醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1513号   白井一道

2020-09-07 15:54:38 | 随筆・小説


   
 芭蕉俳諧の恋句



華女 芭蕉は1684年(貞享元年)『野ざらし紀行』の旅に出て、1694年(元禄7年)10月12日、大坂で亡くなるまでの10年間が旅に生き、旅に死んだということなのよね。
句郎 『野ざらし紀行』冒頭の句「野ざらしを心に風のしむ身哉」は野ざらしにされた我が骸骨を覚悟した句になっている。
華女 1684年から1694年までの10年間が、芭蕉が芭蕉であった時間なのよね。
句郎 芭蕉41歳から51歳までの10年間かな。この10年間に芭蕉の人生のすべてが凝縮されているということかな。
華女 芭蕉が芭蕉になっていく出発になったのが『野ざらし紀行』ということね。
句郎 旅の途上、熱田の白鳥山法持寺で芭蕉、叩端、桐葉の三吟歌仙を巻いている。この俳諧の発句が「何とはなしに何やら床し菫草」であった。
華女 後に芭蕉はこの句を推敲し「山路来て何やらゆかしすみれ草」として有名になった句ね。
句郎 この歌仙の中に芭蕉の恋句がある。桐葉が
「芸者をとむる名月の関」を詠んだ句に芭蕉は
「面白の遊女の秋の夜すがらや」と付けている。
華女 桐葉の句「芸者をとむる名月の関」とは何を詠んでいるのか、全然分からないわ。
句郎 芸者とは、今私たちが思い浮かべる芸者ではなく、遊芸の達者な者を言うようだ。「名月の関」とは、名月の頃、関所を通り抜けようとしたところ、関所の役人に呼び止められて芸を所望され、月見の宴をしたということのようだ。
華女 芸人の一団が関所を通ろうとしたところ、月見の宴をしたということなのね。
句郎 「面白の遊女の秋の夜すがらや」と芭蕉は付けた。
華女 遊女の芸が面白く、実に楽しい秋の夜すがらだったということね。このような句が俳諧の恋句というものなのね。
句郎 前句と付句とで一つの世界を詠むのが俳諧の面白みだから。
華女 ここで詠まれている世界は色恋の世界ではないわね。何か、中世的な幽玄な世界のようにも感じられるのよね。
句郎 きっと芭蕉は西行の歌の世界から強い影響を受けているのかもしれないな。
華女 「面白の遊女の秋の夜すがらや」という芭蕉の前句に叩端はどのような付句を詠んでいるのかしら。
句郎 叩端の付句は「燈(ともしび)風をしのぶ紅粉皿(べにざら)」だ。「風をしのぶ」とは、風に吹かれて消えようとして、消えずにいる燈である。風にゆらめく燈に皿の紅粉が笹色にきらめいている遊女の部屋の凄艶な光景を表現している。
華女 関所で楽しんだ月見の宴が凄艶な遊女の部屋に世界が変わったということね。
句郎 想像する世界を次々と変えていく遊びが俳諧というもののようだ。
華女 想像する世界を次々と何人かの仲間と一緒に変えていく遊びが俳諧だったということね。
句郎 俳諧師とはプロの遊び人だった。
華女 文学とは遊びの中から生まれて来たものなのね。
句郎 遊びの世界は、日常の世界とは隔絶された世界であった。であるが故に日常の世界にある世の掟から解放された世界でもあった。礼の世界から解放された世界であった。
華女 礼の世界とは何なのかしら。
句郎 現実の世界にあっては、農民は武士の前に出ると土下座することが礼であった。礼とは秩序というものであった。社会の秩序を整えるものが礼であった。封建社会にあっては礼が最も重要な掟であった。
華女 現代社会にあっても公務員の世界にあっては、上下の関係が明確化されているわね。そこでの上下の関係は礼によって可視化されているように思うわ。命令をする者とされる者との関係を可視化しているものが確かに礼ね。
句郎 特に小・中・高の卒業式などの場合、今でも礼法指導なんていうものを年配の女性職員が生徒の指導をしているようだからね。
華女 儀式というものが封建社会にあってはとても大事なものであったということは礼という秩序を維持する装置だったということなのね。
句郎 遊びは秩序された世界の外の世界だった。
                           岩波新書『芭蕉の恋句』東明雅著 参照