死にたい老人 (幻冬舎新書) | |
木谷恭介 | |
幻冬舎 |
83歳になった推理作家の木谷恭介さんが、自分で断食死をしようとした顛末を書かれた本である。
読んでみると、なんというか……あまり面白くなかった。だけど興味深かった。
なぜ面白いと思わなかったのか。
自分でもよくわからないけれど、すべてが中途半端だからかなと言う気はする。
断食死を決意した理由がよくわからない。75を過ぎて若いと思っていた自分が思ったよりも老人であったことを認識したことや、奥様と別れてしまい一人暮らしになったこと、仕事も依頼はあるもののなかなかパワフルにははかどらない、田舎に住んでいるのに車の運転が出来ないので行動が不自由だ、等記載されているが、よくわからない。半分は自分で招いたことの結果であろうし、衰え云々は誰でも思っていることだろうに、なんでこんなことで死を決意しなければならないのか。木谷さんは自分のことをC級の人、などと述べておられるが、その割りにはいささかプライドが強すぎるようにも思った。
決行の過程についてもわからない。
断食しながら、犬の散歩をしたり、病院に行ったりしている。通いのお手伝いさんやアシスタントの人に断食死を宣言し、保護責任者遺棄致死にしてはまずいからこれからこなくて良い、と言ったりする。
そんなこと言われたら、普通の人だったら放っておけないでしょう。私だったら本当に死ぬ気があったのなら、お手伝いさんには十分にお礼をしてやめてもらって、黙って決行する。断食なんて死ぬまでに猶予のあるのはいやだから、冬山にでも行って凍死したい。
だけどいずれにしても、他人に迷惑がかかる。
それを思うと、できない。
断念についても、断食中に発作を起こして自分で救急車を呼んで入院することになり、断念となる。
人にさんざん迷惑をかけて、死にたいのなら救急車など呼ばなければ良いではないか、と息子さんに言われるくだりも書いてあるが、本音のところ、息子さんの言うとおりだろう。
一般のお年寄りは、元気で働きたくても職もないし、木谷さんのようにモノを生み出す才能もない。暮らしが不便ならば、もう少し便利な場所に引っ越しをすれば良いではないか。認知症でボロボロとか末期癌でもう死ぬとか、ホームレスになっちゃって雨露しのぐ場所もないとかいう深刻なことでもなく、いずれも解決可能な悩みであって、贅沢な感じを受ける。
元気で健康に気をつけて、どんどん良い作品を世に出すことを考えていれば、楽しい人生だろうに、もったいないことだ。
何が興味深かったか。
それは、お年寄りの心理がよくわかることだ。
昔の思い出話が多いことは当然として、まず否定的な思い出が多い感じ。昔ああされた、こうされたなんていう類の。
それと、こうと決めたらなかなか撤回できない頑固さというか、硬直性というか。だめだったら「だめでした。もうしません」で良いではないか。それがなかなか言い出せない。
あと、面白かったのは、断食死を試みるにあたって、周りの人が保護責任者遺棄致死になる可能性はないのかと弁護士に相談に行った、とあるくだりだ。
相談された弁護士もさぞ面食らっただろうと思う。その辺も、異常と言えば異常だと思える。
老後というのは、自分の内面世界(精神というか、意識というか)の崩壊を自分で認識しながら生きていくことが辛いのだろうか。
なるべく崩壊速度をゆるめたいと思う。頭の崩壊の前に身体が崩壊して死にたいなぁ。
それには頭への刺激と適度な運動でしょうかね。はぁぁ