中東問題(4)
侘助 湾岸戦争に日本は135億ドルを拠出した。それでもアメリカは喜ばなかった。こういう話を新聞やテレビで話す政治家や国際政治学者と名乗る人々がよく言った。アメリカはとは言わずに、「国際社会」は、と述べていた。このお金を用意する上で活躍したのは小沢一郎さんだったらしい。そのような話を孫崎享さんが話していた。
呑助 小沢一郎という政治家は凄い政治家なんですね。
侘助 そうなんじゃないのかな。小沢さん自身もアメリカには尽したと思っているんじゃないかと孫崎さんは話していた。
呑助 日本の保守政治家はアメリカに片思いをしているんですかね。
侘助 そんな感じがするね。ちっともアメリカは日本のことなんか考えていないのに一方的にアメリカを想っている。アメリカから高く評価してもらうためだったら、日本の若者を殺してもいいというような気持ちなんじゃないかな。
呑助 自民党の政治家というのはそんなもんですかね。
侘助 アメリカ軍と一緒になって一緒に戦えというのは、日本の若者を殺せということなんじゃないのかな。
呑助 湾岸戦争では、イラクのサダム・フセイン大統領は敗戦を受け入れたんですよね。
侘助 そうなんだ。イラク軍がクエートに侵攻し、全土を制圧するとアメリカは国連軍の編制を目指すが無理であることが判明すると、「有志を募る」という形での多国籍軍による攻撃を決め、イギリスやフランスなどもこれに続いた。エジプト、サウジアラビアをはじめとするアラブ各国もアラブ合同軍を結成してこれに参加した。多国籍軍は1991年2月27日にはクウェート市を解放、敗走するイラク軍を追撃した。同日中にアメリカのブッシュ大統領が停戦を発表し、フセイン大統領は敗戦を認めた。3月3日には暫定停戦協定が結ばれ戦争が終結した。停戦協定成立後、核開発防止のための国際原子力機関(IAEA)査察をイラクは拒否したため、イラク戦争の要因となっていく。
呑助 中東アラブ地域というのは第二次世界大戦後、平穏であった時期というのはほとんどない地域なんですね。
侘助 ほんとにそうだね。
呑助 イラク戦争は2003年に始まるんですよね。
侘助、、湾岸戦争停戦に際して、イラクは停戦条件として国際連合安全保障理事会によって大量破壊兵器の破棄を義務付けられていたからね。いわゆるイラク武装解除問題だよね。武装解除の対象とされたのは、生物兵器、化学兵器、核兵器、射程150km以上のミサイル、およびそれらの武器を製造するための設備や資材であり、武装解除を目的とした経済制裁も行われたんだよ。
呑助 厳しいもんですね。
侘助 イラクは敗戦国だからね。
呑助 イランのホメイニのような政治をする宗教指導者がイラクにはいなかったんでしようかね。
侘助 第三次世界とも言えるような冷戦が終わり、ソ連帝国が崩壊する時期だったからね。超大国アメリカが世界に君臨し始める頃だったからね。
呑助 いよいよイラクはまた攻撃されてしまうんですね。
侘助 、そうなんだ。イラク武装解除問題の進展義務違反を理由とする『イラクの自由作戦』の名の下に、イラクへ米軍は侵攻した。正規軍同士の戦闘は2003年中に終了し、同年5月にジョージ・W・ブッシュにより「大規模戦闘終結宣言」が出たが、後にイラク国内での治安の悪化が問題となりイラク国内での戦闘は続行した。2011年8月31日にバラク・オバマ大統領により改めて「戦闘終結宣言」と『イラクの自由作戦』の終了が宣言され、翌日から米軍撤退後のイラク単独での治安維持に向けた『新しい夜明け作戦』が始まった。そして2011年12月14日、米軍の完全撤収によってバラク・オバマがイラク戦争の終結を正式に宣言した。実質的なイラク戦争は2011年まで続いていた。いや現在ではイラクという国が解体し、イスラム国とか、クルド人の自治国とかと共存する国になっているようだ。