我思うゆえに我あり 死刑囚・山地悠紀夫の二度の殺人小川 善照小学館このアイテムの詳細を見る |
平成17年に大阪で姉妹2人を殺した山地悠紀夫の記録本です。
山地は,山口市で生まれ育ち,平成12年に母親を殺して少年院に収容され,平成15年に出所後パチンコ屋に勤めているうちにゴト師(違法行為をして儲けるパチプロ??)となり,先輩ゴト師のマンションに住む被害者姉妹を強姦して殺してしまう事件を起こし死刑判決を受け,弁護人のした控訴を取り下げて死刑判決が確定し,今年の7月に異例の早さで執行されました。
山地は,姉妹殺しで逮捕されたあと黙秘を続け,一貫して捜査に非協力的な態度をとり続けていたのですが,文面から受ける感じ(女性に執着するところ,利己的なところ,プライドが高いところなど)が今話題になっているリンゼイさん殺しの市橋容疑者に似ているなぁと思います。生まれ育ちは正反対の2人ですが,犯罪傾向の強い性癖というのは環境に影響されないのかもしれません。
本では,山地の生い立ちや考え方なども取材に基づいて掘り下げています。
母親殺しから姉妹殺しに続く原因を,山地が母親殺しの前に交際していた女性に対する面影探し(悪く言えば執着)にあるのではないかと推測しています。被害者姉妹が,交際相手と似ていたと言うことも推測を裏付けることとなったようです。
本からは,山地が女性に対する渇望と同時に激しい嫌悪を抱いているような印象を受けるのですが,その原因は母親にあったのかも知れません。山地の父親は酒乱のアル中で最低の夫だったようですが,子供には優しく山地は父親が好きだったようです。この父親が山地が小学5年の時に死んでしまったことが,山地の犯罪傾向を強くする原因になったことは間違いないようです。
その後母親はパートに出たものの,浪費したり新しい男性の影があったりということで,山地は母親を快く思っていなかったようです。母親殺しの直接のきっかけになったのは,母親が山地の交際相手に無言電話を掛けたことでした。
タイトルの「我思うゆえに我あり」というのは,山地が高校生の頃からモットーにしていた言葉ということで,山地はこの言葉を「自分の思うように自分のすることは決め,そのことには責任を取る」というような意味に自分に都合良く受け取っていたようですが,デカルトの思索自体はちょっと違うと思います。
人間の存在は不確実なものだけど,「考えるところの私」は,考えると言うことにおいて,その存在を認めることが出来る,といったような意味ではなかったかと私は理解しています(間違っていたら恐縮です)。
だとすれば,当然,デカルトは自分がしたいことは何でもして良いなんて言っているわけではありませんから,我思う故に人を殺すなんて事は認められません。が,山地について善意解釈すると,死刑判決に対して弁護人がなした控訴を自ら取り下げした点は,自分なりの整合性を貫いていったのかも知れないと言う気もします。
しかし,人をひとり育てると言うことは大変なことですね。
親もしっかりしていないとダメ人間の拡大再生産をしてしまいかねないのかもしれません。私もダメ人間ですので,結果としてにせよ子供を持たなかったのは,ある意味正解だったのかもしれないと思います。
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