イスラム教について
侘助 9.11アメリカ同時多発テロ事件が21世紀の世界を予言した。半世紀続いた米ソ冷戦にアメリカは1991年ソ連邦を崩壊させ、地球に君臨する超大国になった。それから10年後の2001年、イスラム過激派のテロ集団がアメリカ政府の中枢機関を襲撃した。千メートル先の超高層ビルはマッチ棒のように見える。このマッチ棒に肉眼で操縦した旅客機がツインタワーに激突し、超高層ビルが崩壊していく状況が全世界に実況中継された。イスラム世界の隅々にこの映像は繰り返し放映された。イスラム世界の子供たちが手を叩いて喜ぶ姿が全世界に届いた。
呑助 世界に君臨した超大国アメリカがアメリカ政府に苦しめられたアジア、アフリカ、ラテンアメリカの国々の人々によって反撃される世紀が21世紀だということですか。その先陣を切ったのがイスラム過激派のテロ集団だったということですか。
侘助 テロでは社会を変えることはできない。単なる怒りの爆発でしかないからね。イスラム世界の民衆がアメリカ政府に対する深い憎しみと怒りを持っていることを世界中の人々に知らせることはできても世界を変えることはできない。
呑助 逆にイスラム世界はアメリカ政府から反撃され、テロ集団を送り出した国だとされたアフガニスタンなどは酷い目に遇わされましたね。
侘助 19世紀後半のロシアにはテロリストが現れた。専制的なロマノフ王朝の政治を批判する開明的な貴族の若者が農奴解放を要求するデカブリストの乱という反乱を起こすが失敗し、シベリアに流刑される事件が1825年にあった。この事件の影響が社会変革を求める人々を生む。その中にテロリストが出てくる。そのような時代背景の中でドストエフスキーは『悪霊』という小説を書いた。この『悪霊』の世界を彷彿とさせるような事件が日本でも起きた。今から47年前の連合赤軍、浅間山荘事件だ。1972年2月から3月にかけて群馬県下で 12死体,千葉県下で2死体の合計 14死体が発見された。これは共産主義者同盟赤軍派と日本共産党革命左派京浜安保共闘が合同した連合赤軍が,71年8月から 72年2月にかけて同志を「規律違反」「日和見主義」「スパイ」の理由で処刑した事件だ。この事件では死者 14人 (男9,女5) ,逮捕者は 17人となった。このうち最高幹部の森恒夫被告が一審公判前に獄中で自殺。他の一人は日本赤軍が 75年に起したクアラルンプール事件の際に超法規的措置で国外に脱出した。残り 15人については一審,二審とも有罪判決が出て,元最高幹部の永田洋子,元中央委員の坂口弘,元兵士の植垣康博の3人が最高裁に上告したほかは,すべて有罪が確定した。その3人についても 93年2月上告棄却の判決が下され,永田・坂口両被告に対する死刑判決,植垣被告に対する懲役 20年の有罪判決が確定し,未解明部分が多いながらも一応の決着がみられた。 1972年2月7日,群馬県下で連合赤軍のアジトが発見され,同月 19日までに永田洋子,森恒夫,植垣康博ら首謀者8人が逮捕されたが,残る5人は同月 19日午後,発砲しながら長野県軽井沢の河合楽器保養所浅間山荘に乱入,管理人の妻を人質として籠城,警察当局と銃撃戦を交えた。警察当局は同月 28日犯人に最後通告を行い山荘を破壊,放水と催涙ガスで犯人を制圧し,同日午後6時 14分発生以来 218時間ぶりで人質を救出,犯人全員を逮捕した。その一部始終がテレビで実況放送されたこともあり,そこにいたる連合赤軍内部の多数のリンチ殺人事件の凄惨さと相まって全国民的な関心をひいた事件だった。
呑助 坂口弘と言う人は刑務所の中で短歌を初め、新聞に投稿し、歌壇欄に載せられたことがあるようですね。
侘助 死刑囚坂口弘は歌人だった。次のような短歌を詠んでいる。「芍薬の大輪の花見るたびに思へり わが生活(くらし)身に余れりと」。とても柔らかな優しい心根の人という印象があるね。また「春の宵房(へや)の灯漏れてゆかしくもほの白く見ゆる庭の草かな」。この歌は石川啄木の影響があるのではと、歌人の佐佐木幸綱氏は述べている。「これが最後これが最後と思ひつつ
面会の母は八十五になる」。この坂口弘の歌を読んだとき、坂口の母の気持ちを思うと私は感極まった。
呑助 テロリズムでは、社会は変わりませんね。ただ多くの犠牲者が生れるだけで、却って社会の変革を妨げる働きをしているようにも思いますね。
侘助 その通りだと思うな。社会は少しづつしか変わらない。今イスラム世界は9.11アメリカ同時多発テロ事件の結果、冬の時代を迎えている。展望の見えない殺し合いが続いている。イスラム教が生れた時代も殺し合いが果てしなく続いていた。この時代をジャーヒリーヤ、無道時代とか、無明時代ともいう。アラビア半島に居住する遊牧民は部族ごとの神をカーバ神殿に祭っていた。部族間の争いはいつ果てることもなく、それぞれの神を掲げて戦っていた。アラビア半島メッカ近郊のクライシュ部族出身のムハンマドは630年、メッカに入り、カーバ神殿に掲げられていた偶像の神々を破壊し、神は一つ、アラー、を唱えた。その後、アラビア半島統一戦争を実現し、唯一神アラーへの服従を説いた。アラーへの服従がアラビア半島の平和実現だった。
呑助 アラビア語の「こんにちは」は「アッサラーム・アライクム」というんでしたね。
侘助 「あなたが平和でありますように」と言うような意味の言葉が、アラビア語の「こんにちは」かな。交易の民であったアラビア遊牧民は地域の平和を実現することによって繁栄した。交易の民、アラビア遊牧民は何よりも平和を大切にした。平和が自分たちの生活を安定させ、繁栄させることを知っていた。イスラム教とはアラーへの信仰が平和を実現するという宗教だと考えている。