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1.日本人にサッカーは向いているか

 このたび、ビバ!サッカー研究会のご協力のもと、週1回の予定でコラムを書くことになりました。
 「炉辺閑話」とは、昔ルーズベルト米大統領がラジオの“Fireside Chat”という番組で政治、経済、時事の諸問題を雑談風に語り、世界的な話題になったものです。誰が訳したか分かりませんが、「炉辺閑話」とは実に手慣れた翻訳です。
 サッカーに限らず、スポーツ全般のいろんな問題を雑談風に取り上げていきたいと思っています。

◎日本人のやさしさ
 私は60年もスポーツ記者をやっていますが、世界中を見たわけではありません。ワールドカップやオリンピックなどで1カ月以上滞在した国はせいぜい10カ国たらずですし、駆け足で取材した国を合わせても30カ国程度しか行っていません。
 そんな私ですが、「外国人がうらやましい」と感じることがあります。それは、おしなべて彼らは「イエス」「ノー」がはっきりしていることです。子供でも、個性があるというか、きちんと自己主張できる強さを持っています。
 日本人は勉強好きです。それは他から影響されやすいということでもあります。性格的におだやかで、相手の気持ちを推し図って「イエス」「イエス」と言いますが、なかなか「ノー」といえません。
 殿様や上役の命令を、絶対的なものとして聞かねばならぬ伝統や教育がこうさせたのかもしれません。私自身「ノー」と言うのに勇気を要することが多々あります。
 こんな国民が1940年代に、なぜ米国と戦争を起こしたのか不思議です。軍部の強引な政策や宣伝に妥協に妥協を重ねているうちに、反抗心を生むことなく泥沼にはまり込んでしまったのでしょう。逆説的なようですが、日本人のやさしさ、自己主張のなさがズルズルと戦争に追い込み酷い目にあったと私は思っています。

◎なぜ勝てないのか
 日本サッカーは1968年メキシコ・オリンピックで銅メダルをとって以来30年近く世界の檜舞台に出れませんでした。当時はオリンピックもワールドカップも、アジア全体の出場枠が少なく、ほとんど宿敵韓国と同じ組にいて勝てませんでした。
 技術面では、韓国に決して劣っているわけではないのに、接戦して負けてしまう。「どうして負けるのか」の解明は、サッカー記者の私にとって最重要かつ宿命的なテーマでした。
 しばしば来日する欧米のチームに対しても、勉強し過ぎのせいか、何だか劣等感が先に立って萎縮して、ほとんど勝てませんでした。
 記事を書く上で、技術や戦術、フォーメーションのことを書くのは比較的楽です。また、マニアと呼ばれる読者に喜ばれます。サッカー専門誌の内容は、ほとんどすべてこれです。だが、外国の選手のレベルまで技を引き上げるのは、口で論争するほど簡単ではありません。
 繰り返しますが、技術はたしかに重要です。だが、それだけでは勝てない。私のつたない経験から、技術に溺れる者が1点がとれなくて、技術に敗れるようなところがあると感じています。そこがサッカーの面白さであり、神秘的ともいえる奥の深さです。
 むかしの韓国の闘争心、敵愾心はすごかった。いきおい私は、日本チームの精神力不足、個性のなさ、「ノー」と自己主張のできないやさしさ、真似のうまい創造性のなさなどを指摘せざるを得なくなりました。技術が同レベルなら精神力の強い方が必ず勝つのが道理です。

◎長沼・岡野の猛抗議
 1970年代はじめ、私は「サッカーというスポーツは日本人に向いていないのではないか」と新聞に書いたことがあります。
 さあ、たいへん。日本サッカー界から猛反発を受けました。岸体育会館の1階にあるスポーツマン・クラブで、長沼・岡野両君につかまり、「朝日新聞にあんなことを書かれると影響が大きい」と、いつもおだやかな両君が珍しい口調で延々と抗議されたことを思い出します。
 なぜ私はそんなことを書いたのか。そのころ国際試合でさっぱり勝てなかったことが第一。あげくの果て、先に述べたように「ノー」といえない「日本人の心のやさしさ」に行き着いたのです。技術は高いのに勝てないなら、日本人の性格や歴史、伝統など諸々のことにまで考えを及ぼすしかないじゃないか、そして、そういう国民性は容易に直せない、というのが私の言い分でした。
 サッカーは自己主張のスポーツです。相手が必死に守っているのを強引にこじあけ得点をとるのは技術だけではない。体を張る気持ちの強さ、真似のできない創造性、執着心、決断力、勇気、さらに情熱、ゆとりが必要です。
 読者の皆さんは当然「いまもサッカーは日本人に向いていないと思っているのか」と詰問されるでしょう。私のいまの答えはこうです。
 「私の考えの底流は、基本的に変わっていない。日本が強くなったといっても、まだ危なっかしい部分がある。トップは強くなっても、それに続く層がまだまだ薄い。だが、サッカーを盛んにすることによって、日本人の能力や考え方、生き方を変えることができる。イエス・ノーのはっきりした自己主張のできる新しい日本人を作り出すことができる。それほどサッカーは偉大なスポーツである」。
(この項つづく)

※11月14日に掲載した文章を一部修正して再掲載しました。ご了承ください。
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