五十嵐仁の転成仁語(4月6日)より
新元号にこめた安倍政権の狙いとは
第1に、安倍首相に対して反発を強めていた保守派に言い訳し、その歓心を買うことです。元号の発表を新天皇の即位より1ヵ月早く発表するという安倍首相の方針に、強固な支持基盤であった日本会議系の極右層をはじめとした保守派は異議を唱え、反対していたからです。
今回の元号の決定に当たって、安倍首相がこだわったのは漢籍ではなく「国書」から選ぶことでした。実際には王義之の「蘭亭序」や張衡の「帰田賦」に似た記述があるのに、それを隠して「万葉集」を典拠としたかのように偽装し、誤魔化した説明をすることによって保守派の怒りを鎮め、その支持を回復しようとしたわけです。
もう一つ、菅官房長官による新元号の発表が11時30分ではなく11時41分になった「空白の11分」も、このような保守派への配慮を示しています。天皇と皇太子への通知が終わるのを待ってから国民に知らせるという手順を取ったため、当初予定していた時間より11分遅れてしまったのです。
第2に、国民の注意と関心を新しい元号に集めて「安倍失政」を隠ぺいすることです。事前に新元号が漏れることを防ぐために、今回は異常とも思われる情報統制が行われましたが、それは新元号への注目を集めて関心を高め、そのありがたさを極大化するという計算に基づくものでした。
新元号が事前に漏れたらどのような実害や弊害が生ずるというのでしょうか。注目度が低下したり、ありがたみが薄れたりするという程度のことではありませんか。
しかし、安倍首相にとっては、それこそが大問題だったのです。満杯になるまで水をためて一気に堰を切ることで勢いを増すことができるように、ぎりぎりまで秘密を保持することで国民とマスメディアの関心をいやがうえにも高め、一種の「フィーバー」や「ブーム」を醸し出すことで「安倍失政」や統一地方選挙の現実から目を逸らせることが目的だったのではないでしょうか。
第3に、天皇に代わって自らが元号を定め説明することによって「時の支配者」になることです。新元号発表の以前と以後とで、実際には何も変わっていないにもかかわらず、あたかも時代が変化したかのような印象が生み出されたからです。
このように、新しい時代が始まるかのようなムードや印象が生まれたとすれば、それこそが新元号によって「時が支配された」結果だと言えるでしょう。戦前までそれは天皇によってなされましたが、戦後の主権在民の憲法下では、このようなことは許されません。
だからこそ、昭和から平成への改元に際して、竹下首相は控えめで抑制的な対応に努めました。しかし、安倍首相はこのような節度を投げ捨て、元号の最終的な選定を自ら行った事実を隠さず、談話や記者会見、テレビ出演の掛け持ちなどを通じてその理由や背景を得々と語ることによって、かつて天皇が果たした役割を自らが果たしたかのようにふるまい、元号まで私物化したのです。
第4に、時代と共に進展してきた西暦への乗り換えを阻止して元号を浸透させ定着させることです。保守派の反発や批判があったにもかかわらず1ヵ月前の発表に踏み切った本当の狙いはここにあります。
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