老人の戯言

当年85歳になります。戦前戦後の経験語り部も居なくなります。貴重な経験を構成に残して今後の日本の発展を期待したい。

東芝病院の終焉

2018-03-05 15:41:37 | 日記
昭和20年敗戦直後に従業員の厚生福祉を目的に設立された東芝病院は今年3月末には医療法人緑野に、たった280億円で売却されて終焉する。
 売却の根源は東芝の進路を誤ったヘボ社長による米国WHの原子力会社の倒産時の不適切な処理による事は明白であるが、実に残念なことである。
売却時の条件は医療体制の維持を謳はれいますが、現在は主治医75人の内40人以上が転院、東大医局からの派遣医も総員引き揚げの事態になっている。契約時の条件はまったく無視されているようである。 
 一兆円を超す赤字負債に対して僅か280億円の取得が貢献するものとは思えない。
東芝病院設立後何度か新棟に建て直され,その度に地元医師会から東芝従業員のみを診るように嫌がらせを受けてきたが、最近では日に1,000人の外来患者の内80%は地元の方たちから愛され信用され、310床のベッド数を持つ大病院に発展していた。
 元来東芝の医療器はレントゲンからスタートして、戦後はエレクトロニックス、テレビ等の画像技術やコンピュータ技術の総合力を発揮して、世界3大医療器メーカーとして、GE,SIMENSと並ぶ3大メーカの地位を築き上げていた。
 縦割り事業部が横行する中で珍しい総合技術を結集できた経営であった。
 東芝病院はこれらの最先端医療設備の実験を兼ねて、特にマルチスライスCT,磁気共鳴MRAIや重粒子放射線設備では世界一の性能を誇っていた。
筆者もある病院を受診時に院長から直々発注したCTの納期を早めて欲しいと要請されたことがあるくらいだ。
 また役員会でも全員が諸々の病院近代化提案を容認してきた経過もある。
併設された人間ドックにも40年以上お世話になり、今日まで心臓の異常の早期発見で事なきを得て馬齢を重ねてこられた恩義もある。
 今後の日本の企業は物造りからソフト事業に転換しないと生き残れない時代である。
こういった環境下で最も得意とする総合技術の医療器事業部をキャノンに売却してしまい、例え上場企業の地位を維持できたとしても、この数年のゴタゴタ期間における、機会損失や人材の流失は図り知れない。昭和13年の芝浦製作所に戻ったような事態を認識して、再建の成功を祈るのみである。
JUNTARO

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
おかしな企業再建 (jinn-news)
2018-03-06 22:37:51
いいところを先に売却して、悪い部門を残すというのは変ですね。順序が逆です。東芝をまるごとどこかに売って新社として再生できなかったのですか。銀行の都合で、債権回収を先行させた結果でしょうか。
おかしな企業再建 (jinn-news)
2018-03-06 22:37:52
いいところを先に売却して、悪い部門を残すというのは変ですね。順序が逆です。東芝をまるごとどこかに売って新社として再生できなかったのですか。銀行の都合で、債権回収を先行させた結果でしょうか。

コメントを投稿