大人の教室は、誰もの仕事や生活の匂いを感じ合いながら、 なんとなく「随分哲学的な話」が満ちていました。 それぞれの生活を反映して、何を0話題にするとの意図もない中で、 日常の大変さが伝わってきたり、「社会と私」の取り組みなどが滲んで居て、他人事ではない事象が多いものですから、各個の「生き方」を見直す機会にもなっているような「サロンにも」なっているのです。
壁に何気無く架けられているようなものや、 窓辺置かれた造形物が、そんな話を興味深く聞いているようにも思えて来ます。 どの造形物にも、物語が満ちています。 誰かが描けている壁の飾りなども、それなりの存在です。
小生の絵なども、セロテープで無造作に飾られていて、それなりに役割を果たしているようです。 いわさきちひろの「画片」も、印刷物でしょうが、静かに語りかけて呉れます。
日常の中での、大切な空間がこんな中にあるのに違いありません。
毎月2-3回は指導と称して、自分の勉強に出掛ける「どれみこども園」の、3-4歳児の自画像を描かせに出掛けました。
この作品たち4点は、3月までの子供たちの3歳4歳そして5歳児の共同制作から・・・。 年度の終わりごろの子供たちが描いたものですので、実際は4歳-6歳に成っている子供の自画像です。
新年度の3-4歳児の作品を書かせようというのです。 みんなと「握手」を一人ずつ済ませた後で、 さあやって見ようと、全員を起立させて、身体を触りながら「自分」を確認しました。 鼻の穴に指を突っ込んだり、耳をくしゃくしゃになるほど触らせたり、自分がどんな感じの身体をしているかを体感させてみたのです。
この子供たちが社会に出るころの社会を考えています。 子どもは着実に育っています。 偏差値だけに焦点を合わさない社会の展開を期待しますし、
この元気を持って、どんなことにでも立ち向かえる「人の力」「人間力」を 複合的に身に着けたいとの思いの「絵の指導」でもありました。