1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 さて、今日からお盆です。何万年も昔から、1つの命をバトンタッチの様に繋げてくれた先祖さんに、恩返しの供養を。

2024-08-13 06:22:52 | 法話

【臨時法話】


その檀家爺様は91歳で亡くなって10年以上になりますが、第二次世界大戦中、外地で最前線部隊を率いていた将校さんでした。爺様は終戦日(8月15日)を迎える度にお寺に上がって来て、戦地で亡くなられた人達の供養を。毎年拙僧にこの様な話を。「早朝、出陣したら夕刻には多くの部下の命が。チューンという音と共に部下が、バタッ、バタッ、とその場に。部下だけじゃない。わしの足となって働いてくれていた白馬も、撃たれて瀕死の状態に。わしは苦しめない為に、銃で眉間を」と。そこまで話すといつも嗚咽しながら涙を。供養の後、爺様はいつも「毎年、同じ話ばかりしてすまんな。話す事によって、部下や白馬の供養になると思ってな。『わしは決して、君らの事は忘れてないからな』と。住職よ、わしが死ぬまで、この供養に付き合ってくれよな」と、その檀家爺様が。


この話を爺様から聞く度に拙僧、戦争の是非は兎も角、今ここに、こんな平和な国に、住まわせてもらえているは、数多の犠牲の土台あっての事と。この時期になると靖国神社の戦犯の話題になるが、どの様な経緯があって、それを免れたのかは知らないが、もしかしたら日本も、朝鮮国やドイツの様に、大阪、名古屋を境に、東日本と西日本に2分化され、東西で壁を作り、憎しみあっていたかも。が、実際にそうなってないは、その当時の人達のどんな働きがあっての事なんでしょうね。今、ここにある現在の日本の現実(平和)を見た時、戦争に関わった人達を非難するは、少し違う様な気がしますよね。


【付録】

拙僧はこれまでに、約10年間でSNSに3000話の長短法話、また、法話の本を3冊、世に出させて頂きました。そのご縁がきっかけとなり、テレビ(約半年、週1回)、ラジオ、新聞、雑誌などや、教育委員会、学校、幼稚園、病院、老人ホーム、デイサービス、町内会老人の集い、倫理法人会、他宗寺院、葬儀斎場、社員研修などへの講演(北九州在住の拙僧が、遠方では九州南部、関西、関東、北陸、東北まで。尚、檀家は千葉県にも)にも呼んで頂き、方々で法話交流を。あらゆる話とまでは言えませんが、様々なジャンルである程度(仏教仏事系の他にも、癒し系、漫談系、人生系、目から鱗系、子育て系など)の話が出来ると思いますので、何かのお役に立ちそうでしたら、時間調整の許す限り、集いの大小問わず(参加者数人でも)足を運ばせて頂きますので、お気軽に、facebook、X、Instagram のメール(コメント欄)で、お声を掛けてくださいませ。勿論、この様なお話でいいなら、でございますが。拙僧も今年で62歳です。父親の他界年齢を基準にすれば、あと僅かに10年。これより先の残された時間は、1人でも多くの人のお役に立てれば、との思いです。『今、自分に出来る事を、今やる』ですね。


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次回の投稿法話は、8月15日になります。






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