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教師めざす学生へ(3)

◎新聞は正しいか
 これから、私はみなさんにスポーツの話をしていくわけですが、本題に入る前にもう一つ、ぜひ説明させていただきたいことがあります。それは「正しいとは何か」ということです。
 いま、日本は総選挙を前にしています。少し前、朝日新聞の論説主幹という人が、トップページに「正しい問い、見分ける時」という論文を掲げていました。憲法改正や増税、原発、国境問題など欧州などの例を挙げながら、こう書いてありました。
 「答えが簡単に出ない時代、むしろ正しい問いを立てる政治家や政党にこそ目を向けなければならない。われわれメディアも正しい問いを見分けられるかどうか、眼力を問われる」
 みなさん、この論文をどう思いますか。こんなのを「社説的な」意見といいます。ああでもない、こうでもない、結局、正しいかどうか見分ける眼力がメディアに必要というのでは、まさにガクンです。何が正しい問いか、どこをどうすればいいのかの説明から逃げています。
 「国民は積極的に監視していかねばならない」とか「これこそ目が離せない重要な課題であろう」「国民一人ひとりが自覚を持って投票にあたるべき」というのと同列で、言葉の遊びもいいところ、何の解決にもなっていません。こういう論文は、平気で嘘をつく、だらしないいまの無責任な政党と同列のものといえましょう。

◎正しさの限界
 とはいっても、かつて私も新聞記者だったからよく判るのですが、「正しいこと」は非常に判りにくい。いまの世の中には国論を2分することがあまりにも多い。人間としても何が正しいか、よく判らない。それ以上に、片一方の肩を持てば、片一方から攻撃されます。冒険のようなところもあります。しかも、新聞は売文業です。すべての人からよく思われたい性質の人気稼業の一つです。
 ほとんどの国民から見て正しいこと(例えば金メダル選手を称えること)については、マスコミはこれ見よがしにその正しさ?を誇張して大きく報道します。金メダル選手を称えることは、ほとんどどこからも苦情は出てこないでしょう。人畜無害です。がんばれ、がんばれと旗を振る。それが、最近は裏面でスポーツ商業主義に連なって、選手がロボット化していることなど、有能な記者は知っていますが、知らぬ顔です。
 私は、自分でも疑いやすい人間だと思います。人を殺す、傷つける、盗むなどは人の道に外れた「悪いこと」です。教え子に、そんなことを教える教師はまずいないでしょう。だが、戦争になったらどうでしょう。人殺しが正義になる。「やっつけろ」という論旨になる。非常にペシミスチック(悲観論)なようですが、そんな経験を積んで来た私は、とくに疑い深いのかもしれません。いや、それだけではない。裏を見る目を持つことは、ジャーナリストでない人にも必要だとすら思っています。

◎真実のあいまいさ
 ほとんどの新聞は信条とか綱領という形で、報道の精神を謳っています。例えば、読売新聞の信条には「真実を追究する公正な報道」、朝日新聞は綱領には「真実を公正敏速に報道し」とあります。その他のほとんどの新聞も「真実の報道」を旨としています。
 だが、ここでいう「真実」とは何でしょうか。真実は事実と違います。「正しいこと」や「正義」と並んで、非常にあいまいなものです。一人が「真実だ」と言っても、もう一人が「真実でない」ということは、よくあります。裁判はほとんどそうです。
 堅い話になりました。すみません。判りやすく、例えば「国民体育大会は国民にとって必要か」「日本のサッカーは本当に強くなっているのか」。最近では「三浦カズは、本当にフットサル日本代表に貢献したのか」など。
 こんなテーマを「真実の報道」に組み入れることは、容易ではありません。私は、新聞社でいちばん大切な信条とか綱領に、こんな言葉を入れたおエライ人は「真実の意味をどう了解しているのだろうか」と不思議な気持ちになります。現実の報道から、記者個人の考え方や思想を排除することはできないからでもあります。

◎疑うことができる目
 記者時代、私はルポライターで知られる本多勝一君と「真実の報道」について、まるで学生時代のようにケンケンガクガクと真剣に議論しました。彼は「南京大虐殺」の取材で知れられています。
 「真実とは事実の積み重ねだ。現場にでかけて人の話を聞き、目と足でたしかめ、状況や資料を調べる。そんな事実を集められるだけ集める。ルポライターとは、できるだけ多くの事実を集め、真実に迫るのが仕事だ」
 100も200も数多くの事実を探索すれば、真実が自然に浮かび上がってくるだろう、というのが一応の結論でした。
 みなさんはこれから教育の現場で、生徒と接触する中で、いろいろな事象に直面し、経験して行くわけです。世間では、真実とか正義とかいう言葉がいとも簡単に、都合よく使われています。だが、お話した通り、真実とは何か、正しいとは何か、それは正直のところ、よく判らないものです。千差万別です。真実だと思っても、まだ先に真実があるかもしれない。
 私は、結局のところ「自分の目で見て考え、自分自身の真実を探し出すことだ」と思います。そのためには、人の話をよく聞き、本を読み、視野を広くし、きちんとした自分の考えを持つことしかありません。
 つまり下世話に申しますと、新聞やテレビのいうことを軽々に信じてはいけない、疑う目を持ってほしいということです。
 マスメディアはしょっちゅう失敗をしています。情報(事実)を知るためには新聞は必要ですが、それを生かすも殺すも読者のレベル次第です。疑う目は、新聞に対してだけでなく、一般社会全体に対しても必要なことです。物を疑うことのできる実力を持つことです。自己を確立することです。
(以下次号)

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