醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1330号   白井一道

2020-02-16 10:28:51 | 随筆・小説



   徒然草第155段 世に従はん人は、



原文
 世に従はん人は、先づ、機嫌を知るべし。序(ついで)悪(あ)しき事は、人の耳にも逆「さか」ひ、心にも違ひて、その事成らず。さやうの折節を心得べきなり。但し、病を受け、子生み、死ぬる事のみ、機嫌をはからず、序(ついで)悪(あ)しとて止む事なし。生・住・異・滅の移り変る、実の大事は、猛き河の漲(みなぎ)り流るゝが如し。暫しも滞らず、直ちに行ひゆくものなり。されば、真俗につけて、必ず果し遂げんと思はん事は、機嫌を言ふべからず。とかくのもよひなく、足を踏み止むまじきなり。

現代語訳
 世間の習いに従う人はまずチャンスをつかむことだ。順序を違えたことは人に聞き入れられず、気持ちを逆なでし、そのことは成就しない。そのような事もありえると心得ておくべきだ。ただし病気になったり、子を産んだり、死んだりすることだけは、好機を見計るものではないし、順序が悪いと言って止めることではない。生・住・異・滅は移り変わっていき、本当に大事な事は、荒れ狂う河に漲り流れるがごとくだ。少しも滞ることなく、直ちに行われていくものだ。だから仏道修行にあっても、俗世間に処していくにあっても、必ず果たし遂げようと思う事は、時機の良し悪しを言ってはならない。あれやこれやの用意・支度・準備を言うことなく、足を踏みとどめることをしてはならない。

原文
 春暮れて後、夏になり、夏果てて、秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気を催し、夏より既に秋は通ひ、秋は即(すなは)ち寒くなり、十月は小春の天気、草も青くなり、梅も蕾(つぼ)みぬ。木の葉の落つるも、先づ落ちて芽ぐむにはあらず、下(した)より萌(きざ)しつはるに堪へずして落つるなり。迎ふる気、下に設けたる故に、待ちとる序(ついで)甚(はなは)だ速し。生(しやう)・老・病・死の移り来る事、また、これに過ぎたり。四季は、なほ、定まれる序(ついで)あり。死期は序を待たず。死は、前よりしも来らず。かねて後に迫れり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し。

現代語訳
 春は暮れると夏になり、夏果てて秋が来るのではない。春はやがて夏の雰囲気を醸し出し、夏から既に秋の気配が漂いだし、秋はすぐ寒くなり、十月は小春の暖かさがあり、草も青々として、梅には蕾が付き始める。木の葉が落ちるのも、まず落ちて芽吹くのではなく、葉の芽が萌えだす勢いに堪えられずに落ちるのである。変転を迎える気配は下に設けられている故に、待ち受ける順序が速やかなのだ。生(しやう)・老・病・死の移り変わる事はまたこれよりも速い。四季には、決まった順序がある。死期には四季のような順序はない。死は前からばかり来るものではない。あらかじめ後ろに迫っている。人は誰でも死が来ることを知っていて、待っていること、しかも急でもないにもかかかわらずに自覚することなくやって来る。沖の干潟は遥かであるけれども、磯より潮が満ちて来るようなものだ。


 老いは突然、襲ってくる  白井一道
 老いが突然襲ってきた。床屋を出て自転車に乗ったが道が分からない。恐ろしくなった私は自転車を降り、自転車を引き、歩き始めたが行き先が分からない。蕎麦屋の脇の道に入り、道路に出て左に曲がった。私はどこに行こうとしているのかが分からない。じっとしているわけにはいかない。歩かなければならない。歩き始めてみるとまた同じ道を歩いている。元の道に戻った。また蕎麦屋の脇の道に入ると同じだ。真っすぐ進もう。信号が見えて来た。あぁー、この信号を渡り、向こう側に行こう。右に向かって歩き始めよう。自転車に乗ることが怖くて乗ることができない。突然、私に話かけてくる人がいた。「この道を行くと郵便局に行きますか」。私はただ漠然と頭を上下にして頷いた。本当に郵便局にいけるのか、どうか、私には分からなかった。ただ頷き、ニコニコしただけである。ただ私は真っすぐに伸びる道を自転車を引き、歩いているだけである。すると突然、見慣れた景色が現れた。昔、花屋だったところの交差点を曲がり、まっすぐ行くと我が家だ。家に帰れる。意識が戻り、正常に戻った。