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オリンピックあれこれ(41)

◎嘘つきオリンピック
 新・国立競技場は一体どうなっているのでしょう。2020年オリンピック大会のため、主競技場を建て変えるとして、元国立競技場を解体し、付近の樹齢百年の樹木までも切り倒しました。
 コンクリートの瓦礫の山となったころ、今度は新競技場の建設にお金がかかり過ぎる、工期に間に合いそうにないと文科省が言い始めました。いまさら改修にすればよかったなどといっても後の祭り。
 開閉式の屋根の建設を大会後に延期し、8万人収容の観客席のうち1万5千を仮設にするというのです。こんな言い分と変更は、国際的にも恥ずかしいことです。
 立候補したとき、最大の規模となるサイズと独創的なデザインのものを造ると大風呂敷を広げて約束したのではないでしょうか。
 巷ではオリンピックめざし、いろんな計画が進んでいます。その大部分はおカネ儲けのはなしばかりですが、肝心のスタディアムがこれでは、完全な公約違反です。
 8キロ以内に競技場を集めるというのも、お金がかかり過ぎるとバスケットやカヌー、トライアスロンなどを埼玉や神奈川に分散し、公約のコンパクトな大会も怪しくなっています。お金がかかることなど招致前から分かっていたはず。
 もともと「原発の汚染水は(完全に)コントロール下にある」と言ってもってきたオリンピック。あれもやる、これもやる、といってきたことがやれず、どうやらほら吹きの様相です。いったん開催が決まったら、後はどんな嘘をついてもいいと思っているのでしょうか。

◎国立競技場は迎賓館
 私は、開閉会式を行う主競技場は、その大会の象徴的なものでなければならないと思っています。いわば看板であり、いちばんの売り物であり、あこがれの場所であり、聖地であり、世界の人々を心地よく招待する迎賓館でなくてはならない。
 すばらしい舞台を造ることによってオリンピックも映えます。それが「選手第一」のおもてなしでしょう。費用が足りないといって「野球くじ」まで言い出すところは、外面(そとずら)のいい日本人にしては珍しいケチな根性です。
 もともと開閉式屋根は、大会後の収益を考えて、コンサートをやる場合、音声が外に漏れないようにするためだったそうですが、大会後に再び足場を組んで、また何十億円を追加してやれるでしょうか。その場かぎりの杜撰な計画としか言い様がありません。
 私のように、オリンピックの招致に必ずしも賛成ではなかった人間でも、決まったからには、やはり恥かしくない大会をやってほしいと願っている人は多いことでしょうに。

◎世界のためのオリンピック
 オリンピックは日本という国のため、あるいは日本の国民のため開くものでしょうか。いやそうじゃないでしょう。世界中の人のため、世界の平和に幾分かでも貢献できればと思って開くのでしょう。
 オリンピックは日本の経済を刺激し、カネ儲けのため開くものじゃない。オリンピックを呼んでくる、ということは、つまらぬナショナリズムを捨てて、少々の出費もかまわないと覚悟を固めるということでしょう。
 軍事費を1年くらい凍結したら簡単にやれることではないでしょうか。それこそ平和国家!
(以下次号)




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