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オリピックあれこれ(37)

◎80歳の「年の功」
 テレビのコマーシャルで、ミュージシャンの坂本龍一さんが「あと30年は生きたい」という意味のことを言っていたので、苦笑しました。私も50歳のころ、同じことを考えていたからです。
 そのころの私にとって、80歳ははるか彼方にありました。人間もあの年まで生きれば、まあ何とか心情的にも満足できるであろう生涯が送れるのではないかと思った次第です。
 ところがどうでしょう。たっぷりあるはずの時間が、いつの間にかなくなり、私はこの5月で88歳という年齢になってしまいました。まったくアッというまです。30年間以上も生きていて何をやったか。まったくお笑い草です。
 若いころ、私は自分を顧みて周囲に影響されやすい性格だと思っていました。ある人に話を聞くと「ああ、なるほど」と思い、また別の人から反対のことをいわれると、また「なるほど」と思ってしまう。
 新聞記者という仕事上、人に会うことが多いのですが、いつも他人の話を聞いて「すごいな」と感じて、私自身劣等感に襲われることが多かった。つまり、私はきちんとした信念も思想もない、大衆に流されやすいまとまりのない人間でした。ところが最近、そうでもなくなったのです。年の功といいますか、老人の頑迷さが増したとでもいいますか。確固たる信念のようなものが出てきた。イエス、ノーがはっきり言えるようになった。
 すべてに晩生(おくて)だった私が80歳を越えて、物事に対する考え方がやっと一人前になった気がしています。
 80歳になれば、80歳の人しか味わえないものがあるということかもしれません。そろそろ棺桶が近くなったこの年まで生きれたことを感謝すると同時に、こんな気分が味わえなくて早死にした多くの友人を気の毒に思います。

◎老いの一徹
 最近、実に大胆かつ率直な文章に接して、私は大きなショックを受けました。哲学者で文化勲章受章者の梅原猛さん(89)が東京新聞夕刊で毎週月曜日に「思うままに」という題名で連載されているものですが、3月10日付けでこう書いておられます。
 「安倍首相の姿は、ぼけ老人といわれても仕方ない私からみると、どこか東条首相の姿と重なる。その薄ら寒い感じは私のなかで日ごとに強くなったいるように思われる」
 梅原さんは、東条首相が祀られている靖国神社を参拝した安倍首相のことを論じておられるのですが「東条首相の起こした大東亜戦争なるものを正当化することになるとはいえないまでも、戦争に対する反省がまったく欠如しているのではないかというわけである」と書いておられます。
 これは梅原さんが功なり名をとげた89歳だから書ける文章だと思います。だが、私を含めて、いまの時代、若いジャーナリストも忘れてならない、しっかりと指摘して行かねばならない感覚だと思います。

◎東京五輪への危惧
 横道にそれていました。2020年東京オリンピックが安倍政権、そして組織委員会の森・元総理のもとでどんな風に運ばれていくか。私もやはり信念に近い老いの一徹で、非常に危険なものを感じ、大いに心配しています。
 スポーツはナショナリズム高揚に利用されやすい。全国民あげてとか、国民の期待とか、愛国心にすぐに結びつきます。そしてスポーツ界も、残念ながら「身も心も捧げて」利用されることを望んでいます。
 1936年ベルリン大会はナチスの宣伝に利用され、ヒトラーが自信を得て大戦に突入したといわれます。何も、そういう風にまではならないと思いますが、最近の秘密保護法とか集団的自衛権、嫌韓嫌中の風潮をみていると、オリンピックを機会に日本は一挙に右傾化する危険性すら感じます。
 読売新聞は4月19日新社屋建設を記念して「東京五輪と日本の将来」というフォーラムを開きます。その趣旨を「スポーツの振興に寄与するだけでなく、インフラ整備による経済効果をもたらし、日本の国際的なプレゼンスを高め、社会が自信をとり戻す好機であると期待されています」と説明しています。
 これが大新聞、そして一般人が抱くオリンピックのイメージでしょう。だが、「経済効果」とか「プレゼンス」とか「社会の自信」といった甘い言葉の裏にある怪しいもの?には、ほとんで誰も気がついていません。いまさら社会が自信を深めてどうするというのでしょう。
 戦前、多くの新聞は軍部の圧力で大転換をせまられました。戦争を知らない世代が多くなるにつれて、やがて日本もそんな時代がくるような予感がします。
 そんな時代にとって、オリンピックは極めて都合のいい存在です。年々増大する礼讚一辺倒のバカでかいスポーツの報道は、新聞がやがて再び大転換せざるを得ない時代への予兆のように思えます。
 もちろん長年スポーツを取材してきたジャーナリストとしての私は、オリンピックが持つ魔性によってスポーツそのものが歪められることいちばん危惧しています。だが、それに気が付くスポーツ人は日本にはいないようです。
(以下次号)

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