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オリンピックあれこれ(52)

◎メダル41個の意味
 リオ五輪が終わった。日本のマスコミは依然として大きな写真を使って、日本選手の礼讚の記事ばかり。とくにオリンピック協賛を打ち出した朝日、毎日、読売、日経の4紙は、すべて同じような大政翼賛会的な紙面でおお騒ぎ。内容が同じなら何も4紙も5紙も購読する必要なし。
 史上最高の「メダル41」という成果が、スポーツ関係者だけでなく、いわゆる有識者といわれる人達の論文にも使われたりしている。日本バンザイの一人歩きが大合唱している。
 だが、私はいいたい。1964年東京五輪の折り日本は、なんと金16、銀5、銅8と合計29個のメダルをとった。当時の種目数はたしか163だった。いまリオの総種目数は306だ。倍近く増えている。
 種目の増え具合から見れば、リオでは1964年当時より総計で50や60に増えていてもおかしくない。41は数の上だけの史上最高にすぎない

◎外国選手のこともしりたい
 ドナルド・キーンさんが書いていた(東京新聞・9月4日)「メディアがこの時ばかり『日本にメダル』と叫ぶことに違和感がある」「(この騒ぎようは)まるで全体主義国家にいるような気分になった」「金メダルをとった外国選手については、ほとんど知ることができなかった」
 私は日本のことを悪く書いているが、たぶん外国の新聞も「自分の国のことばかり」書いているのだろうと想像する。だが、私は引っ掛かるのは、この4月頃、国際NGO「国境なき記者団」から発表された報道の自由度が「日本72位」ということだ。韓国や香港よりも下位にある。この事実とオリンピック報道とは何の係わりもないのだろうか。目先の小さなことにこだわって、世界の大きな動きを見逃している。それが日本の新聞ではあるまいか。
 もう一度いうが、私は外国の新聞を、そんなにフォローしたわけではない。だが、優勝した選手のストーリーくらい克明に載せるべきだろう。それがオリンピックの報道だ。

◎深みのない報道
 卓球女子は前回のロンドンでは団体銀メダルだったが、こんどのリオでは銅メダルに落ちた。村上監督は「今回は中国を目標に練習してきた。しかし、準決勝でドイツに負けて中国と戦うことができなかった。メダルは取ったか目標が達成できなかった。点数をつければ70点というところでしょうか」と。
 だが、新聞は銅メダルでも90点以上を取ったようにお祝いムードで大騒ぎしていた。新聞が上っ面をなぜたメダル41個も、専門家からみれば不満もあるということだ。そういう専門家の声が新聞に反映されていないのが情けない。

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