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オリンピックあれこれ(47)

◎灼熱のオリンピック
 何時まで経っても暑いですね。この時期、こう暑いと2020年東京オリンピックが心配になります。開会式が7月24日、閉会式が8月9日ですから、灼熱の日々が続くことが目に見えています。
 甲子園の高校野球でも、好投していた投手が7回に両手に痙攣を起こして降板、次の試合でも二塁手が両足などを痙攣し、医師が熱中症と診断したそうです(8月9日・産経新聞)。
 観客にも熱中症が続発し、患者が救護室に入り切れない状況だったといいます。
 なぜこんな時期を選んでオリンピックをやるのでしょうか。
 1964年の先の東京オリンピックのように10月10日を開会式にすればいいのにと思いますが、この2020年の日程は東京が立候補する前からもう決まっていたそうです。
 いろんなプロスポーツの日程の都合で、この時期しか空いていない、とくに放映するテレビ局の勝手な?都合があるとも伝えられています。
 屋内競技は空調設備である程度対応できますが、問題はマラソンやトライアスロンなどの屋外競技です。5年先のオリンピックでは、「遮熱式舗装」のほかアスファルトに保水剤を入れて気化熱によって熱を奪う「保水式舗装」、また霧状の水を撒くミストシャワーを設置したり、日蔭をつくる街路樹を増やしたりして対策を講じるといいますが、どれだけ効果がありますやら。

◎金栗さんの経験
 1912年のストックホルム・オリンピックのマラソンは、金栗四三さんら日本選手がはじめて参加した大会です。照りつける太陽の下、死人(ポルトガルのラザロ選手)が出た大会でした。金栗さんも必死で走ったのですが25キロ付近で気を失ってしまいました。熱中症でした。
 金栗さんは敗因をこう分析しました。
 「第一に暑さ。慣れない食事とベッドによる食欲不振と睡眠不足。スピードと耐久力をどう調和させるかの問題もあった」
 次のオリンピックまでの3年間、金栗さんは夏休みの50日間、千葉・館山の砂浜で、ギラギラ照りつける太陽の下、帽子なしに走りまくりました。1日絶食したり、徹夜した後に走ることもありました。
 どんな不利な状況でも勝つ力をつける、つまり敗因を除去するのではなく、敗因を征服しようとしたのです。昔の人はエライものですね。
 人間の力というのは不思議なもの。2年後には、金栗さんは眠らなくても食べなくても普通どおり走れるようになったといいます。「荒行」ともいえる練習で暑さも征服してしまったのです。

◎猛暑を勝因に?
 1964年オリンピックで優勝したアベベは、試合の前の日に調理室にやってきて「スイカのジュースを作ってほしい」と注文したそうです。当時コックをやっていた人から、私は直接聞きました。
 スイカのジュースは、体の熱を下げる効果があるといわれています。マラソンで2連勝したアベベは超人でした。その彼も「暑さ対策」の準備をちゃんとしていたのです。
 猛暑が苦にならぬほど鍛え抜いた金栗さん。そしてアベベの周到さ。2020年も猛暑かもしれない。だが、やりかた次第では、暑さを逆用して「勝因」にすることができるかもしれません。だからオリンピックは面白い。
(以下次号)


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