醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1049号   白井一道

2019-04-07 13:45:10 | 随筆・小説




 ポプュリズムとは




侘助 今朝、TBSテレビ「サンデーモーニング」を見た。コメンテーターの涌井雅之さんが韓国の文在寅大統領がしていることはポピュリズムだと述べていた。この発言を聞いて驚いた。涌井さんはポピュリズムを大衆扇動主義だとも発言していた。韓国の文在寅大統領を大衆扇動主義者だと考えている人がサンデーモーニングのコメンテーターをしている。サンデーモーニングの品格を落とす発言だと私は感じたな。
呑助 ポピュリズムとは、何ですか。
侘助 古典古代のギリシア時代からある古い政治思想の中にポピュリズムはある。ギリシアの民主主義はポピュリズムとなって滅びていったと説明されている。
呑助 デマゴーグが民主主義を破壊したと高校生の頃、教わった記憶がありますね。侘助 そうなんだ。デマゴ
  ーグが民主政治を堕落させた。それ以来、民主政治は衆愚政治だという主張がある。デマとは今の言葉でいうとフェイクニュースかな。フェイクニュースで大衆を扇動する政治家がデマゴーグだ。現代日本の政治家の中にもデマゴーグが、フェイクニュースを流し、大衆を扇動する政治家がいるでしょ。大衆から熱狂的な支持を得た日本の政治家というと最近では、小泉純一郎元総理大臣がいた。私なども演説を駅前に行ったら、立錐の余地もなく30メートルぐらい離れたところから押し競饅頭をして聞いた覚えがあるよ。これほど大衆が駅前に広場に集まり、政治家の演説を聞く大衆に出会ったのは初めての経験だったかな。小泉総理の人気は凄かった。小泉純一郎元総理はポピュリスト政治家であったのは間違いないのではないかと思う。今の総理、安倍晋三氏には小泉純一郎氏のような国民からの支持はない。安倍一強などとマスコミは述べているが、安倍晋三氏はポピュリスト政治家ではない。
呑助 安倍首相に対する日本国民の熱狂的な支持はありませんね。
侘助 古代ギリシア、ポリス・アテネの民主政治の中でその声望および弁舌によって民会の決議に影響を与えて,政治を左右する者,つまり「民衆の指導者」がいた。現代では刺激的な弁舌,文章によって大衆を政治的に動員する扇動政治家がいる。デマゴーグによって,特定の政治目的のために意図的に捏造され,流布される虚偽の情報がデマゴギー、フェイクニュースだ。例えば「消費税はすべて社会保障に当てます」と安倍総理は言いますが、実際はしていません。「消費税はすべて社会保障に当てます」。これはデマ、フェイクニュースです。
呑助 デマ、フェイクニュースで支持を得て行う政治は民主政治じゃないですね。
侘助 すべてのアテネ市民のための政治が民主政治だからね。一部のアテネ市民のための政治では民主政治だとはいえない。
呑助 ナチス党が政権を取ったドイツにあっても民主的な選挙によって選出されてヒトラーの独裁政治が圧倒的なドイツ国民の支持を得て出現したのですよね。
侘助 ヒトラーのデマがドイツ国民を捉えてしまった。民主政治にはこのような危険性が潜んでいるということなんじゃないのかな。
呑助 フランス革命とか、ロシア革命も民衆の圧倒的な支持があって実現したことなんですよね。
侘助 国民大衆の熱狂がフランスにあってはブルボン王朝を倒し、絶対君主ルイ16世の首をギロチンで切った。ロシア国民民衆の熱狂がロマノフ王朝を倒した。見方によれば、ポピュリズムの表れとしてフランス革命もロシア革命も実現したと言える。
呑助 国民大衆の熱狂が社会の在り方を変えたということですか。
侘助 韓国ではローソク革命が韓国社会の在り方を変えようとしている。それが朝鮮半島分断体制の克服、積弊清算、チニル(親日)清算、経済民主化、民主主義の社会化だ。これを実現するには韓国国民の熱狂的な支持があったればこそ実現するものだろう。あるべき民主主義の実現だ。それをポピュリズム、大衆扇動主義だと言うのは間違いだ。
呑助 民主主義を破壊するのがポプュリズム、衆愚政治だするなら、韓国のローソク革命は民主主義の実現ですか。

醸楽庵だより  1048号   白井一道

2019-04-06 11:38:57 | 随筆・小説



 青くても有べきものを唐辛子    芭蕉



句郎 この句には「深川夜遊」と前詞がある。
華女 何を詠んでいるのか、ピンとこない句ね。
句郎 この句は元禄5年、「深川芭蕉庵に膳所の酒堂(しやどう)を迎えて嵐蘭(らんらん)・岱水(たいすい)と巻いた4吟歌仙の発句。庭前の真紅の唐辛子に好感をこめて見つめた作。俳諧修行のためはるばる訪れた若い酒堂の焦りを諷喩しつつも、熱意を喜ぶ心が動く」と今栄蔵は『芭蕉句集』に注釈している。
華女 真っ赤な実をつけた唐辛子を芭蕉は見つめて詠んだ句なのでしょ。それなのに「青くても」を詠んでいるのよ。どういうことなのかしら。
句郎 「青くても有(ある)べきものを」の「を」が分かりづらいということじゃないかな。
華女 「有べきものを」ではなく、「有べきものが」としたならば幾分か、分かりやすくなるのじゃないのかしら。
句郎 芽を出し、茎が出て青い葉と青い実を唐辛子は付けるが秋になると唐辛子の実は赤くなる。唐辛子であるのなら秋になると間違いなく実は赤くなるということを芭蕉は詠んでいるのじゃないかと思う。
華女 少し分かってきたわ。青くても有べきものをもっているのなら赤い実をつける唐辛子になるということなのね。
句郎 芭蕉は酒堂の才能を認めていた。酒堂さん、あなたは間違いなく立派な俳諧師になりますよと、芭蕉は酒堂にエールを送った句なのではないかと思う。
華女 だから、「有べきものを」ではなく、「有べきものが」と詠んだ方が伝わるのではないかと言ったのよ。
句郎 俳句は季語と切れ、どちらの方が重要かというと季語より切れの方が大事なのではないかと考えている。そうじゃないかな。
華女 上五の前で切れ、下五の後で切れていることが独立した世界が生れるということなのよね。
句郎 長谷川櫂氏が主張していることかな。
華女 俳句は五七五で一つの世界、宇宙を創造することなのよね。
句郎 季語の無い無季の句が成立するのは一つの世界が創造できるからだと思う。「咳をしても一人」。尾崎放哉の有名な句があるでしょ。わずか九音の短律の中に、言いようのない孤独の世界が表現されている。俳句が俳句として成立する根拠は切れがあるからだと思う。
華女 「青くても」の句は、「有べきものを」の「を」で切れているということなのね。
句郎 「きれ字に用時は四十八字皆切レ字也」と『去来抄』の中で芭蕉は述べたと書かれているからね。この句の場合は、「を」が切れ字になっている。「有べきものを」で切れている。ここに半拍の間ができている。この間が「有るべきものを持っているなら」と言う言葉を読者に想像させる。青くてもあるべきものを持っているなら、唐辛子は赤い実をつける。
華女 有るべきものがあるなら、唐辛子は唐辛子になるでは説明ね。「有べきものが」では説明していることになってしまうわね。説明してしまうと散文みたいになってしまうということなのね。
句郎 「青くても有べきものを」と「を」の助詞を用いることによって、この句は俳句になったということだと思う。「が」では散文化するということかな。
華女 俳諧師としてやっていけるのかどうか酒堂さんは心配していたのね。芭蕉は酒堂の才能を認めていたので、心配しなくとも今のまま精進していけば、俳諧師としてやっていけますよと芭蕉は酒堂を励ました句なのね。
句郎 元禄時代、俳諧師として生きていくということは厳しかったということなのかな。いやいつの時代も俳句などというものはまっとうな人間がするものではなかった。現在にあっても俳句を詠んで生活が成り立つなとどいうことはないと思う。TBSテレビ、プレバトに出ている夏井いつきさんも俳人として生きようとして凄い貧乏をしたとyou tubeで言っているのを見た。
華女 俳句で収入を得ることなんてほとんど無理よね。小説家なら、もしかしたら生活ができるようになるかもしれないけれど、俳人じゃ、無理よね。
句郎 酒堂さんが行く末に不安を持つのは当然かもね。

醸楽庵だより   1047号   白井一道

2019-04-05 12:54:50 | 随筆・小説



 杜鵑(ほととぎす)鳴音や古き硯ばこ   芭蕉



句郎 この句には前詞がある。「不卜一周忌 琴風興行」とある。
華女 芭蕉は不卜さんと付き合いがあったのね。
句郎 不卜は江戸の貞門派の俳人だった。
華女 琴風さんが興行した俳諧の発句として芭蕉が詠んだ句が「杜鵑(ほととぎす)鳴音や古き硯ばこ」だったということなのね。
句郎 杜鵑の鳴き声に芭蕉がイメージしたものはどのようなことだったのかな。
華女 現在の俳人や歌人にはなじみの鳥ではないように思うけれども万葉の時代から古今集、芭蕉に至るまで読み続けられてきた鳥よね。
句郎 万葉集にもホトトギスを詠んだ歌があるんだ。
華女 志貴皇子(しきのみこ)の歌、「神奈備(かむなび)の、石瀬(いはせ)の社(もり)の、霍公鳥(ほととぎす)、毛無(けなし)の岡(をか)に、いつか来(き)鳴(な)かむ」という歌があるわ。大伴家持もホトトギスを詠んだ歌が58首もあるそうよ。
句郎 古今集の歌人たちはどのような歌を詠んでいたのかな。
華女 平安期を代表する歌人であり、三十六歌仙の一人、紀貫之がホトトギスを詠んだ有名な夏の和歌があるわ。「夏の夜の 臥すかとすれば 郭公 鳴く一声に 明くるしののめ」。夏の夜の短さを詠んだ歌ね。一声、二声、ホトトギスは一晩中どこでも鳴く鳥よね。
句郎 芭蕉は万葉の時代から読み継がれてきたホトトギスのイメージを継承しているということなのかな。
華女 そうなんじゃないのかしら。芭蕉の俳句は万葉集、古今集、新古今和歌集の伝統を継承、発展させた俳句を詠んだということだと思うわ。
句郎 芭蕉は日本文学の正統な継承者だということがいえるように思うね。
華女 問題はどのように継承し、発展させたのかと言うことなのよね。
句郎 まさにその通りだと思う。『古今集』の中の「俳諧歌」があるでしょ。その中に「いくばくの田を作ればか時鳥しでの田長(たをさ)を朝な朝な鳴く」と詠んだ藤原敏行の歌がある。この歌は何を詠んでいるのかというと、田植えの指揮をする村の長老に早く田植えをするようにと、ほととぎすが鳴いているという意味のようだ。
華女 渡り鳥のホトトギスが鳴き始めると農民たちは田植えを昔は始めたということなのね。稲作とホトトギスの鳴き声とは農民にとって密接に結びついていたのね。
句郎 宮廷歌人が詠んだホトトギスを農民や町人が詠むホトトギスにしたのが芭蕉だったのではないかと思う。
華女 「ほととぎすの兄弟伝説」を読んだことがあるわ。「昔、ほととぎすは弟と二人で暮らしていた。ある日、二人で山の芋を掘りに行き、弟が先に帰って掘った芋を煮ておくことになった。弟が煮え加減を見ようとひとつ食べてみるとたいそううまい。自分の分だけ食べようと、芋の悪いところだけ食べ、いいところは兄に残しておいた。しかし、帰ってきた兄は、弟がうまいところだけ食べたに違いないと疑って、弟がいくら言っても納得しない。そこでとうとう弟は「そんなに疑うなら自分の腹を割ってみろ」といい、兄は弟の腹を割いた。すると中から出てきたのはくず芋ばかり。兄は大変後悔して鳥の姿になって山に飛んで行き、「おととかわいや、ほーろんかけたか」と毎日鳴き続けた。ほととぎすの口の中が赤いのは、鳴きすぎて血を吐いているからだ。」このような話よ。
句郎 「杜鵑鳴音や」と「古き硯ばこ」との取り合わせの句を芭蕉は詠んでいる。ホトトギスは「特許許可局」とうるさく鳴き暮らしている。不卜さん、あなたは毎日、俳諧師として忙しく歩き回り、生きていました。本当にお疲れさまでした。硯を入れていた箱も古びてしまいました。どうか安らかにお休みください。この句は芭蕉の追悼句の一つになっている。
華女 芭蕉は貴族が詠んだホトトギスを農民や町人の生活を詠むホトトギスにしたということなのね。
句郎 そうなのではないのかな。鴫や鷺のような優雅な鳥に比べてホトトギスはその鳴き声に人々は耳を傾けてきた。その鳴き声は鶯のような美しい鳴き声ではなかった。「テッペンカケタカ」などと髪の毛の薄くなった人にとっては気になる鳴き声のようだからね。

醸楽庵だより  1046号   白井一道

2019-04-04 12:55:10 | 随筆・小説




   安倍政権は日本国民を不幸せにした



侘助 3月20日は国際幸福デーだ。ノミちゃん、知っていた。
呑助 へぇー、そんな日があるんですね。知らなかった。
侘助 実は私も知らなかった。2012年に国連が定めた「国際幸福デー」International Day of Happiness。3月20日は、「本当の幸福を追求する」をテーマに、世界中の人たちが本物の幸福について考え、感謝する日として制定されました。それは、物質的な豊かさや経済成長というよりも、人類の持続可能な発展、貧困撲滅、真の幸福追求を最優先にし、経済指数を示す国民総生産(GNP)よりも国民総幸福量(GNH)を重要とするブータンの提唱によって実現されたもののようだ。国民総幸福量=GNH(Gross National Happiness)とは、簡単にいうと国民の精神面での豊かさを計る「ハッピー指数」。資本主義的な経済価値を求めるGNPやGDPではなく、国民の心理的な「幸福感」などを示すもの。2012年6月28日に国連顧問のジェイム・イリエン(Jayme Illien)が提唱し、国際連合総会で193ヶ国の加盟国が満場一致で、国連決議66/281として採択。2011年に Illien Global PublicBenefit orporationによって多年キャンペーンとして開始されたようだ。
呑助 ブータンの提唱によって制定されたということに意味があるように思いますね。
侘助 毎年、3月20日に世界幸福度ランキングが発表されている。
呑助 どのような基準で幸福度を測っているんですかね。
侘助 各国の国民に「どれくらい幸せと感じているか」を評価してもらった調査と、GDP、平均余命、寛大さ、社会的支援、自由度、政治の腐敗度といった要素を元に幸福度を計る。7回目となる2019年は世界の156カ国を対象に調査をした結果が発表された。。
呑助 日本は何位ぐらいだったんですかね。
侘助 過去五年間の日本の順位は2015年 46位、2016年53位、2017年 51位、2018年 54位、2019年 58位のようだ。第二次安倍政権は1912年からだからね。日本国民は安倍政権になってから毎年不幸になっていっている。
呑助 日本の国民は安倍政権になってからずっと幸福を感じることは少なくなっているということですか。
侘助 安倍政権は国民の生活を豊かにする。幸福にすることはしなかった。新聞やテレビで安倍政権は良いことをしているかのようなことを宣伝しているだけなのかもしれないな。
呑助 いくら宣伝されても幸福を実感することがなければ、幸福度のランキングが上がることはないということですね。
侘助 経済成長が国民の生活を豊かに、幸福にするという宣伝には嘘がある。経済が成長すると豊かになったところから富が国民に滴り落ちてくるという宣伝を聞かされてきたが、富は国民には滴り落ちてこなかった。経済成長し得た富を国民に分配する仕組みを作らなければ国民には富が滴り落ちてくることはない。
呑助 国民はただ低賃金で長時間、厳しい労働をさせられるだけということでしようか。
侘助 幸福度ランキング上位10の国々の中で唯一第9位に入っているカナダを除いてG7の国々は入っていない。アメリカもイギリス、フランス、ドイツ、日本、イタリアの国々の幸福度は低い。GDPの大きな国が国民を幸福にはしていない。
呑助 街中に出ていくと豊かな商品が満ち溢れていてもその商品を手にすることができなければ、国民にとっては何の意味もない。ただ欲望を刺激されるだけですからね。
侘助 大事なことは自分の生活に満足できるかどうかということだと思う。
呑助 「足るを知る」ということですかね。
侘助 そうなんだろうと思う。がしかしこのことを為政者が言ってはいけないと思う。私の言うことをよく聞いて和せば幸せになるということではいけないと思う。今度の元号「令和」の「令」は①いいつける。命じる。いいつけ。「令状」「命令」 ②のり。きまり。おきて。「訓令」「法令」 ③おさ。長官。「県令」 ④よい。りっぱな。「令色」「令名」 ⑤他人の親族に対する敬称。「令室」「令嬢」だ。政府の言いつけに和せ、そうすれば幸せになるというのは大きな間違いだ。

醸楽庵だより   1045号   白井一道

2019-04-03 12:59:02 | 随筆・小説



  中高年の引きこもり


侘助 内閣府が初めて中高年者の引きこもりを調査した。「自宅に半年以上閉じこもっている「ひきこもり」の40~64歳が、全国で推計61万3千人いる。7割以上が男性で、ひきこもりの期間は7年以上が半数を占めた」と発表した。
呑助 40歳から64歳といったら働き盛りの人たちですね。
侘助 そうした働き盛りの人々が家に引きこもり何もできない状態にある。それらの人々が61万3千人もいる。本当に悲しい現実だ。
呑助 働かなくとも生活が成り立つというのは、日本がそれだけ豊かだということでしようかね。
侘助 何も働かずに家に引きこもり毎日快適に過ごしているのかというと決してそうではないように思うよ。
呑助 まぁー、そうでしようね。食事の支度、洗濯、掃除それらの仕事はしているのでしようかね。
侘助 内閣府の調査によると大半は親が面倒をみているという。親も年老いていくから大変だ。しかし60代の引きこもりの中には定年退職後仕事を通じた社会との接触をなくし、家に引きこもってしまった人もいるようだ。
呑助 引きこもるのはなぜ男が多いのですかね。
侘助 男は女と違って友だちを持つのが下手なようだからね。街のスポーツジムに行くと元気な高齢の女性がたくさん来ていると聞くよ。そのような女性に対して男は趣味の用事や近所のコンビニ以外に外出しない人がいる。そのような状態が6カ月以上も続く。専業主婦・主夫は過去の同種調査では含めなかったようだがが、今回は家族以外との接触が少ない人はひきこもりに含めたようだ。最低限の家庭内の仕事はしているのではないかと思う。
呑助 男女の差とは、何ですかね。
侘助 男性は女性に比べて人に受け入れてもらえない不安感もしくは恐怖感が強いのかもしれない。男は子供の時から「男なんでしょ。しっかりしなさい」と母親などから言われた男の子は多いのではないかと思う。
呑助 男は強く、逞しく、しっかりしていることが社会から強く求められているからね。
侘助 そうだよ。弱く優しい男だって数多くいるのが現実だからね。私が高校生だった頃、「俺、女に生まれれば良かった」と言った友人がいたよ。そんな成績でこれからどうするんだ。男は一家を養っていかなきゃならないんだぞと脅されていたからね。「男はつらいよ」。この映画題名は男の厳しさを表現して、多くの人々に受け入れられたのではないかと思うな。女になりたい男がいる一つの理由に男の厳しさがあるのではないかと考えている。
呑助 男女平等が進むということはいいことですよね。しかし男女平等が進めば進むほど、女性も男性と同じような厳しさに直面すると思いますね。
侘助 問題は家に引きこもるということが人間本来の在り方なのかどうかということにあると思う。
呑助 家の中に一人でいることがもっとも安心していられるから引きこもっているのでしようね。
侘助 人の中に、社会の中に入っていくことが怖い、不安だから出て行かない。社会に出ていくと自分が自分のままでいることが難しくなる。このような不安感、恐怖感があるから家の中に閉じこもる。このようなことを疎外というのだと思う。
呑助 疎外ですか。最近聞かなくなった言葉ですね。若かった頃、よく聞いた言葉ですね。
侘助 「人間は類的存在だ」とマルクスは述べている。この考え方はドイツ古典哲学の成果の一つだ。自分は自分であると同時に他者でもあることを述べている。資本主義社会は人間が自分自身であることを外化し、他者にしてしまう。このことを疎外と言った。自分が自分であることができなることが資本主義社会に出ることになる。人間が類的存在であり続けることを不可能にする資本主義社会の仕組みを解明したのがマルクスだった。引きこもりとは人間疎外の現実態として発現したものである。豊かな人間性の発現としてではなく、人間性の否定の発現として引きこもりがあるというのが私の認識かな。
呑助 引きこもりが人間疎外の発現したものだと言われても現実はなんら変わりませんね。
侘助 ただ哀しみがあるだけ。

醸楽庵だより  1044号  白井一道

2019-04-02 12:49:40 | 随筆・小説



   元号を考える


侘助 「春寒し昭和は遠くなりにけり」。今朝の風は寒かった。ゴミ出しに出た帰り突然句が湧いた。
呑助 今朝、風が冷たかったですね。句が湧いた。そうですか。「降る雪や明治は遠くなりにけり」。中村草田男は昭和6年にこの句を詠んでいますね。
侘助 我々にとっての昭和は輝いていたように思うな。毎年、給料が一万円上がっていった。年度末には差額がボーナスと同じくらい出ていたな。
呑助 そんな時代でしたね。世界第二位の経済大国になったのが1968年、昭和43年でしたかね。
侘助 2010年、中国のGDPが日本を追い抜き、日本は世界第三位の国になった。日本は42年間世界第二位の経済大国であった。国民の生活水準も上がり、豊かな大量消費の大衆社会が実現した。
呑助 このような時代が続いたのは戦争を日本がしなかったということですね。
侘助 そう、日本は戦争の後方基地として活躍し、太平洋戦争の戦後復興を成し遂げた。1945年8月8日、ソ連は対日宣戦布告を行い、翌9日、一斉に150万の軍が国境を越えて満州に、樺太、千島列島に進撃してきた。この結果、国後、択捉、歯舞、色丹に居住していた日本人が故郷を奪われた。シベリアに抑留された日本兵の苦しみ、沖縄が米軍に接収され、農民たちの土地が奪われた。広島、長崎には原爆が落とされ、多くの日本人が殺された。東京の街は1945年3月10日の米軍B29の大空襲によって10万人以上の日本人が焼き殺された。1945年、この敗戦の年が新しい時代の始まりだった。それから五年後の1950年には朝鮮戦争が勃発した。北朝鮮側が南朝鮮解放戦争を始めたのだ。ヤルタ協定によって米英に要請された戦争に悪乗りしたソ連のスターリンが1949年に成立した中華人民共和国主席毛沢東の支持を得て始めた戦争だった。朝鮮人の苦しみは骨身に応えた。この朝鮮戦争特需で日本経済の戦後復興は始まった。朝鮮戦争が1953年に休戦協定が結ばれる。1954年にはベトナム、ディエンビエンフーでは第一次インドシナ戦争におけるベトミン軍とフランス軍との最大な戦闘が戦われていた。この戦いで敗北を喫したフランス軍はベトナム民主共和国政府とジュネーブ和平協定を調印し、北緯17度線を境に休戦協定を結び、戦火が止んだかに見えたが、南ベトナムにおいて南ベトナム解放民族戦線が結成されるとベトナムが共産化すると東南アジア全域が共産化するというドミノ理論をアメリカ政府は外交政策の基本にしていたのでアメリカ軍がベトナムに乗り込んでくる。アメリカ政府は宣戦布告することなくベトナムに介入してきた。以来1975年まで1945年に第二次世界大戦が終わってから30年間ベトナムでは戦争が続いた。朝鮮戦争、第一次インドシナ戦争、第二次インドシナ戦争ともいわれるベトナム戦争、ベトナム人は抗米救国戦争と呼ぶ戦争が日本経済を潤し、日本は世界第二位の経済大国になった。1980年代は日本経済の黄金期だった。
呑助 『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の時代ですか。この時代は朝鮮やインドシナの戦争特需によって築かれた経済基盤の上に咲いたアダ花、「風をだに待つ程もなき徒花(あだばな)は枝にかかれる春の淡雪」ですか。
侘助 1989年平成の時代に入る。
呑助 1989年というとベルリンの壁が崩壊した年ですね。
侘助 1990年には東西ドイツが統一する。1991年になるとソヴィエト連邦が崩壊する。日本のバブル経済も崩壊する。
呑助 「失われた20年」と言われる時代が平成の時代ですね。
侘助 小さな島に大勢の人がいるというのが日本だからね。教育を充実することによって国民の知的レベルの向上をはかることが惹いては経済成長を促すのではないかと思う。日本酒に例をとるなら、三増酒のような安い酒を大量に生産し、大量に売ることをしていては未来はない。
呑助 高級品志向ですか。
侘助 そうだよ。高級品を少量多品種創ることが日本の生きる道だよ。勤労者の賃金を高くする。国民の懐を温かくする。このような経済政策をすることが大切だったのに、新自由主義経済政策は全く逆の方法だった。

醸楽庵だより   1043号   白井一道

2019-04-01 11:20:43 | 随筆・小説


 
    朝鮮半島が分断されたことに日本は責任がないのか。


侘助 一橋大学の先生をしているコォン・ヨンソクさんは述べていた。韓国のリベラル派の人々、韓国民のほぼ半分の人々は日本に責任があると考えていると。第二次大戦後ドイツは東西に分断されたのになぜ日本は分断されずに朝鮮が南北に分断されてしまったの。このような気持ちを持っている韓国の人々がいるとね。
呑助 このような気持ちを持つ韓国の人々に対して日本人の中には朝鮮半島が分断されたことに対する責任を感じる日本人は少ないように思いますね。
侘助 それが実体だろうね。確かに朝鮮半島の北緯38度線を南北の境界線と確定したのはアメリカ陸軍大佐ディーン・ラスクだと言われているからね。彼は朝鮮半島の地図を眺め、この辺りでいいだろうと地図の上に線を引き、そこを南北朝鮮の国境線にした。
呑助 1960年、ケネディがアメリカ大統領に就任すると国務長官に任命された人ですよね。
侘助 徹底した反共主義者かな。1962年のキューバ危機の最中、ラスクはソ連外相アンドレイ・グロムイコを晩餐の席に呼び、キューバに配備されているソ連のミサイルについてグロムイコを問いただした。このとき、ラスクはしこたま酒を飲んで酔っており、グロムイコが「あんな状態の彼を見たことがない」と表現したほどであったという。ラスクはグロムイコに「あなた方はミサイルに取り囲まれることに慣れているが、私達は慣れていない。どうして平静を保てようか。」と吐露したという逸話の持ち主らしい。
呑助 ラスクは酒豪だったんですね。
侘助 冷戦というのは将に第三次世界大戦だった。恐怖の均衡が平和を保った。平和の裏側には絶えず恐ろしい戦争があった。
呑助 米ソ冷戦の最前線が朝鮮半島北緯38度線だったということなんですか。
侘助 ヤルタ会談が1945年2月、ソ連クリミア自治ソビエト社会主義共和国のヤルタ近郊のリヴァディア宮殿で行われた。アメリカ合衆国のルーズベルト・イギリスのチャーチル・ソビエト連邦のスターリンによる首脳会談が第二次世界大戦後の国際体制を決めた。日本について1945年2月8日、アメリカのルーズベルトとソ連のスターリンは秘密会談を行い、その後イギリスのチャーチルとの間で秘密協定を交わした。1944年12月14日、スターリンはアメリカの駐ソ大使W・アヴェレル・ハリマンに対して、満州国の権益(南満州鉄道や港湾)、樺太(サハリン)南部や千島列島の領有を要求した。アメリカ大統領ルーズベルトは太平洋戦争を戦った日本の降伏にソ連の協力を求めた。ソ連のスターリンはルーズベルトの要請に応え、1945年2月8日、日ソ中立条約をソ連は一方的に破棄、日本に対して宣戦布告をすると同時にソ連軍が日本の植民地、満州国へ、朝鮮半島へとどっと侵入してきた。
呑助 アメリカ政府もイギリス政府もソ連が日本の植民地、満州国と朝鮮を併合することを容認していたということですか。
侘助 スターリンの野望というか、ソ連の膨張政策をアメリカ政府もイギリス政府もいいじゃないか、ソ連兵が日本兵に殺されるのならと、見て見ないふりをした。
呑助 すると思いのほか、日本軍は戦うどころか、敗走に、敗走を重ね、日本列島へと逃げ帰って行ったということですか。
侘助 満州国と朝鮮半島には強力な日本軍が存在しているとアメリカ政府のルーズベルトもイギリス政府のチャーチルも考えていた。ソ連のスターリンもそのように考えていた。だから死んでもかまわないようなソ連兵、囚人兵を投入し、満州、朝鮮半島へと進軍させた。満州や朝鮮半島にいた一般日本人たちの悲惨な逃避行が始まった。またソ連軍の捕虜になった日本軍人たちのシベリア抑留という悲劇が始まった。『岸壁の母』の辛い思いが生れた。ソ連軍は破竹の勢いで朝鮮半島を南下してくると朝鮮半島すべてをソ連が併合するとに不安を覚えた米軍がソ連の南下を阻止すべく、軍を派遣した。その結果、北緯38度線で米ソの軍事境界線が引かれた。
呑助 朝鮮半島は日本の植民地であったがゆえに米ソは朝鮮半島の日本軍を殲滅すべく侵入してきたわけなのでしょうね。
侘助 日本の植民地であった中国国内の満州も朝鮮半島の北部もソ連軍の占領下に入った。これが第二次世界大戦の結果だった。その後、中国では、国共内戦の結果勝利した人民解放軍が満州をソ連軍と話合い解放し、中華人民共和国を1949年10月建国した。朝鮮半島北緯38度線以北の地に1948年9月9日、朝鮮民主主義人民共和国の建国を宣言。
呑助 朝鮮半島が第二次世界大戦後南北に分断されてしまったのは大日本帝国政府が朝鮮半島を植民地支配していたからソ連軍が日本帝国軍を打倒するべく満州、朝鮮半島に、樺太、千島の島々へ進軍した。それはスターリンの領土的野望だった。アメリカ政府はソ連の領土的野望を挫くべく、米軍もまた朝鮮半島に進軍した結果、朝鮮半島は分断されたということですね。
侘助 そうだ。大日本帝国が朝鮮半島を植民地支配することがなければ、朝鮮が米ソに分断されることがなかった。コォン・ヨンソクさんがおっしゃる通り、日本は朝鮮半島を分断してしまった責任があると私は考えている。