在的劣等感が拭い切れていません。これは恐ろしいことです。マスコミは、高い金を払って特派員を派遣し、ただ褒めたたえるような記事を書く、そんな状態がいつまで続くのでしょうか。
 わが日本も将来的には、優れた日本人監督の手で日本独自のスタイルを作るべきでしょう。
(この項おわり)

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