醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1511号   白井一道

2020-09-05 14:34:28 | 随筆・小説



 芭蕉は恋歌の伝統を継承している



華女 日本の詩歌には伝統的に恋の歌が詠み継がれてきた歴史があるのよね。
句郎 万葉集の時代からだよね。額田王の歌には、情熱的な歌があるね。
華女 高校生の頃、初めて教わった歌が額田王の歌だったわ。「茜(あかね)さす紫野ゆき標野(しめの)ゆき野守は見ずや君が袖ふる」ね。
句郎 どのようなことを詠んでいるのかな。
華女 額田王は恋多き女性だったのよ。大海人皇子(後の天武天皇)との間に子供がいたのよ。その後、彼女は義兄、天智天皇と付き合う。しかし大海人皇子は、まだ私に未練があるみたい。彼は袖を振って誘ってくるのよ。そんなに袖を振っていたら、見張りの人に秘め事がばれてしまうじゃないのと、いうことだと思うわ。
句郎 この歌は不倫の歌だね。このような歌を高校の授業で習ったんだ。
華女 不倫とは、何なの。万葉の時代はおおらかな時代だったのよ。「原始、女性は太陽だった」と言われているでしょ。万葉の時代には不倫などというものは無かったのよ。
句郎 時代が進むに従って、男女差別が厳しくなっていくに従って女性の恋心を制約するようになっていくと言う事かな。
華女 男の恋心も制約されていくようになるのよ。でも男は狡いから、女にだけ、貞操観念のようなものを植え付けていったのよ。でも恋の歌は命の輝きだから、万葉の時代から現代にいたるまで詠み続けられてきたのよ。
句郎 「茜(あかね)さす紫野ゆき標野(しめの)ゆき野守は見ずや君が袖ふる」。この額田王の歌には命の輝きがあるように思うね。
華女 情熱的な歌人よね。女性の歌人は皆、情熱的なのよ。情熱的でなければその時代の重圧に押しつぶされてしまうからよ。与謝野晶子の歌も情熱的でしょ。そう、思わない。「やは肌の あつき血汐にふれも見で さびしからずや道を説く君」。恋と性愛を情熱的に詠んでいるでしょ。これが命の輝きというものなのよ。
句郎 樋口一葉の歌にも熱い思いの籠った歌があるね。
華女 「梅が香の身にしむばかり夜も更けぬ契りし友を待つとせし間に」という一葉の歌があるわ。内に秘めた熱い思いの籠った歌だと思うわ。万葉以来の歌の伝統は女が継承してきたと私は思っているのよ。芭蕉が慕った歌人に西行がいるでしょ。西行の詠んだ恋歌があるわ。
句郎 百人一首になっている歌が有名かな。藤原定家が高く評価したという歌かな。
華女 「嘆けとて月やはものを思はする かこち顔なるわが涙かな」でしょ。大岡信は「西行の恋の歌としては、何ということもない凡作である」と言っているわ。
句郎 西行が恋を詠んだ歌とは、どのような歌があるのかな。
華女 「花を見る心はよそに隔たりて 身に付きたるは 君が面影」。この歌の方が私は好きよ。
句郎 男が詠んだ歌としては女々しくないかな。
華女 そう、女々しいのよ。男は女になって歌を詠んでいるのよ。男が男のままでは歌にならなかったのよ。男は女になって、女の気持ちになって初めて歌が歌になったのよ。それが恋歌だったのだと私は考えているわ。
句郎 男女差別が社会的なものであった時代に生きていたからということかな。
華女 男が女に恋をするということを恥じるような意識が男の世界にはあったということよ。男女差別は男の心を捻じ曲げてしまったのだと私は考えているわ。
句郎 もともと男は女々しいのかもしれないな。泣くことが男にはできないようなところがあるからな。泣きたくても泣けないのが男だからな。
華女 泣くということよ。泣くという事には強い思いがあるということよ。この強い思いを言葉にしたものが恋歌だったのだと私は思うわ。ものを見て、ものに接して率直に感じたことを言葉にしたものが恋歌だったのだと思うわ。
句郎 恋歌に詩歌の原点があるということなのかな。
華女 きっとそうなのよ。その詩歌の原点としての
  恋歌の伝統が芭蕉にも引き継がれているのでは
ないかと思うわ
句郎 恋の歌には率直な気持ち、純粋な気持ちがあふれ出ているということかもしれない。芭蕉もまた詩歌の伝統の中で句を詠んでいる。