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オリンピックあれこれ(23)

◎驚天動地のニュース
 「レスリングをオリンピックから除外」
 まったく不可解。世界を駆けめぐったこのニュースほど、最近私を驚かせたものはありません。IOC理事14人が投票で決めたというのですから、長生きしているとこんなことまで起きるのかと、あきれて物も言えません。
 IOCの連中ほど、ノー天気な世間知らずはいないと常々思っていたのですが、これほどひどいとは。それ以上に、彼らの偉ぶった特権意識が鼻持ちなりません。スポーツの歴史を知っているのか。コトの重大性がわかっているのか。たった14人で、こんな重大なことを決めていいのか。
 走る、跳ぶ、投げる、蹴る、泳ぐ、そして取っ組み合う。これらは人間の本能であり、スポーツの原型です。紀元前の古代オリンピックが始まる、その前から人間はレスリングをやっていました。エジプトの壁画やメソポタミアの石板にも戦う姿が描かれています。
 有名なオリンピック研究家・故鈴木良徳さんは「オリンピックの話」の中でこう書いています。「ギリシャ伝説に、ジュピターはオリンパス山で、父親サタンとレスリングをやって勝ったとある」。時代は地球のできたころの話だ、というのですから、ズーッとズーッと昔から人間はレスリングをやっていた。
 もちろんレスリングは古代オリンピックでの花形競技でした。そして、近代オリンピックでも第1回大会からやっている。それを除外するなんて。わからん。
 新聞には、「レスリングはロビー活動を怠っていた」とありました。あきれた話です。陸上競技が競技種目から外されるかも知れない、とロビー活動をやるでしょうか。レスリングは堂々たる基幹スポーツです。ロビー活動なんか必要ないでしょう。
 IOC委員という人たちは、会場のロビーあたりで、ウロウロとトグロを巻いて口先だけを商売にしている連中の言うことを真に受けて聞くんですかね。やっぱりそのレベルなのか。陳情団や圧力団体でしょう。まったく情けないこと極まれり。

◎興業臭フンプン
 次のリオ大会では、新しくゴルフを加えるというじゃないですか。ゴルフはすでに世界中で大きなコンペをやっている。なぜオリンピックでやる必要があるんですかね。国籍を超越した完全に独立した個人競技です。日の丸を振ってガンバレ、ガンバレというスポーツじゃないですよ。ゴルフ場で国歌なんか聞きたくない。
 IOC委員たちは自分たちがやっているからとでも言うんでしょうか。有名プロを加えて人気を盛り上げようとでもいうんでしょうか。レスリングを忘れてゴルフをやる、まったく狂気の沙汰。まったくピント外れ。
 報道によれば、レスリングの除外は、普及度やテレビ視聴率、インターネットのアクセス数、スポンサー収入、ロンドン五輪での切符の売れ行き、人気度、女性委員の有無など39項目を精査したそうです。何だか興業臭フンプンですね。オリンピックはプロ化して、ショーになって、金儲けの道具になって、ハデハデしくなって、テレビにペコペコして視聴率を上げることに腐心し、ここまで堕落したのか。
 近代五種とテコンドーも除外候補でしたが、IOC理事の無記名投票で、レスリングを破って(?)生き残りました。だが、近代五種がどれだけ世界で普及し、テレビで何人が見たというんでしょうかね。あのスポーツは入場料などとれないはずです。
 テコンドーは先にロゲIOC会長が訪韓したとき、(新聞報道ですが)新しい女性大統領に「残してほしい」と頼まれたからとか。本当ですかね。でも、これは違います。真相は理事会の中に世界テコンドー連盟の倫理委員長がいて、レスリング出身がいなかった、というだけです。そして近代五種にもIOC理事がいたというのですから、レスリングには全く勝ち味はありませんでした。
 その理事がサマランチ前IOC会長の息子、つまりサマランチ・ジュニアです。私は、あるIOC委員から直接「何の変哲もない目立たぬ男」と聞いていたのですが、いつのまにか国際近代五種連合の副会長になり、IOC理事になっているので驚きました。
 つまりIOCというのは、最近は選手出身も多いですが、もともと生活の苦労などしらない王侯貴族、お金持ちの集団で世襲も多く、浮世ばなれした存在なのです。内部がどうなっているかよく分からない、現代まれな摩訶不思議な存在です。だが、もし近代五種が外れたらサマランチ二世の面目はなくなります。だから彼は除外されないよう必死だったと思います。
 繰り返しますが、理事会に近代五種とテコンドー出身者がいて、レスリングの出身者がいなかった。ただ、それだけです。2人の理事が目配せするだけで、レスリングの運命は決まったも同然、でした。

◎近代五種を外せ
 私が言っても仕様がないことですが、この連載コラムでも触れましたが、私はもともと近代五種と射撃、馬術をオリンピックから外せ、というのが持論です。
 ここでは近代五種にしか触れませんが、1964年東京オリンピックを取材して驚きました。五種とは、馬術、フェンシング、ピストル、水泳、陸上ですが、つまりは「兵隊ごっこ」のスポーツです。一般に普及していないし、普及するスポーツでもありません。それに開催する側に大きな負担がかかります。例えば馬です。
 当時の規則では「ハンター種の6歳馬を60頭用意すべし」でした。しかも、公平を期するため2歳のころから同じ条件で4年間飼育し、同じような馬をそろえなければならなかった。しかも、公平を期するため120頭も飼育し、優秀な馬30頭とたちの悪い馬30頭を外し、中間の60頭を使うというものでした。
 いまはハンター種などの条件はなくなったようですが、ただ1回の競技のために同じ条件の馬をそろえる、こんなバカげたことはない。毎日、120頭を調教するのも、出費もたいへんです。私は当時、馬をやめてオートバイにでもした方がいい、と書いたことを覚えています。
 世界のスポーツ人口もレスリングの方が断然多い。みなさん、こんなスポーツを残すIOC理事会は、浮世離れした奇妙な存在だと思いませんか。
(以下次号)

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