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サッカーあれこれ(15-1)

◎ファルカン氏大いに語る
 古いメモ帳を見ていたら、ファルカン監督のインタビューのメモが出て来てきました。彼はあのドーハの悲劇を演じたオフト監督の後を継いで、1994年3月日本代表監督に就任した人です。
 1982年スペインW杯を取材した私は、当時最強といわれたブラジルのジーコ、ソクラテス、トニーニョ・セレーゾとともに『黄金のカルテット』の一員として名を馳せた知性派ともいうべき、ファルカンの頭脳的なプレーを忘れることができません。
 私個人はファルカンの日本代表監督の就任に、大いに期待していました。が、彼は運に見放された格好でした。当時の日本サッカー界は、ドーハの痛撃の後遺症で迷路に迷い込んだようで、最も舵取りがむつかしい時でした。
 とくに人事面では、外から見ると、協会首脳部の意見がまとまらず、相変わらずのモタモタ続きでした。そんな時でしたから、若い選手を積極的に起用するファルカンは、常に批判にさらされていました。だが、ファルカンのサッカー観と数年先を見る信念に私は共感を覚えていました。
 10月広島で開かれたアジア競技大会で韓国に2-2の後、PKをとられて日本代表は敗れました。その直後、協会はまるで待っていたかのように、わずか7カ月であっさりとファルカンの解任を申し渡しました。私は「PKで負けても監督の責任なのか」とファルカンに同情したものです。
 彼へのインタビューは解任された直後、たしか週刊朝日の注文でやったものですが、私だけの感想かもしれませんが、いま読んでも興味深いものです。肝心の週刊朝日をなくしてしまい、この『炉辺閑話』でふたたび紹介させていただく次第です。ファルカンは中途半端な形で仕事を投げ出す無念さを語ってくれました。
 ファルカン監督の後任には、紆余曲折を経て加茂周監督が就任しましたが、W杯アジア予選の途中で解任され、あとを継いだ岡田武史監督のもとで、日本代表が初めて1998年フランスW杯に出場することになるわけです。

◎やり残したフィジカル強化
―― 日本サッカー協会が、今回あなたを辞めさせたのは大きな間違いだったと私は思っています。
 「私もそう思います(大笑い)。日本サッカー協会はやらなくてはならないことが、まだまだたくさんあります。人間は転んで間違いを知り、立つことを覚え、進歩する。私が辞めることが日本サッカーの進歩に役立てば幸いです」
―― この7カ月間、あなたの長いサッカー生活の中で楽しいものでしたか。
 「正直に言って、私は日本のことをあまり知らなかった。新しいことを知り、感じて、勉強するには7カ月はちょうどよかった。楽しかったですよ」
―― それにしても契約期間が短か過ぎた。私の予感では、あと数年あなたが日本チームの面倒をみれば、それこそ本当に闘うチームが作れる、前途に光明が見いだせたと思っていたのですがね。
 「契約期間が短いことは契約のときから知っていました。だから、すぐにいい結果をだすことは難しいとわかっていました。そんな制約の中で、大きな目的へのスタートとしてのいい仕事をやりたいと思っていたし、自信もありました。そこらあたりを日本協会の人にもわかってほしかった。とくに技術面だけでなく、欧州の選手と競り合っても負けないようなフィジカル面での計画を最後までやりとげたかった。その点では残念です」

◎やはり時間がなかった
―― 私は、あなたの仕事は始まったばかりだと思っていました。三浦カズが「ファルカンに続けてやってほしい」と言っていたそうです。彼もここらあたりを感じていたのでは。
 「選手たちが私の仕事を理解してくれたのは気持ちのいいことです。とくに若い選手が認めてくれるのが一番うれしい。名良橋(平塚)が、最近のJリーグの試合で「ファルカンのいう通りのセンタリングをやったらうまくいった」と語ったと聞きました。彼は最初レギュラーではなかった。そんな彼がそんなコメントをしてくれるのはうれしいことです。
―― 岩本(平塚)も変わりましたね。
 「彼はFBから中盤に上げたのですが、中盤の選手は左右前後から相手が攻撃を仕掛けてくるので、一刻も止まってはいけない。体力が要るし、走りながら休息をとることを覚えなければならない。彼は将来性があるので、練習で無理な注文をしましたが、まだ慣れていないし、戸惑っている段階です。彼には教えなくてはならないことがまだたくさんあります。時間がなかったというのはこのあたりです」
―― どうしても広島でのアジア競技大会のことになってしまうのですが、韓国戦で井原(横浜M)が、ロングシュートを決めて2-2にした時、私は勝ったと思いました。韓国選手はがっくりして、みんなフラフラでした。90分間の最後で勝負に持ち込む。さすがファルカン、と思いましたね。
 「よく見ていますね。サッカーは90分間の中で、常に相手の状況を観察しながら、それぞれの時間にやるべきことがあります。やるべきことが、やるべき時間にきちんとやれる。それがいい選手です。例えば0-0で残り時間が5分という時には、それなりの戦い方ある。チーム全員がそれを感知しべきです」
―― なるほど。
 「2-2になった時はボクシングでいえば、ジャブが成功し、KOパンチを出すチャンスでした。だが、そんな感覚を覚えるには時間が要ります。結局、PKをとられて負けましたが、選手が悪かったわけでなく、教える時間がなかったということです」

◎ラモスを使わぬ理由
―― 実力的には韓国が上だったかもしれません。だが、5分5分の勝負ができる。あの試合ぶりは、「これがサッカーだ」と私は思いましたね。
 「いやいや、サッカーは試合だけではありません。いかに準備するかです。サッカーには精神的なものを含めて、細かいところ奥深いところがいっぱいあります。みんなはACミランはすばらしいといいます。しかし、彼らは裏の細かいところで抜け目なく考え、きちんと準備している。それには時間と感覚的なものが必要です。そこらあたりを実戦に生かすのはたいへんです」
―― 負傷者の多さもひどかったですね。
 「そうです。結局、私が考えたチームは最後まで作れなかった。いろんな選手を見ることもできなかった。山口(大阪)はFWとしてはいちばん調子がよかったし、森保(広島)、福田(浦和)、中山(磐田)、宮沢ミッシェル(市原)も試したかった。固定メンバーが組めなかったのが最大の心残りです」
―― ラモス(川崎)の起用はまったく考えませんでしたか。やはり37歳だったからですか。
 「ラモスの実力は日本で3本の指に入るでしょう。それに、元ブラジル人だから言葉が通じる。これは私にとっても都合がいい。普通なら使うところでしょうが、おそらく3年後は彼は使えないでしょう。ラモスを起用することは過去を振り返ることで、私の主義に反します。それに、彼は中盤の大切なポジションです。そんな大切なポジションは、とくに将来のチーム作りのためにも、若い人に経験を積ませたいと考えたわけです」
―― カズはイタリアで怪我をし、やはり調子が悪かった。それでも使いましたね。
 「ああいう選手はチーム内の信頼という点で存在感があるし、相手になんとなく脅威を与えるものです。しかし、彼は20日間休んでいた。そのうち10日間はベットの中にいた。調子はいつもの50%くらいで、最初のころはシュートを失敗ばかりしていた。だが、だんだん調子を上げてきた。彼の所属するジェノアのためにリハビリしてさしあげたようなものですよ(笑い)」

【サッカーあれこれ(15-2)へ続く】
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