醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1514号   白井一道

2020-09-08 15:30:00 | 随筆・小説


   
 芭蕉の発句「白露もこぼさぬ萩のうねり哉」



華女 もう季節は白露なのに今日も暑いわね。
句郎 もう季節は白露なんだね。空気の寒さに霧が木の葉の上に水滴になるのを白露と言った。
華女 昔の人は詩人だったのね。農民にとって季節の移り変わりは生きる上で決定的に重要な出来事だったということなのよね。
句郎 稲刈りの時期をいつにするかということは決定的に重要だった。収量と深い関係があったからね。
華女 収量だけではなく、労働量が増えたり減ったりしたのじゃないかしらね。
句郎 秋晴れの快晴の続く日に稲刈りをすると良かったのだと思うな。
華女 二四季節季が生れた理由には農業の作業日程と関係がきっとあったのだと思うわ。
句郎 中島敦の書いた短編小説『山月記』の中に次のような文章がある。「時に、残月、光冷ひややかに、白露は地に滋(しげ)く、樹間を渡る冷風は既に暁の近きを告げていた。人々は最早、事の奇異を忘れ、粛然として、この詩人の薄倖(はっこう)を嘆じた。李徴の声は再び続ける。」
華女 白露の季節感が表現されているということね。
句郎 若者の生きる哀しみが表現された小説かな。
華女 「白露」とは、素敵な季節感だわ。この白露に若者の生きづらさを発見した中島敦は凄いと思うわ。
句郎 まだまだ暑いのだけれども一筋の風にさわやかさを感じるのが白露の季節感なのだと思う。
華女 藤原敏行の歌「秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる」と『古今集』にあるわ。この和歌が表現している季節感が白露ね。芭蕉は白露を「はくろ」ではなく、「しらつゆ」と読ませているのよね。
句郎 「予閑居採茶庵(よかんきょさいたあん)、それが垣根に秋萩を移し植えて、初秋の風ほのなに露置わたしたる夕べ」と杉風(さんぷう)が前書している。芭蕉は支援者の杉風の別邸にお邪魔し、この句を詠んでいる。
華女 杉風とは江戸の人よね。芭蕉は江戸でこの句を詠んでいるのね。
句郎 元禄6年(1693)、芭蕉は江戸にいた。
華女 元禄7年10月には大阪で芭蕉は亡くなっているのよね。歩いて江戸から大坂までよく行ったものね。芭蕉は亡くなるまで動き回る活動的な人だったのね。
句郎 病を得て、寝たきりになって亡くなるよう人ではなかった。亡くなるまで俳諧に遊びきって亡くなった。
華女 この句は秋を代表する花の一つ萩を詠んでいるのよね。芭蕉にはこの句の外にどのような萩を詠んだ句があるのかしら。
句郎 『奥の細道』に載せてある有名な萩を詠んだ句が知られている。
華女 あっ、そうね。思い出したわ。「一家に遊女もねたり萩と月」ね。この句も恋句と言えるのかしらね。
句郎 市振の宿で遊女と一緒になったと『奥の細道』にあるからね。立派な恋句だと思う。萩の花は性的なものを象徴していた。萩の紅い花びらは女性器の外陰部に似ている。万葉集では萩に「芽子」の字を宛てた例が多い。これを文字通り訓読みすれば、一部地域における女性生殖器の呼称に重なるようだから。
華女 萩の花は万葉の時代から詠み継がれてきた花の一つよね。「秋といへば空すむ月を契りおきて光まちとる萩の下露」という藤原定家の歌があるわね。
句郎 芭蕉は日本の詩歌の伝統を継承して「白露もこぼさぬ萩のうねり哉」と芭蕉は庶民の生活に即して萩を詠んだ。
華女 この芭蕉の句は良く萩を見ていると私は思うわ。萩の葉には水滴が溜まっているのよ。だから木が大きく揺れると水滴が一度にどっと零れ落ちるのよ。木はたわみながらも葉の上の水滴をこぼすことはないのよね。水滴をこぼすまいと頑張りぬいている萩のたわんだ枝を見て、芭蕉はその健気な姿に心惹かれたのだと思うわ。
句郎 芭蕉には萩を詠んだ句が十句ある。その中で「一家に遊女もねたり萩と月」と「白露もこぼさぬ萩のうねり哉」と、この二つの句が好きだ。
華女 そうね。私も秋を表現しているという点で「一家に」の句と「白露も」の句はとてもいい句だと私も思うわ。この静かさがいいのよね。