醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵゜だより   1413号   白井一道

2020-05-17 10:53:11 | 随筆・小説



    徒然草第236段 丹波に出雲と云ふ所あり



原文
 丹波に出雲と云ふ所あり。大社(おおやしろ)を移して、めでたく造れり。しだの某(なにがし)とかやしる所なれば、秋の比、聖海上人、その他も人数多誘ひて、「いざ給へ、出雲拝みに。かいもちひ召させん」とて具しもて行きたるに、各々拝みて、ゆゝしく信起したり。
 御前なる獅子・狛犬、背きて、後さまに立ちたりければ、上人、いみじく感じて、「あなめでたや。この獅子の立ち様、いとめづらし。深き故あらん」と涙ぐみて、「いかに殿原(とのばら)、殊勝の事は御覧じ咎(とが)めずや。無下なり」と言へば、各々怪しみて、「まことに他に異なりけり」、「都のつとに語らん」など言ふに、上人、なほゆかしがりて、おとなしく、物知りぬべき顔したる神官を呼びて、「この御社の獅子の立てられ様、定めて習ひある事に侍らん。ちと承らばや」と言はれければ、「その事に候ふ。さがなき童どもの仕りける、奇怪に候う事なり」とて、さし寄りて、据ゑ直して、往(い)にければ、上人の感涙いたづらになりにけり。

現代語訳
 丹波に出雲という所がある。出雲大社の神霊を請い迎えてめでたく造った。しだの何某とか言う者が支配する所なので、秋の頃、聖海上人とその他の人も多数誘い、「さぁーお出で下さい。出雲神社の参拝に。牡丹餅をご馳走しましょう」と手に持ち行った折、皆それぞれ拝み、えらく信仰心を起した。
 神社の前の獅子や狛犬が背むいて後ろに立ち上がっているので、上人は大事なことだと思い、「なんとめでたいことか。この獅子の立ち上がった姿はとても珍しい。きっと深い理由があるのだろう」と涙ぐみ「どんなにか皆さん、この素晴らしいことをご覧になって不思議にお思いになりませんか。それではあんまりです」と言うと、各々不思議がり、「本当に他とは違っていますね」、「都への土産話にしましょう」などと話すと、上人はなおそのいわれを知りたいと思い、かなり年配の事情を知っていそうな顔をしている神官を呼び、「この御社の獅子が立っているさまを決められている。すこし伺いたい」と言われたので「そのことでございますか。いたずらな子供たちのしたことで、怪しからんことでございます」と、獅子に近寄り、向き合うように据え直して立ち去ったので上人の感涙は無意味なものになってしまった。

 映画『汚れなき悪戯』   白井一道
 映画は祭礼のために丘の上の寺院に向かう人々の流れと逆方向に歩き、町に住む病気の少女を見舞う無名の神父の話で始まる。彼は今日の祭りは何を記念するものか知っているかと少女とその父親に問い、祭礼の起こりを語りだす。
19世紀の前半、スペインのある町の町長を2人のフランシスコ会神父、1人の修道士、計3人が訪れ、侵略者フランス軍により破壊されたまま廃墟となっている丘の上の市有地の修道院を再建する許可を求めた。町民の助けを得て再建された修道院ではやがて12人に増えた修道士たちが働いていたが、ある朝、門前に男の赤子が置かれていた。神父たちは、赤子にその日の聖人の名前、「マルセリーノ」で洗礼を施した。両親は既に亡くなっていたことが判ったので、修道士たちは近隣に里親を求めて歩き回った。
しかし適当と考えられた人々の生活は苦しく、また引き取ると申し出た鍛冶屋は徒弟を乱暴に扱っているため修道士の方で断り、結局赤子は修道院で育てることになった。5年後、マルセリーノは丈夫で活発な少年になっていた。彼は修道士たちから愛され、また宗教や学業の手ほどきを受けはじめていたが、細やかな愛情を注ぐ母親もいなければ同じ年頃の遊び相手もいない境遇に、修道士たちは憂慮していた。
ある日町に行く途中で馬車の故障で修道院に立ち寄った家族がいて、マルセリーノはその母親と話すことで女性に初めて接し、また自分と同じくらいの歳だというマヌエルという息子の話も聞いた。マルセリーノは炊事係のトマス修道士に自分の母親のことを尋ね、彼は母親はもちろん美人で今は神様のところにいると請け合った。またマルセリーノはマヌエルを仮想の遊び仲間として独り言を言いながら遊ぶ癖がついた。
修道院の再建を許可した町長は死ぬ前に土地の寄贈を採決しようと申し出たが院長は断っていた。しかし彼の死後町長となった鍛冶屋はまず子供の里親となることを要求し、拒否されると他の議員への影響力を駆使して修道院を立ち退かせようと画策し始めた。
トマス修道士は農具や工具を保管する屋根裏部屋には決して入るな、奥の部屋には男がいておまえを捕まえるとマルセリーノに言いつけていたが、ある日おっかなびっくり階段を上がって行ったマルセリーノは奥の部屋で大きな十字架のキリスト像を見た。
転がるように階段を下って逃げたマルセリーノだが、怖いもの見たさで再び様子をうかがいに戻ると「男」は元の場所から動いていなかった。トマス修道士の話を信じ、「男」が彫像だとは思わないマルセリーノは像に話しかけた。男は答えなかったが痩せて空腹そうだと思った少年は台所に走るとパンを持ってきて差し出した。すると像の腕が動いた。
像はマルセリーノが大きな肘掛け椅子をすすめると降りてきて、私が誰だか分かるかと問うとマルセリーノは神様ですと答えた。像は特にパンと葡萄酒を喜んだのでマルセリーノは毎日それらを盗み、それに気づいた修道士らは訝りながらも気付かぬふりをして彼を見張ることにした。
像との話題はマルセリーノの母のことや像の母のことに及んだ。ついにある日、トマス修道士が見張っている時、例のようにパンと葡萄酒を持っていったマルセリーノに対し、キリストは彼が良い子だから願いをかなえようと申し出た。迷わずマルセリーノは母に会いたい、そしてあなたの母にも会いたいと言った。今すぐにかという問いには今すぐと答えた。ドアの割れ目から覗くトマス修道士の前で像は少年を膝に抱き、眠らせた。
トマス修道士は階段上まで戻ると兄弟たちを呼んだ。駆けつけた神父、修道士たちは空の十字架を見て、やがて像が十字架に戻るのを見て扉を開いた。輝く光のなかで、マルセリーノは椅子の上で顔に微笑みを浮かべて死んでいた。
奇跡を聞きつけた町の人々が続々とあつまる中、町長とその妻は、彼らに混じって行った。
やがて修道院は寺院に作り変えられ、礼拝堂には奇跡のキリスト像が祀られ、そのひと隅にマルセリーノが葬られ、奇跡の記念日には遠近の町村から大勢の人々が集まるようになった。