1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 江戸時代から400年も続く、富士山はどこの県のもの論争。この争いは、永遠に続くのかな。

2024-04-24 15:36:43 | 法話

【4月25日投稿分】


読者の若者が「お笑い番組『ジョンソン』で『富士山は、山梨のもの、静岡のもの、論争』が。明治から昭和に掛けて、法廷論争まで起こったってよ、住職。『富士山は、静岡のもの』と判決が出ると、山梨でデモ活動にまで発展を。この争いは江戸時代から続いていて、400年経った今でも、燻り続けているんだと。静岡側の主張は『宝永山(1707年、宝永4年に大噴火によって誕生した富士山最大の側火山。静岡県側から富士山を見て右側の中腹)まで見えるのが、本当の富士で登録遺産になってる。葛飾北斎の富嶽三十六景の富士山は、静岡側から見たものしかない』と。対し、山梨側の主張は『千円札の裏に印刷されている富士山は、山梨側の本栖湖から撮った富士山だ。お札にまでなっとる』と。山梨、静岡、お互いの県をライバル視している県民の割合は、お互いに40%超えなんだって。これって、県を州に変えたら、1発で解決しそうだね。考えたら、国内の国民の間でもこれだもんな。国家間の竹島、尖閣が揉めるは、仕方のない事なのかな。北九州在住の住職には、どうでもいい事でしょうが、それでも、どう思いますか。富士山問題を」と。


対し、拙僧「嘗て、戦国時代の三国同盟調印の時、今川義元公が『駿河(静岡)から見た表富士は格別のもの。甲斐(山梨)から見る裏富士はどうですか』の問い掛けに対し、武田信玄公が『甲斐では誰1人として、裏富士などと思っている者はおりません。裾を隠して見上げるが霊剣あらたかな富士。尻丸出しの富士では』と。それを横で聞いていた江戸(東京)の北条氏康公は、どうでもいいや、と笑っておられたとか、おられなかったとか。また、他にも県同士の争いでは、京都、滋賀の『琵琶湖の水論争』も有名だよね。滋賀県側からは『琵琶湖の水を京都に流してやらんぞ』が定番。京都側からは島田紳助さんが『放水させんぞ。湖に沈んでしまえ』と番組で滋賀県出身の芸人さん達に」と。


続けて、拙僧「映画やテレビドラマにおいては、時折『会津(福島)、薩摩(鹿児島)論争』が根強く脚本に組みされてますよね。任侠映画でヤクザに腹を切られた早稲田学生役の柳葉敏郎さんの手術途中で、医師役の田中邦衛さんが『おめえ、薩摩か。戊辰戦争の恨み、思いしれ』と荒い手術を。映画『釣りバカ日誌』でも、吉岡秀隆さん演じる医師(会津)の親が、宮沢りえさん演じる薬剤師(薩摩)に対し『外国人でも何でも構わんが、但し、鹿児島の女性を嫁にする事だけは許さん』と。映画の脚本とはいえ、本当に根深いのか、それとも、単なるパロディにしてるのか。が、どれも、これも、県を州にしたら、県境の問題はなくなっていくのかもね。まあ、そう簡単な話ではないか。積年の何たらがあるからね。仮に、州になったとしても、今度は州境で新たな論争が勃発しそうだが。でも、地元に熱い思いを持つという事は、悪い事ではないんだけどね」と。


対し、この読者の若者が「やっぱ、国でも県でも家でも、親子でも夫婦でも兄弟でも姉妹でも、お隣さん同士は利益の損得が目の前にあるから、切実な問題になるのかもしれませんね」と。「以前ね、大分県の中津というところに『相談があるから』と呼ばれた事があって。その時、偶々、爺様同士が鎌を振り上げ、大声で喧嘩してる場面に遭遇したんだよ。すると、その場面を見るを慣れてるかの様に、拙僧に『相談がある』と呼んだ爺様が『隣同士で、いつもああなんだ。気にせんでよかよ。殺し合いまではせんから。今日は、地べたに置いた鎌の刃が、境界線から10センチほど出ていたとかで、大喧嘩だ」と。


続けて、爺様が「住職よ、田舎というは面白く、けったいなところでな。この見渡す限りの田畑、山あり川ありの中に、人間の都合で決めた県境の線が。隣同士で片方は福岡県、片方は大分県というところも。コロナ流行の時期、福岡県でコロナが蔓延した時『福岡の人間は、大分に入って来るな』と隣村同士で口喧嘩だ。全くもって、笑い話以外に何もないわ。これがまた実話ときたもんだ」と。「その手の話なら、北九州でもありましたよ。拙僧の住む八幡東区と戸畑区は、隣同士なんですが、戸畑でコロナが出た時『八幡東区じゃなくてよかった』と、どれほどの人(わが寺の檀家さんも含め)が、そう言って喜んだ事か。両方の区を合わせても、狭い地域なんですけどね。ほんと、人間が勝手に決めた区の境界線を挟んで『コロナが出た、出らん』で一喜一憂。滑稽でしかなかった。と。


最後に、この檀家の若者に「相談が終わっての帰り際に、この爺様が『そこに置いてある野菜を持って帰りないや』と、そう言われるので『有難うございます』と手に取ろうとすると『違う、違う、そっちのじゃない。その右側にあるのじゃ。虫も食わん様な野菜(農薬育成)を食べるな。住職が手に取ろうとした野菜は、町のスーパーに出すもんじゃ。そうじゃないのに、店頭に並んだら、無農薬、という札が置かれて売られとったわ。町の人間は、綺麗なもんしか手を出さん。どこかの病院で《農薬は、農毒薬の略語なり。虫は即座に、人はジワ〜と殺される》という標語を見たが、少し虫が食っとろうが、少し形が歪(いびつ)だろうが、なんぼのもんじゃ。料理してしまえば、何ちゃわからん』と、この爺様が」と。


頷きながら聞いていたこの檀家若者が「住職、今日のこの一連のお話(会話)ですが、非常に面白かった。何かしら、今後の参考にもなりそうです。人間のこだわりって、厄介なもんですね」と。「ほんと、厄介だよね。この世の中は、人間関係も含め、割り切れん物ばかり。その割り切れん物を、無理矢理割り切って、わが心と折り合いをつける事が出来る人が、様々な問題を事前に回避出来る人、なのかもしれないね」と。


過去の法話が下記で読む事が出来ます。


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【追伸】尚「法話が長い」と不快感を示されておられる方々には、大変心苦しく申し訳ないので、拙僧の法話が目に入らない様に『ブロック』をさせてもらっております。楽しみにされている方々もおられますので、ご理解頂きまして、それでどうか、ご容赦くださいませ。


拙僧が高校時代だったかな。投稿添付写真の日本を大陸側から見た地図に出会った時「立つ位置が変われば、こんなに印象が変わるのか」と思った覚えがありますね。


次回の投稿法話は、5月1日になります。






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